第捌話


 
むかしむかし、千年ぐらい前のことでした。
『和漢親善大会』という、今でいうオリンピックのような大会が地獄で開催されることになりました。
中国の『乳白色組』は中国神獣の白澤を、日本の『赤黒色組』は閻魔大王補佐官の鬼灯を、それぞれ国の審判として指名しました。選手として出場するには、彼らはあまりにもずば抜けていたのです。
彼らはそれまで何度か顔を合わせたことはあったものの、長期に渡って共に仕事をするのは、それが初めてのことでした。
これは、神獣白澤と鬼神鬼灯の因縁を決定的なものとした、とても有名なお話です。
彼らの不仲を知る人々は、この話を聞くと皆一様に口を揃えてこう言います。

くっだらねぇ、と。


*第捌話*


昼下がりの極楽満月のカウンターに、3つの湯呑が並んでいる。
お香が非番でこの後特に予定もないことを聞きつけた白澤が、彼女をお茶に誘ったのだ。今は店に他の客もいないので、百もそれに付き合うことにした。

「ふぅ〜、美味しい。仕事をした後の一杯は格別だね!」
「まだ営業時間終わってないんですが。というか、緑茶啜って言う台詞ですか、それ。
 湯呑の中身、熱燗にすり替えてんじゃないでしょうね?」

お茶請けの饅頭をのせた皿を白澤とお香の前にそれぞれ置いて、百は白澤の隣に座った。
「あれ?桃タロー君、お饅頭は?」
「あ、いえ。俺は食べる気分じゃないので」
「もしかして、あと2つしかなかったの?」
「……。俺は別にいいんです」
この神獣は酒と女のことしか考えていないように見えて、どうして妙なところで勘が良くて人が良い。
しかし、できれば状況も察して欲しかった。お香が申し訳なさそうにこちらを見ているのだ。
「あの、桃太郎さん良かったら私の……」
「お香さん、大丈夫ですから。
 お二人とも、どうぞ気にせずに召し上がってください」
「昨日美味しいって言って食べていたじゃないか。
 全く!どうして変なところで遠慮するの」
小言はいつも平気でズバズバ言う癖に!と唇を尖らせる師匠に、百は顔を顰める。
自分だって、言いたくて小言ばかり言っているんじゃない。白澤の女癖と酒癖とサボリ癖が酷過ぎるのがいけないのだ。彼は百の師匠であり雇い主で、年齢も遥かに年上だし、そして何より神様なのだから、尊び敬うべきなのは勿論十二分に分かっている。

「しょうがないなぁ。
 はい、桃タロー君。これあげるよ」
「え?いやだから、俺はいらないって……」
「僕は半分で十分だから。いいの」

白澤は半分に割った饅頭を百の前に置いてそう言うと、ぱくりと残りの半分を頬張った。
「いや、でも……」
「たへらさい!ほへはひしょうめいれひらよ!」
「分かりましたから!食うか命令するかどっちかにしてくれ!
 あぁもう!カスを零すな汚いでしょ!」
ずびし、と指さす指や食べかけの饅頭から、ぼろぼろと欠片がカウンターに落ちていく。
慌てて皿をもう一つと布巾を取り出して、百は溜息を吐いた。
「……じゃあ、お言葉に甘えて頂くことにします。
 ありがとうございます、白澤様」
「うんうん、不客気〜」
「……」
自分の取り分が減ったというのに、何故か嬉しそうに頷かれてしまった。
どうしていいのか分からず、誤魔化すように百が饅頭に齧りつくと、白澤はますます機嫌を良くするから堪らない。
これだから困るのだ。
どんなに白澤を面倒に思ったり、その悪癖に辟易したり迷惑を被っても。不思議とどうして、彼を心底嫌いにはならないし、何処か憎めない。
結局のところ、この神様の気の良いところに絆されてしまっているのだと思う。

