第陸話


 
定時をだいぶ過ぎて、人気のない閻魔庁。
亡者の裁判も今日の分はもう終わったのか、閻魔様がいつもいらっしゃる大広間には、残業に勤しむ大王とその補佐官しかいない。
そんな時間に、どうして俺がこんなところにいるのかって?そんなの、あの馬鹿師匠の所為に決まってる!
納期ギリギリ(厳密には数時間遅れ)で仕上げといて、地獄に着くや否や弟子に商品押し付けて花街に行くか普通!?まぁ、鬼灯さんと相性悪いのは分かるし、極力会いたくないっていうんだったら代わりに配達ぐらいしますけどね!?期限は守れよ!アンタに向かう筈の恐ろしい鬼神の怒りを、なんで俺が一身に受けなきゃなんないんですか!
鬼退治の英雄!?ふざけんなよアレは馬鹿な鬼に酒を盛りに盛った作戦勝ちなんですよ!そりゃまぁ人並み程度には剣術できますけど!鬼灯さんに本気で金棒振られた日にゃ、刀どころか体諸共真っ二つだよ!!

「あ、あのー……鬼灯さん……?」
「……ああ、桃太郎さん」

恐る恐る机に向かう鬼灯さんに声をかけると、地を這うような返事が返ってくる。
どうしよう。鬼灯さん、なんか凄いテンション低いんだけど。それにクマ酷いし、目は虚ろだし……絶対何徹かしてるぞ、コレ。

「鬼灯さん?だ、大丈夫で……」
「―――すみませんでした」

いや、こちらこそすみません。ウチの色ボケ師匠がいつもいつもご迷惑をおかけして。なんであの人あんなに怠惰で自堕落で不修多羅なんですかね?勤勉な鬼灯さんの爪の垢を煎じて飲ませてやりたいですよ、全く……って嫌ですかそりゃそうですよね。ええっと、本当に申し訳ありません。大変遅くなりましたが、白澤様に代わってお薬お持ち致しま―――……って、え?

『すみませんでした』?


*第陸話*


ピシリ、と凍りつく空気を破ったのは、傍の机で仕事をしていた閻魔大王の悲鳴だった。
「鬼灯君……!だからちゃんと休んでって昨日言ったの―――ぶふぅっ!!?」
「そう言うなら、こんなになるまで仕事溜め込まないでください」
閻魔殿の主は、部下のところに辿り着く前に、見事に壁まで吹っ飛ばされた。

「酷いよ!鬼灯君!ワシは君を心配して―――」
「一体誰の所為で四徹してると思ってんだ、あ゛ぁ?」
「ひぃっ!!?ご、ごめん……」
(なんか、凄い親近感……)

自分と白澤に比べて、彼らは数十倍過激だけれども。
縮みあがった閻魔大王に深く溜息を吐き、鬼灯は壁から金棒を引き抜いて戻ってくると、再び頭を下げた。
「失礼しました、桃太郎さん。
 では改めて―――すみませんでした」
「うわあぁああぁ!?やっぱり聞き間違いじゃなかった!!
 あの鬼灯君がこんな謙虚に謝るなんて……!きっと仕事のし過ぎで頭が―――がはぁっ……!!」
「やかましい。
 話がややこしくなりますから、大王は暫くそこで寝ててください」
鬼灯は微塵の躊躇いもなく、上司を一蹴した。
まるで呼吸のように自然過ぎるやりとりに茫然としていた百は、漸く我に返る。
「あの、鬼灯さん。謝るのはこっちの方ですよね?
 配達、遅くなってしまって本当にすみませんでした。
 しかも、こんなにお疲れの時に……」
「いえ、私が謝っているのはその件のことではなくて……まぁあの色情魔は今度必ず潰しますが、それは置いておいて。

