何よりも勝つことが大事、というわけではない。

しかしやはり「勝った」というものは嬉しいもので、中継されていたテレビを見ながらホッと胸をなでおろす。

今日中に帰ってくるのかわからないけれど、とりあえず夕飯の用意はしてしまおう。

やはり、今日くらいは彼の好きなものを多く作ろうか。

意識してメニューを考え、ちょうど彼が帰ってくるであろう時間に作り終える。

この時間に帰ってこなかったのなら、また明日の朝にでも温めなおせばいい。

お皿には盛り付けずにキッチンから離れようとすれば、ちょうどその時に部屋中にチャイムの音が鳴り響いた。

確認してみれば、ドアの向こうに立っていたのは待ち望んでいた彼だった。



「おかえり」
「ただいま」



無表情のままで玄関からリビングに向かおうとする宗谷の背中を追う。

彼が特に怒っているわけではないことは、数年彼女をしていればわかりきったこと。

夕飯を食べた後に一言「おいしい」と言って笑顔を見せてくれることを知っているのだから。

ふと、宗谷の手に持ったビジネスバッグがいつもより膨れていることに気が付いた。

棋譜や本など、最低限のものしか持たない彼のバッグはいつも厚みがないにもかかわらず、どうしたというのだろうか。

思わず夕飯を皿に盛り付ける顔が若干曇ってしまう。

さつきが中身を訊く前に宗谷はビジネスバッグの中から綺麗にラッピングされた小箱や紙袋をいくつか取り出し、テーブルの上に置いた。



「何、それ」
「貰った」
「誰から?」
「会館の前にいた人たちから…断る理由もなかったから貰ってきた」



プレゼントの開封を無表情のままで始める宗谷に、さつきは何も言うことができない。

彼が喜んでいるのか、怒っているのか、その横顔から察するに怒っていることはなさそうだ。

プレゼントに一緒に入っていたと思われる手紙に目を落とす彼の姿が見ていられず、夕飯を盛り付ける手に力が入る。

彼の純粋なファンなら、手紙くらい送ってくるのが当然だ。

同棲してからあまり日が経っていないからわからなかったけれど、今までも彼はこういったプレゼントを受け取ってきたのだろう。

それは至極当然のこと、なんだろうけれど。

二人分の準備が整った夕飯をリビングのテーブルに運べば、宗谷は読んでいた手紙を静かにバッグの中へと戻した。

向かい合わせに座り、「いただきます」と挨拶をすれば、穏やかな空間の始まりだ。

お互いに無言のまま、目があった時に「おいしいね」と微笑む程度の静かな食卓。

その空間がさつきは好きだった。

しかし今日は、珍しく宗谷が口を開いた。



「ねえ、さつき」
「ん?どうしたの?」
「さっきの手紙に書かれていたんだけれど、僕ってそんなに…」
「……ごめん」



一時的に忘れ去っていた感情が、また一気に戻ってくる。

さっきの手紙の差出人は女性。

ちらりと見た文字から、それは簡単に推察することができた。

きっと、彼の将棋が好きな純粋なファンなんだろうとは思う。

それでもどこかで、彼のことが棋士としてではなく恋愛対象として好きな女性なのかもしれないという疑心が出てきてしまう。

プレゼントはあと数個あった。

それもすべて、女性からのものなのではないか。

今まで宗谷の口から他の女性に関する話題が出てこなかったために安心しきっていたが、こうやって一度言われるだけでも嫉妬に駆られるなんて。

自分の中での想像の世界にもかかわらず、そっと静かに箸を置いてしまった。



「ごめん、ちょっと外出てくるね」
「さつき?」



彼を目の前にしていたら、何を言ってしまうかわからないから。

静かに箸を置いた後、小走りでリビングから去っていく彼女の姿を呆然と見つめる。

玄関のドアが彼女らしからぬ荒々しい音で閉まったのを聞き、宗谷は考えるよりも先に傍らのコートを掴んで静かにリビングを後にした。

夕飯から立ち上がる湯気が、誰もいない部屋で儚げに揺れる。

彼女が行く場所はどこだろう、いきなりなぜあんな行動に出たのだろう。

将棋以外のことで頭を活発に回転させるのは、さつきのことだけだ。

後のことはそこまで深く考えずともなんとかなること。

一番頭を回転させる存在で、それでいて彼女の前にいると頭の回転を休ませることができる。

いない時は彼女を思い、目の前にいるときは何も考えないで済む存在。

そしてついつい勘違いをしてしまうのだ。

彼女の前でなら純粋な気持ちでなんでも言っていいのだろう、と。

もちろんそんなはずはない。

考えてみれば先ほどのように彼女の前で他の女性から貰ったプレゼントの話をするなんて軽率としか言いようがない。

もし自分がさつきに同じことをされたらどうだろうか。

今の彼女どころの話ではないかもしれない。

冬の夜の冷気が、激しく突き刺さる。

息を吐けば目の前に白い息が広がり、街灯だけに照らされた自分の体はコートを掛けた腕以外はすべてが冷たく感じた。

レンガ通りの先に、彼女を見つけた。

ここは初めて彼女に出会い、そして一緒に歩いた場所だ。



「…さつき」
「ごめん、こんなところまで。大丈夫、頭冷えたから」
「…ごめん、軽率だった」



後ろから掛けられた声は、振り返らなくてもわかる。

帰ろうか、と彼の方を向く前に、後ろから抱きしめられた。

いつもの無表情からは想像もつかないような、優しく包んでくれる彼の身体。

そっと腕に触れてみれば、ワイシャツ越しの腕はじんわりとした温かさしか持っていない。

それでも次第にぬくもりが伝わり、彼の胸に背を預けながらさつきは思わず涙をこぼした。



「さっき、何言おうとしたの?さっきの手紙のことを言いかけた途中に私が出てきちゃったけど」
「…僕ってそんなに無表情に見える?」
「手紙にそう書いてあったの?」
「うん、それにプレゼントを渡す時にも言われた。ご年配の夫婦に」
「ご、ご年配の夫婦!?」



最後に付け足された言葉に、思わずさつきは宗谷の顔を見上げる。

これは盛大な勘違い、というやつではないだろうか。

彼女の眼尻に残る涙を繊細な手つきでふき取りながら、宗谷はめったに人には見せないような微笑みを浮かべた。



「いや、あの、本当にごめん。あと冬司は無表情なことが多いけど、その分表情が変わると周りの目も惹きつけると思うよ」
「…ありがとう」



さつきの体をゆっくりと離し、手に持っていた自分の黒いコートを彼女にかける。

少し大きすぎるそのコートに身をうずめながら、さつきは隣を歩く宗谷を満面の笑みで見上げる。

彼の横顔の口元にもまた、笑みが浮かんでいた。



END
2013/02/12

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