「ふふふ、お二人は仲良しなのね」

そんな百と白澤のやりとりを見ていたお香が、くすりと笑う。
「地獄でも最近、桃太郎さんのことが噂になっているのよ?
 こんなに長く続いた人型のお弟子さん、初めてだもの」
「確かにそうだねぇ。兎の子たち以外では、桃タロー君が初めてかも」
「まぁ、白澤様って物知りだし教えるのも上手いですけど、実生活最悪ですからね」
「上げて落とさないでよ!
 折角の美味しいお饅頭が不味くなるよ!」
「そうですか?普通に美味しいですけど」
程良い甘さの饅頭は、温かい緑茶にとても良く合う。
目を細めて茶を啜る百に、お香はくすくすと笑いを堪えていた。
「本当、美味しいわねぇ」
「お香ちゃんまで!」
「あ。このお饅頭、地獄の甘味通の中で近頃密かに流行ってる和菓子なんだそうですよ。
 この間、鬼灯さんにお店を伺って。それで買って来たんです」
「……。ますます不味くなった」
純粋に店を紹介しようと思って言ったのだけれど、一言余計だったか。
うげぇ、と顔を歪める白澤に、百は首を傾げた。
前から思ってはいたが、どうして白澤も鬼灯もここまで互いを毛嫌いするのだろうか。何かきっかけでもあるのか、と師に問うても、苦々し気に湯呑に口をつけるばかりで返答はない。

「えーっと……あれはもう、千年くらい前のことだったかしら……」

これは閻魔様から伺ったお話なんだけれどね、と見かねたお香が徐に口を開く。
『和漢親善大会』の審判として、白澤と鬼灯はそれぞれ母国から任命されたのだそうだ。行われた競技は武道系だけでなく、知識系や妖怪による妖術対決まで幅広いもので、彼らはその並はずれた能力から総合審判を任されていた。
「あのときは私もスタッフとして参加していたのだけれど。
 正直女の子たちは、競技そっちのけで審判の鬼灯様と白澤様ばかり見ていたわねェ」
「そりゃあ、お二人とも普段からモテるんですから。
 ごってごての正装なんか着た日にゃ、視線集めまくりでしょうよ」
「だからこそっていうのもあるんでしょうけどね……。
 日本は国産の織物をアピールしたかったみたい。そうしたら、中国の方も当然対抗するでしょう?」
「おいおい、大会の主旨どこいった……」
まぁスポンサーも大事だし、気持ちは分からないでもないが。それではあまりに選手たちが可哀想だ。

「でも、『諸葛孔明VS聖徳太子』の知恵比べは皆見入ってたよ?
 今でも勿論有名だけど、当時は特に人気だったからねぇ」
「何ですかそれ!凄い見てみたい!」
「アレは面白かったよー」

後世に名を残す偉人たちって、やっぱり何処かぶっ飛んでいるよね、とお茶を啜りながら、当時を振り返って白澤は目を細める。その後の彼らの知恵比べは、途中から太公望や卑弥呼まで巻き込んで、競技が終わる頃にはドンチャン騒ぎだったらしい。
他にも楊貴妃や小野小町といった歴代の日本・中国の有名人の大会での様子を、白澤は沢山話してくれた。まぁ、話のほとんどが女性の偉人たちのことではあったけれど。

「うわー、凄いなぁ……俺も行ってみたかった―――って違う。
 壮大なナニコレ珍大百景はもういいですから、お二人に何があったのか教えてくださいよ」
「えぇー……」
「まぁまぁ、白澤様」

いつの間にか白澤に主導権を握られて話を逸らされていたことに、百は漸く気が付いた。
指摘して話を戻そうすると、彼は不満そうに頬杖をつく。見かねたお香が再び間に入った。
「休み処にお二人で休憩されていた時のことだったらしいんだけどね……」
両国の総合審判である彼らは、必然的に休憩も一緒になる。
元々相性があまり良くなかったので、休憩している間もほとんど会話はしなかったらしい。長椅子に離れて座って、むっつりと黙りこむ鬼灯と白澤の姿が目に浮かぶようだった。
総合審判として気を張っている合間の、僅かな休憩時間。
だというのに、そんな重い空気の中では少しも気は休まらない。それに先に音をあげたのは、予想通り百の師匠の方だった。

