「やあ、里見さん。部活が終わるまであと一時間くらいあるけどどうしたの?」
「放送機器のテストがあるらしくて校舎から追い出されちゃったの。でも雅治と帰る約束してるし、部室の前で待ってようかなあって」
「ああ、そうだったのか。それなら部室に入って待ってるといいよ」



幸村からそう言われ、紀里は有り難く男子テニス部の部室にあるストーブの前で暖を取っていた。

ちらりと壁に掛けられた時計を確認すると、残り時間はあと30分。

今日は彼氏である仁王と一週間に一度のデートの日だ。

放課後、しかも仁王の部活が終わってからということもあり時間は少ないが、紀里にとっても仁王にとっても何物にも変えがたい時間だ。

今日はどこに行こうかな、と一人考え始めたところで舌に感じたザラリとした感覚に気づく。

同時にピリッとした刺激にも。

仁王に指摘されてから気づいたことだが、紀里は考え事を始める時に唇を少し舐める癖がある。

ということは、つまり…。

バッグから手鏡を取り出して確認してみると、案の定だった。



「唇、切れてる…」



幸村が現れるまで、部室の前の乾燥した空気の中で一時間近く立っていたことが原因だろうか。

幸村にも「体がすっかり冷えてるよ」と言われ、ストーブまで点けてもらったのに。

とにかくこの唇の切れは、仁王とのデートの前になんとかしなければ。

リップクリーム、リップクリーム…と。



「あった!」
「…ん?そこにおるんは紀里?」
「雅治!……あれ?まだ部活終わるまで30分もあるよ?」
「紀里とのデートが待っとるのに練習なんか真面目にできんじゃろ?」
「こら」



部室に飄々と入ってくるやいなや、ソファで隣に密着するように座ってきた仁王のおでこに軽くチョップを加えながらも、紀里は嬉しそうに笑う。

触った仁王のおでこは、まだ冷たかった。

よく見れば鼻先も赤くなっている。

きっと寒さに耐えかねて早めに練習切り上げてきたのだろうと紀里は思った。

ストーブの前に冷えた手を差し出しながら、仁王はちらりと紀里を見た。



「なんか探してたんか?」
「うん、リップクリームをね。ほら、唇切れちゃってるでしょ」
「ほう…ん、ちょっと塗る前に貸してみんしゃい」
「なんで?雅治の唇、見た限りじゃ乾燥とかもしてないけど…?」
「まあまあ」



不敵に笑う仁王に、先程見つけたばかりのリップクリームを差し出す。

それを自分の唇に丁寧に塗り、仁王はリップクリームのキャップをパチンと閉めた。

その一連の行動に紀里は内心で首を傾げる。

なんで雅治がリップクリームを…?



「紀里、こっち見んしゃい」
「ん?………んっ」



次の瞬間に待っていたのは、唇への熱く柔らかい感触。

紀里の頭の後ろに添えられた手はますます力強くなり、逃れることはできない。

唇全体に広がるキスの感覚に頭の中が痺れてくる。

ここが部室の中ということも忘れているのではないか、というほどの長い時間が経った後に紀里はようやく仁王を突き放した。

ちらっと素早い動きで部室のドアに目を向け、赤い顔で呟く。



「誰か来たらどうするの…!?」
「まだ部活の時間が終わらんって言うとったのは紀里ナリ。それに紀里も満更でもない顔してたがのう」



鉄の味じゃ、とチロリと舌を出す仁王から紀里は恥ずかしそうに目を逸らす。

いつの間にか机に置かれたリップクリームの匂いが辺りに漂っていた。

部活が終わるまであと、20分。



END
2011/12/25

オマケ
「む?柳生、仁王はどこへ行った?」

「それが寒いから先に部室へ行くと言って切り上げてしまったんですよ。困ったものです」

「まったくもってたるんどる!まだ30分もあるではないか、連れ戻しに行くしかあるまい」

「ふふ、今はやめておいた方がいいよ、弦一郎」

「何をそのような甘いこと言っているんだ、精市。今ここで厳しくしておかねばさらに付け上がって」

「いいから。練習続けよう、ね?」

「………うむ」

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