狡猾サンドリヨン【4】-B


二人はしばらく無言で歩き続けたが、ヴォルデモートは噴水の前に来ると足を止めた。彼は水飛沫の向こうでぼんやりと光る月を見ていた。淡い月の光が端正な横顔を照らしている様は、まるで一枚の絵画のように美しかったが、真っ赤な瞳の奥では、ハリーには分からない暗い何かが、静かに渦巻いていた。
 
「どうやって、人間の身体に戻ったの?」
 
「―2時間だけだ。魂を具現化する秘術中の秘術がある。成功したのは、この俺様でさえ、ほとんど奇跡に近い・・・」
 
ヴォルデモートは静かにそう言うと、その細長い指を月明かりにかざした。その姿は儚く、ハリーは一瞬、彼がこのまま消えてしまうのではないかという予感に駆られたが、ヴォルはふっと笑うと手を降ろし、ハリーの方に向き直った。
 
「それで?ずっと何か言いたそうな顔をしていたが?」

「当たり前だよ!」
 
ハリーはヴォルを睨み付けた。
 
「ほんとに、分からないことだらけだったんだから―どうして突然いなくなったの?この試合に、君が何か関係しているから?だとしたら、何を企んでいるの?」
 
ハリーが一気に言うと、彼はすっと目を細めた。
 
「今は言えない。・・・だがあえて言うなら、試合が全て終わった時に自然と分かるだろう。」

「・・・君の秘密主義は、今に始まったことじゃないけど・・・でもいなくなるなら、何か一言くらい言ってくれてもいいじゃないか」
 
ハリーは蛇がいなくなった時のことを思い起こしていた。彼にも考えがあってそうしたことは頭では分かっていたが、やはり何かあったのではないかという不安は拭いきれず、ロンやハーマイオニーには内緒で、夜は校舎中を一人で探し回った。禁じられた森に入ったこともあった。不安ばかりが募る毎日の中、ある日突然自分の名前がゴブレットから出てきたのだ。今まで頼りにしていた相手が失踪し、親友とは初めての喧嘩をし、その時のハリーはこれまでに無いほど悩み、落ち込んだのだった。
 
だがヴォルデモートはそんなハリーの内心など知る由も無く、冗談めいた調子で言った。
「俺様がいなくて淋しかったか?」
「何を、―!」

そのあんまりな言い草にハリーが言い返そうとしたその瞬間、人の気配がした。まだこちらには気付いていないようだが、確実にハリー達のいるところに近づいてきている。―隠れなければ!
 
「っ、おい!」
 
ハリーはヴォルデモートの腕を引っつかむと、茂みの陰になる隙間にぎゅう、と押し込めた。突然のことに驚いたのか、彼はハリーのされるがままだ。ハリーは自分が隠れる場所を探そうと素早く辺りを見渡すが、なかなか良い場所が見つからない。そうこうしているうちに、彼らはどんどん近づいて来る。ダームストラングの生徒のようだ。
 
「おいジャック!この辺りにいるんだろ?一人だけいい思いしやがって!」
「さっさと出て来いよ!」
 
ヴォルデモートは、ますます慌てるハリーを見て溜息をつくと、
 
「―ぇ」
 
華奢な身体をその腕の中に抱き込んだ。彼の右手はハリーの後頭部に添えられ、左手は腰をしっかり掴んでいる。ここまで男性の身体に密着する経験は初めてだったため、ハリーは激しく動揺したが、必死に息を殺した。

―それから、どれくらい経っただろうか。男子生徒は何処かへ行ったようだが、二人はまだそのままの姿勢で固まっていた。先に沈黙を破ったのはハリーだった。
 
「・・・淋しいに決まってるよ・・・」
 
ハリーはヴォルデモートの胸に顔を押し付けたまま呟いた

「一番不安なときに、一番傍にいてほしい人が、いきなりいなくなっちゃうんだから」
 
―本当は、このまま二度と会えないのではないかと、ずっと不安だった。
 
ハリーがゆっくりと顔を上げると、目の前の端正な顔はじっと自分を見つめていた。互いの息が感じられそうなほどの至近距離だったが、どちらも目を逸らそうとはしなかった。ハリーはほとんど囁くような声でぽつりと言った。
 
「・・・ヴォルの、馬鹿」
 
次の瞬間、ハリーの唇は柔らかい何かに塞がれていた。それがヴォルデモートの唇だと気付くまで、少し時間がかかったが、やがてハリーは触れる温度の優しさに身を委ね、ゆっくりと目を閉じた。ただ唇を重ねるだけの行為が、こんなにもあたたかいものであることをハリーは知らなかった。ヴォルの手がハリーの髪を優しく梳く。彼は言葉にできない何かをその体温で伝えようとしているような、そんな気がハリーにはした。
 
しばらくして目を開くと、ヴォルデモートの身体はほとんど消えかかっていた。時間が来たのだろう。
 
「・・・シンデレラはそっちじゃないか」
 
彼は一瞬驚いたように目を見開くと、いつもの不敵な笑みを浮かべ、最後にハリーの額に軽くキスをして、空気に消えていった。

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