昔々のことでした。 森の近くに小さな小屋がありました。 その小屋には赤い頭巾の似合う紀里という名の女の子、そして紀里のお父さんとお母さんが住んでいました。 ある日の朝、お母さんが言いました。 「紀里、御祖母様のところにお見舞いに行ってくれないかい?」 「わかりました、お母様」 「そして新しいずきんを縫っておいたから、それを被っていくといい。御祖母様も喜ぶよ」 「ありがとう、お母様」 そっと手渡された頭巾を被ってみると、紀里の頭にピッタリでした。 お見舞いのためのワインやクッキーを渡しながら、母親は続けました。 「ふふ、決して寄り道をしてはいけないよ、紀里。まあ少しくらいならいいけど、あまりにも多いなら…ね?」 「むっ、紀里は出掛けるのか。気をつけるのだぞ」 「………はい、お父様」 母親の美しい笑顔に動けないでいた紀里は、父親の言葉に頷いて家を出発しました。 そして家を出てすぐに立ち止まりました。 『…………い!―…こえる…………か!』 誰か知らない人の声が、頭の中に響きます。 紀里は、もっとよく聞こうと被っていた真っ赤な頭巾を脱ぎました。 するとすぐに、不思議な声は消えてしまいました。 首を傾げて再び赤い頭巾を被ると、今度はハッキリと不思議な声が聞こえました。 『おい、聞こえねえのかよ!?』 「うわっ、なんか喋った!」 『なんだ、やっぱり聞こえてんじゃん』 不思議な声の主の名前は、赤也と言いました。 赤ずきんの精霊と言い張る赤也は、紀里の邪魔をたくさんしました。 森の途中で、小さな二人組のウサギに会ったときのことです。 一匹は手にお菓子を持った全身が赤いウサギ、もう一匹は全身が綺麗な黒色のウサギでした。 「おい、そこの奴!一緒にケーキ食わねえ?特別に招待してやるぜぃ」 「ごめんね、お母様に寄り道はいけないって言われて」 『いいじゃん、いいじゃん!食ってこうぜ、俺が食うから!』 「ずきんなのに食べるの!?」 「おいブン太、無理に誘ったら可哀相だろ。パニックになってるぞ、この子」 赤也の声は、他の人には聞こえていないようでした。 黒いウサギにも助けられ、紀里はなんとか赤いウサギの誘惑を振り切りました。 おばあさんの家に向かう途中、赤也の声は止まることなく響いてきます。 『あーあ、食べたかったな、ケーキ』 『あっ、おい、あれ見ろよ!あそこで水飲んでこうぜ!』 『なあ、お前の婆さんの家まだかよ?』 どんなにうるさくても、紀里は赤也の声が聞こえてくる頭巾を外しませんでした。 理由は母親からの言い付けがあったからでした。 紀里の母親は、お見舞いに向かう紀里にこう言っていたのでした。 「絶対に赤い頭巾をして帰っておいで。途中でちょっと取るくらいならいいけれどね、もし頭巾を無くしてきたら…ふふ」 この言葉をきちんと守り、紀里はついにおばあさんの家に着きました。 『へえ、ここがお前の婆さんの家か』と赤也の声も聞こえてきます。 家に入ると、おばあさんはどこにもいませんでした。 「あれ…どこ行ったんだろう」 『あそこじゃね?ほら、まだあそこに開けてないドアあるじゃんよ』 「でもおばあさんはこのドア開けちゃいけないっていつも言うの」 『関係ねえって!開けちゃえよ、な?』 開けまいと躊躇する紀里でしたが、赤也の強い押しについに負けました。 「ちょっとだけ、ちょっとだけ…」と小さく呟きながら目の前の扉を押し開けました。 すると、そこには二つの人物の姿がありました。 何か言い合っていたらしい二人は扉が開いたことにすぐに気がつき、こちらを振り向きます。 その顔を見て、紀里は混乱してしまいました。 「おばあさんが二人…?」 「紀里さん!?どうしてここに…」 「…紀里さん、どっちが本物のおばあさんだと思う?」 そこには、紀里のおばあさんが二人いました。 どちらも同じ服装で、一人はビックリしたような表情を、そしてもう一人は試すかのような微笑みを浮かべています。 