 本当にすみませんでした、『百さん』」
「ああ……そういうことですか」

久しく呼ばれていなかった懐かしい名前に、やっと事態が飲み込めた百は息を吐いた。
「ルリオですか?あいつ、変なところで心配性だからなぁ」
「それと、柿助さんも。シロさんは若干状況を把握できていないようでしたが」
「でしょうねぇ」
天国に来てからも、ルリオと柿助は百の死因をそれとなく察しているようだったが、シロは何故『ああ』なってしまったのかよく理解できていない節があった。
桃源郷を訪問してから鬼灯のところに来るまで時間が空いたのも、白澤の性質を察知していたのがシロだったからなのだという。しかし、仮にも中国の由緒ある瑞獣を『メス臭い』と形容するとは。我がお供ながら、なんとも生々しい表現をするものだ。まぁ、一番問題なのは、そう表現される程享楽に溺れている我がお師匠様ではあるのだけれども。
「でも、鬼灯さんが気に病むことはないでしょう?
 男の格好をしているのは俺なんだし、まして『桃太郎』って名乗ってるんですから。まさか女だなんて普通誰も思いませんよ」
「いいえ。来歴も確認せず、昔話の先入観から決めつけた私の職務怠慢です。
 普通の職場ならいざ知らず……よりにもよってあの女狂いのところに、貴女のような人を紹介してしまうなんて」
「……。それも、ルリオたちが?」
「違います。お三方に話を伺ってから私が個人的に調べました。
 ここ閻魔庁には、『記録課』という亡者の一生を記録し保管している部署があるのです」
「へぇ……地獄にはそういうところもあるんですね」
なるほど。ならばもう、鬼灯は全てを知っているのだろう。
百は安堵した。中途半端に事情を知られているより、その方が楽でいい。のらりくらりと誤魔化し続けるのは具合が悪いし、何より、彼は勘が鋭くて頭も回るから何かと面倒そうだ。

「―――それで、どうしますか?」
「どうするって……何をです?」

今の仕事のことに決まっているでしょう、と彼は呆れた。
「俺は大丈夫ですよ?鬼灯さんって、意外と心配性なんですね」
「私は現実に考えられる可能性を危惧して提言しているだけですが。
 事実を知らなかったとはいえ、アレのところに貴女を紹介したのは私です。私は貴女に仕事を斡旋したのであって、酷い目に合わせるために桃源郷へ行かせたわけではありません。勿論、あの偶蹄類の目鼻の先に人参をぶら下げるためでもない」
「あははっ!長年『桃太郎』やってきましたけど、人参に例えられるのは初めてだなぁ」
「呑気に笑っている場合ですか。
 貴女……まさか既に手篭めにされているんじゃないでしょうね」
「いやいや。それこそまさかですよ」
細い目をさらに細めて値踏みするようにこちらを睨む鬼灯に、百は苦笑した。

「本当に、大丈夫なのですか?」
「だから大丈夫ですって。
 確かに白澤様は割とマジで屑だと思いますけど」

来る者拒まず去る者は追わず。女と酒に溺れて、日々悦楽に耽る。
百の師匠は、享楽主義の手本のような男だ。
「貴女も結構言いますね」
「鬼灯さん程では。
 でも、あの人は屑ですけど、本当にどうしようもない屑じゃないですから」
既婚者や彼氏持ちには手を出さないし、女性を見境なく口説きはするけれど、嫌がる者に無理強いはしない。無論、やっていることはお世辞にも褒められることではないが、そういう人だと知っているからこそ信じられる。
もしも本当のことがばれてしまっても、あんなことにはきっとならないだろう。

「それに。あれで結構居心地いいんですよ、あそこ」
「……」

金遣いはとんでもなく荒いし、女癖の悪さは言わずもがな。お調子者で限度を知らないし、酔っ払いの介抱は物凄く面倒だ。本当の本当に、何処までも手間のかかる人なのだけれど……。
どうやら自分は、存外世話焼きだったらしい。
「あ。俺がこんなこと言ってたなんて、白澤様には絶対に言わないでくださいね」
「言いませんよ。アレが調子に乗るのは目に見えています。
 ……正直なところを言うと、私個人としては貴女にそうして頂けるととても助かります」
貴重な薬が必要になる度に、極楽満月に出向いて白澤と顔を合わせるのは気が滅入るのだ、と鬼灯は渋い顔をする。薬の注文が入る度に店を破壊されるのは百も望むところではないので、彼に合わせて神妙に頷いておいた。

「百さん。何か困ったときには、私のところにおいでなさい。
 微力ながら、私のできる限り力になりましょう」
「何言ってんですか。この上ない後ろ盾ですよ。
 気にかけてくださって本当にありがとうございます、鬼灯さん」

もしも、鬼退治に鬼ヶ島へ向かっていた頃の自分に今会うことができるなら、教えてやりたいと思う。
鬼だから、人だから。そんなことは関係ない。
その者がどうあるかは、その者自身の在り方によるものなのだ、と。
差し出された真摯な鬼の手を取って、百は心から彼に感謝した。
 


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