ある晴れた日のお昼、立海大附属のテニス部部室から一人の男の子が出てきました。

ふわふわとした黒髪が風に揺れ、本人は先程から何かが止まらないようです。

ヒクッと体を揺らした後、涙目になりながら彼は呟きました。



「と、止まらねえ…!」



その様子を偶然通り掛かったらしき人影はじっと見つめ、それから口元に楽しげな笑みを浮かべました。

それは子供が新しいおもちゃを見つけたような、しかしそんな子供の純粋さはカケラもないような笑みでした。

後ろで緩く一つで括った銀髪をひょこひょこと揺らしながら、彼はいまだに泣きそうな少年に近づきます。



「赤也どうしたんじゃ、そんな泣きそうな顔して」
「あっ、仁王先輩!助けてくださいよ、俺の命がヤバいんス!」
「ほう、そりゃあ大変じゃ。ここはペテン師に任せんしゃい」
「えっ、マジッスか!?止めてくれるんスね!?」
「おう」



相変わらず騙されやすい奴…

仁王先輩と呼ばれた彼は、ふわふわ黒髪の下に隠れた耳に顔を近付けて何かをコソコソと囁きました。

その言葉を聞くなり、黒髪の彼は仁王にお礼を言ってからどこかへと急ぎます。

そのあとを追うように仁王は口元に怪しい笑みを浮かべながら歩きはじめました。





生徒校舎のざわめきとは掛け離れた特別校舎の一室、時計の音だけが響く美術室に嵐が訪れた。

ガタンッと枠から外れる勢いで開いたドアに、その向こう側に見えるふわふわの黒髪。

赤也は部屋に響き渡るような大声で叫びながら美術室に駆け込んだ。



「紀里先輩!俺とチューしましょ、チュー!」
「は!?」



いきなり人が現れたこと、そしてその人がとんでもない発言をしていること。

鉛筆片手に次の絵の題材を考え込んでいた紀里は目を見開いて赤也の方を見る。

ひょいひょいと身軽な動きで紀里の元までやって来た赤也は、グイッと肩を掴んで自分と紀里の顔を向き合わせる。

息の詰まるような、少し甘い緊張感。

ゆっくりと紀里の唇に赤也の顔が近づくと同時に、赤也の体がヒクリと揺れた。

その音にハッとした紀里は、雰囲気に呑まれていた自分を仕切り直すかのように席から慌てて立ち上がる。

そして距離を少し置いて一言。



「赤也君…しゃっくり、止まらないの?」
「そうなんス!100回すると死ぬって言うじゃないッスか、だから俺とチューしてください!」



いきなり飛び込んできて何事かと思ったらしゃっくりって…


紀里は呆れると同時に、赤也に対する愛しさが込み上げてきた。


でも100回しゃっくりしたら死んじゃう迷信気にするなんて可愛い


涙目になって「俺の命のためにもチュー!」と繰り返す赤也の頭をぽんぽんと叩く。

切原赤也は、正真正銘紀里の一つ年下の彼氏だ。

といっても付き合ってまだ一ヶ月くらいで日は浅い。

赤也は男子中学生らしく紀里と様々なことをしたいと思っているのだが、ガードの固い紀里はそれを許さない。



「ひっく………な、74回目…!ヤバいッスよ、先輩、早くチュー!」
「ちょ、ちょっと待って…!しゃっくりとチューに何の関係があるの!?」
「だって仁王先輩が好きな人とチューすればしゃっくりが止ま………ひっく……止まるって言ったんス!」



仁王君の仕業か…!


切願する赤也によってジリジリと壁際に追われながら、紀里は銀髪をなびかせて不敵に笑うテニス部レギュラーの顔を思い出す。

100回しゃっくりをしたら死ぬ、という迷信を教えた人物も迷惑なものだが、チューすれば止まるなどという嘘を言った仁王もなかなか質が悪い。

そんなことを思っていれば、どんどんと距離が縮まる赤也と紀里。

美術室の、隣の渡り廊下からは死角になった壁に背をつけた紀里に逃げ場はない。

実際問題として、赤也とキスをすることは紀里にとって何の抵抗もないし、むしろ嬉しいとも思う。

まあその理由がしゃっくりを止めたいから、というのが若干引っ掛かるが。

覚悟を決め、ついに赤也の手が自分の肩に置かれ、だんだんと整った顔立ちが近寄ってくる。

あと少し、鼻先が触れ合う直前に紀里はゆっくりと目を閉じた。

いや、閉じようとしたのだ。

唯一ここから外が見える空間である美術室の出入口の扉付近に、鋭く光り輝く銀髪を見るまでは。



「…に、仁王君!」
「へ!?」


赤也の体を突き放すと同時に、扉に嵌められたガラスの向こうの銀髪の人影は不敵にニヤリと笑う。

そしてガラガラッと大層な音を立てて扉を開け、ひょっこりと美術室に現れた。



「なんじゃ、バレとったんか」
「バレとったんか、じゃなくて!赤也君に嘘を吹き込むのやめてちょうだい」
「ピヨッ。残念じゃのう、もうちょっとで赤也と里見のキスシーンが」
「わーっ、わーっ、言わないでよ!……ってうわ!」
「………………」



顔を真っ赤にして仁王と言い合いをする紀里を赤也はポカンと眺めていたが、次第に頬が膨れていく。

その鋭い視線は仁王に注がれ、その視線に気づいた仁王は余裕の笑みでこれを受け流した。

その様子に少しも気づかない紀里に腹を立てたのか、赤也は無言で紀里を背後から抱きしめた。

まるで自分の所有物だというかのようだ。

そして仁王に向かって凄みを利かして口を開く。

同じタイミングで、美術室から離れた遠くの方の廊下からドドドと足音が近づいてきていた。



「仁王先輩、邪魔しないでくだ………ひっく……ああ、しゃっくりムカつく!」
「貴様ら、その態勢はなんだ!そそそ、そ、そのように男女が密着するなど学生たるもの許されることでは…!」
「あーあ、弦一郎が我慢できずに飛び出しちゃったから失敗だね」
「ああ、残念だ。『しゃっくりを100回したら死ぬ』という迷信をハッキリさせるいい機会だったのだが」
「ゲッ、真田副部長に幸村部長、柳先輩まで…!」
「もうなんなの…」
「プリッ」



予鈴響く美術室にて、真田の『学生による男女交際の愚かさ』が熱弁されている。

切原赤也少年のファーストキスは、愛すべきテニス部副部長の手によって阻止されたという。



END
2011/11/01

オマケ
「赤也君に迷信教えたのは幸村君と柳君?」

「おや、どうして弦一郎は入っていないのかな。一緒に美術室までやって来たのに」

「真田君は絶対『そんな迷信を信じるなどなっとらん!』って正しい道を赤也君に叩き込みそうだから」

「ふふ、まあ正解かな。赤也が女の子と美術室にいるって教えたらすごい早さでやって来たんだよ、弦一郎」

「……真田君哀れ」

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