「じゃあ飲み物買ってくるね」
「いってらっしゃーい」



明るい声で紀里を送り出した友達の視線は、とある人物に注がれたまま。

その様子に苦笑いを零しながら、紀里はランチルームを後にした。

周りにはすれ違う生徒ばかりで、同じ進行方向に行く者は一人としていない。

その人混みの中をすり抜けながら、紀里は内心でため息をついた。

先程の友達とランチルームでお昼を食べるようになったきっかけは、テニス部のレギュラーがランチルームでお昼を食べているという情報を友人が聞いたからであった。

一年生の頃からカリスマ的資質で生徒会長をこなし、更にテニス部部長でもある跡部のおっかけを友人はしている。

それは恋ではなく、純粋にファンとしての気持ちから。

それを象徴するかのように、友人にはラブラブのクラスメートでもある彼氏がいるのだ。

対して自分はどうだろうか。

最初は、テニス部に興味なんてほとんどなかった。

練習を見る機会もなかったし、見ようともしていなかったため、レギュラーの顔は会長の跡部しか知らなかったと言っても過言ではない。

しかし二年になり、今の友人と知り合い、『一緒にランチルームでお昼を食べよう』と言われてから、紀里の頭の中にはしっかりとレギュラーの存在が刻み込まれた。

正確には、レギュラーの内の一人の存在が。

これは恋なのだろうか、それともファンとしての気持ちなのか。

それは自分でもよくわからない。

しかし友人のように練習を見に行き、彼に対して黄色い声をあげることはとてもじゃないが出来そうにない。

お昼の時間に遠くからその姿を眺める、それだけで私には十分なのかもしれない。

話してみたい、とも思ったけれど、すぐに諦めた。

自分に自信がない上に、いきなり話し掛けても不審がられてしまうだけだ。

レギュラーの中でもただでさえ警戒心が強いであろう彼だから。

ついに周りの人すらも消え、紀里は校舎裏までやってきた。

慣れた道のようで、迷うことなく進んでいく。

たどり着いた先は、一つの自動販売機。



「……もう慣れたとは言っても、ここまで来なきゃいけないのはちょっと不便…かも」



そう言いながら見ている自動販売機には、紙パックの飲み物が売られているものだ。

氷帝学園には自動販売機はたくさんある。

特に友達の待つランチルームには、これでもかと言わんばかりに自動販売機が並んでいる。

しかし紀里の目的のものはそこにはない。

毎日のように紀里が飲んでいる『いちごオレ』は、学園中探しても校舎裏のこの自動販売機にしか置かれていない。

早く買ってランチルームに戻らなきゃ、と紀里は財布を取り出し、小銭を自動販売機に投入し始めた。

そして気が付いた。



「……じゅ、10円足りない」



いちごオレは70円。

しかし悲しいことにわずか10円足りず、少しの間どうしようか考える。


ここまで来て何も買わないのもなんか…ね


そう考え、紀里はいちごオレの隣に目を移した。

カフェラテと書かれているが、苦味が強めだということを紀里は知っている。

なぜならそれは、知らぬ間に目で追ってしまう彼がいつも飲んでいるものだから。

少しでも共通点が増えれば、と思い買ってみたこともあるが、いちごオレに慣れた舌には苦すぎるものだった。

そのために買うのはやめていたのだが…


もしかしたら美味しく思えるようになっているかもしれないし…


そう考え、カフェラテの下で光るボタンを押した。

そしてガコンという音と共に落ちてきたカフェラテを取出口から出して手に持つ。

手元のカフェラテに目を落としたまま、自動販売機に背を向ける。

そして歩きだそうとした、まさにその瞬間だった。



「今日は『いちごオレ』ちゃうん?」
「………へ」
「お嬢ちゃん、いつもいちごオレ飲んどるやん。今日はちゃうんやと思ってな」



目を上げれば、いつも一方的に追うばかりの彼が立っていた。

ちょうど歩いてきたばかりの様子で、こちらに近づいてくる。

もちろん周りには人影は一つもない。

すべて自分に向けて話されている言葉かと思うと、瞬きをすることしかできないくらい衝撃を受けた。

あっという間に隣までやって来た彼は、涼しげな目で紀里の手元と自販機、そして紀里の顔を見比べる。

それから一言、低く呟いた。



「なあ、お嬢ちゃん。そのカフェラテほんまに欲しいんか?」
「………えっと」



聞きたいことはいくらでもある。
なぜ自分がいちごオレばかり飲んでいることを知っているのか、だとか、どうしてここにいるのか等。

だがしかし、それは全て切り出せない。

展開に頭が追いついていないせいか、口が思った通りの言葉を出せないでいる。

詰まった紀里に対して、彼はフッと口元を緩めた。



「無理に奪うようなことはせんから安心し。ただいつもいちごオレの子がカフェラテってなんか不自然やなと思っただけや」
「………本当はいちごオレ欲しかったんですけど、トラブルがありまして」



その言葉に、彼は自動販売機をジーッと眺めて頷く。

返事をしないままに硬貨を投入すると、一直線に一つのボタンを押した。

そしてそれを取り出すと、紀里に向かって差し出した。

意味がわからずに紀里は彼とピンクの紙パックを順番に見る。

その様子を見た彼は、スッと紀里の手元に手を伸ばした。



「交換せえへん?俺はそれ飲みたいし、お嬢ちゃんはこっち飲みたいんやろ?」
「いや、でも金額違いますし」
「気にせんでええ。受け取り」



そう言うと、彼は紀里の手からカフェラテを取り、代わりにいちごオレを握らせた。

ぼんやりといちごオレを眺める紀里に気づき、彼はククッと笑った。

その声に気づき、紀里もハッと顔を上げる。

そしてやっと追いついてきた頭で言った。



「あの、忍足先輩はどうしてここに?」
「カフェラテ買いに来たに決まっとるやん」
「だってそのカフェラテ」
「ランチルームの自販機にもある、やろ?騒がしい所は苦手やから」
「は、はあ…」
「ほな帰ろか」



掛けた眼鏡のフレームをクイッと軽く押し上げ、忍足は歩き出す。

あの彼が今自分の目の前にいて前を歩いているのはとても不思議な気分だ。

やがて校舎の表に近付き、他の生徒も少し見え始めてきた。

忍足はちらりと振り返り、それから言う。



「お互いのためにここからは別々に行こか」
「あ、はい、そうですね」
「ほな、また明日」
「え?明日?」
「お嬢ちゃんは俺に10円貸しあるやろ、それをまた明日ってことや」
「ええ!?」



彼はひらひらと手を振り、いつものポーカーフェイスでゆったりと歩いていく。

もちろんカフェラテは片手に持ち、既にファンらしい女の子に声を掛けられていた。

その姿を呆然と眺めた後、紀里はいつもと変わらないはずの手元のいちごオレを見た。

見た目には何も変わっていないのだが、これには特別な意味がある。


『また明日』


そう言った彼の言葉が、何度も心の中で響き渡る。

いちごオレを大事に両手で持った紀里もまた、彼の通った道を踏み締めるように歩いていった。



END
2012/01/19

オマケ
「おい忍足、あの校舎裏の自販機そろそろ撤去してもいいか?業者が毎日いちごオレとカフェラテしか減ってねえって言ってたんだが」

「アカン。もうちょい待ち、今日やっと前進したんやから」

「………チッ、仕方ねえ。早くしろよ」

「おん、あといちごオレはあの自販機以外の所には入れんといてな」

「…お前の私欲で自販機の詳細決めてんじゃねーよ」

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