『……賭けようか?』
「いやいや。だからってなんで唐突に賭博もちかけてんですか」

だって、あいつと特に話すことなんて思いつかなかったんだもの、と白澤はぶつぶつと呟く。
しかも賭ける内容も内容で、『次にこの休み処に入って来た女人の胸囲のサイズが、二尺八寸以上か否か』だというのだから、呆れるばかりである。
驚いたのは、鬼灯がその賭けに乗ったことだ。てっきり一蹴したのだろうと思ったが、案外そこまで堅物ではないらしい。あの人ってノリが良いんだか悪いんだかよく分からないのよねぇ、とお香も首を傾げていた。

「それで、結局どっちが勝ったんですか?」
「うーん……そこが問題なのよねぇ」
「アレは僕の勝ちだよ」

湯呑をぐい、と一気に呷って、白澤は据わった目で言い放つ。
事情が分からず困った百がお香を窺うように見ると、彼女は白澤を宥めて話を続けた。
白澤は『二尺八寸以上』に、鬼灯は『それ以下』に賭けて、休憩所にやってくる人影を待っていた。
そして、程なくして1人の人物がやってきたのだが……。
「その倭人のスタッフなんだけど……その人がなんていうか、その。
 男の人なのか女の人なのか、良く分からなかったの」
お香はちらりとこちらを気まずそうに見て、それだけ言うとお茶を啜った。
「でも、あれはどう見ても以上だったんだから!」
「その上、その次に来た人が明らかに女性で、見るからに以下の人だったみたいで……」
「あー……それは揉めますね、この人たち」
一方は最初に来たスタッフの胸囲を理由に、もう一方はその性別が不明なのだからと、それぞれ己の勝ちを主張するだろう。千年経った今でも白澤がこの反応なのだから、鬼灯もきっとまだ根に持っているに違いない。

「しかし……いつものことながら、ほんっとーにくっだらない喧嘩ですね」
「うるさいなぁもう!とにかく、アレは僕の勝ちなんだから!
 別にいいでしょ、ほっといてよ!」
「良くないでしょう。
 仲裁入って胸に北斗七星刻まれた閻魔大王の身になって考えたらどうなんですか」

あとついでに、日頃あんたたちの軋轢の被害を被っている人たちの苦労も少しは考えろや、と思う。
「う……大王には悪いことをしたと思ってるよ。
 あの時は、完全に頭に血が上っててさ……」
「はぁ……白澤様って鬼灯さんが絡むと本当大人気なくなりますよね……。
 ところで、ちょっと思ったんですけど。お香さん」
「えっ!なぁに?」
「あ、すみません。なんか驚かせちゃったみたいで……。
 問題の女性か男性か分からないスタッフの方って、日本の鬼だったんですよね?」
「こちらこそごめんなさい。ちょっとぼうっとしちゃってて。
 そうね。スタッフは両国の地獄の職員が大半だったし……」
「だったら、頑張ればその人見つかるんじゃないですか?」
千年前のことだからないかもしれないが、名簿がもしも残っていればすぐに分かるだろう。お香に問えば、恐らく閻魔庁の倉庫に記録が残っている筈とのことだった。
「申し訳ないんですけど、調べて貰うことってできますか?お香さん」
「ええ、勿論!帰ったら調べてみるわ」
「ありがとうございます。
 そのスタッフさんには失礼ですけど、この際白黒はっきりつけてしまいましょう。
 それで勝ちなら勝ち、負けなら負けで、もう仲直り―――」
「…………」
「……するのは無理そうなので、とりあえずこの件に関しては水に流すということで。
 それでいいですか、白澤様?」
「うん……まぁ、分かったよ」
渋々頷く師匠に肩を竦めて急須を取ると、空になっていた彼の湯呑に茶を注ぐ。
お香もいるだろうか、と百が視線をやると、彼女は手で口を押さえて小さく震えていた。

「本当にお二人は仲良しなのねぇ」
「「……?まぁ、悪くはない(です)ね」」
「ふふふ……本当、仲良しねぇ」
「「???」」

忍び笑いを続けるお香に、百と白澤は顔を見合わせて首を傾げた。
―――ちなみにその翌日、件の人物はニューハーフ(性転換手術未施術)だったと判明する。神獣と鬼神が電話越しに下らない激論を交わすのを見て、百は早々に匙を投げることになるのだが……。
それはまた、別の話である。
 


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