どっちが「本物」と言われたら、そんなことは簡単です。 紀里は一人のおばあさんに近づきました。 「こっちの人が、私のおばあさん」 「なんでそう思うのか理由を聞かせてくれない?」 「だっておばあさんは、そっちの人みたいな笑顔はしないもの」 「…ピヨッ」 選ばれなかったおばあさんは、クスクスと笑います。 ひとしきり笑った後、「なるほどのう」と呟きました。 ちょうどその時、家のドアがノックされる音がします。 ドアを開けるとそこには長身で目の細い、一人の男が立っていました。 黒いローブのようなものを全身に羽織るかのように着ている男は、「ここにもう一人客人がいるはずなのだが…」と切り出してきました。 紀里の後ろに続いて室内に入り、おばあさんが二人いるのを見ると、彼は呆れたように言いました。 「やはりここにいたか…。元の姿に戻れ、ペテン師」 「…今日は見つけるのが遅れたのう、魔法使い」 「データを参照したのだが、お前がここに来るとは思ってみなかったものでな」 パチン、と魔法使いと呼ばれた男が指をならせば、偽物のおばあさんの姿がみるみる変わっていきます。 そして、最後にそこにいたのは、銀髪を光らせた一人の青年でした。 口元に浮かぶのは、不敵な笑み。 先ほどおばあさんの姿をしていた時に紀里によって見破られた笑いを、彼は強調するかのように続けています。 「騙して悪かったのう、お嬢さん」 「…ううん、おばあさんが元気なところを見れて、私嬉しい」 「元気なところ?」 「うん、あなたと話していた時、おばあさんがすごく元気に見えたの。お見舞いに来たんだけど、少し元気になっているみたいで安心した」 「紀里さん…心配かけてすみません」 後ろで立っていたおばあさんが、紀里の頭をゆっくりと撫でました。 その手つきは紀里への愛おしさに溢れており、紀里の耳に口を近づけて「もう元気ですから」と囁きます。 二人の様子を見た青年は、拗ねたように頬を膨らませて呟きました。 「やっぱりもうしばらくおばあさんになっていたかったのう」 「何を言っているんだ、お前は」 魔法使いが呆れたように言うと、青年は「気にするな」と言わんばかりに手を横に広げて首を振りました。 そしてこの場から立ち去ろうと、背中を向けて歩き始めます。 しかし家から出る前に、後ろから腕を掴まれました。 「あの」 「なんじゃ?」 「もしよかったら、クッキー食べていってください。お見舞いにってお母様が焼いたやつで、美味しいから」 魔法使いも、青年も、おばあさんも、森の中で出会った2匹のウサギも。 ここに来るまででお世話になった人を全員呼び、紀里は母親のクッキーをそれぞれに渡しました。 『おーい、俺にも!俺にも!っていうか途中から存在忘れてただろ!?』 「ずきんさん、どうやって食べるつもり…?」 「その頭巾か、一時的になら俺の力で食べられるようにしてやろう」 そう言うと、魔法使いは再び指をパチンと鳴らしました。 すると、紀里が脱いだばかりのずきんの姿が変わっていきます。 しばらくしてそこにいるのは、クルクルとした黒髪が特徴的な少年です。 少年はクッキーを紀里から貰い、高々と上へ突きあげました。 「それじゃあいっただきまーす!」 少年の声に釣られるかのように、クッキーを持った面々がパクリとそれを口に含みました。 紀里もクッキーをかじり、広がる甘い味に笑みをこぼします。 和やかな雰囲気が周りを包みます。 「うん、やっぱり美味しい!」 「おう、うま…ぐおっ!?」 「な、なんか味が変わったぜぃ!?」 「……驚きのまずさだな」 「…これは参ったぜよ」 「ふふふ、紀里に変な感情を持った人にはあのクッキーはどんな味になるのかな?」 赤ずきんの家で、母親が一人綺麗な微笑みを浮かべます。 その微笑みを見た父親は、冷や汗を流したそうな。 めでたし、めでたし。 END 2012/07/22 ←短編一覧 |