籠屋短編 | ナノ

宵と音



「イルミネーションがとても綺麗だったわ! まあ、ご存じないの? ほら、このような光のことを言うのよ」
「これは、また奇怪な」

 和装の男はフリルたっぷりのドレスの女が指を添える小さな箱を見つめると、その中に映し出されたどこかの風景にそれ以上の興味を示さなかった。彼が奇怪というのは、女の持つ箱であり、同意を求める行為であり、切り取られた風景を、さして興味もなく眺めた自分へ向けたものである。
 男の言葉を受け取り損ねて、女は首をかしげるも外をあまりに知らぬ彼に抱いたものを捨てきれずに話を続ける。

「多忙すぎるわ、貴方。見に行くことくらい、したらいいじゃない。そうだ、お土産があるの。チョコレートよ。このあいだどんなものか知りたいと言っていたでしょう?」
「ち……?」
「チョコレートよ。言ってごらんなさいまさか忘れたなんてないわよね?」
「ちょこれーと、ですか」
「味も覚えるのよ。貴方、私が焼いたケーキの事すら忘れたんだから」
「あの丸い菓子でしたら、皆で分けて頂いたと御返事した筈ですが」
「何のケーキだった?」
「卵と──」

 金の眼は思い描いた情景を捉えきれずに瞬いた。

 思い出と呼ばれるものは吹き消した香の最後に上げる煙のように形を保たぬままに溶け、音は彼に馴染むことなく通り抜けていった。
 女が先程見せた風景の名前でさえ、靄がかかり何であったかを思い出すことができない。

 旅行好きだという女は、たまに顔を見せるくらいの──その頻度さえ覚えてなどいない。
 礼を欠いている事に対し女は辛抱強く、寛容だった。礼儀を重んじる彼が覚えられない物事は、流行りのものであるとか、外国のものであるとか、機械類であるとか、キャラクターものであるとか──そう、横文字が並ぶと数秒後には覚えているか怪しく、数日後には綺麗に忘れている。残骸と言っていい断片から記憶を繋ぐことにひどく苦心しているのは伝わるが、せめてキャラクターくらいは覚えていてほしいものだ。
 単に物覚えが悪いのではなく、横文字に限定して激しく覚えていただけないので女は興味を持ったのだ。

「貴方、人は好き?」

「──ええ、好きですよ」

 間があった。彼は躊躇ったのだ。すぐに返答できない突っ掛けた何かが、彼のやんわりと、優しく綻ぶような笑みに乗り、この距離から先を踏ませまいとする心配りに、返す言葉がない。元々意地悪な問いをした。

「くしな様は問い掛けが御好きですか?」

 女ははっとする。横文字の名前を一切覚えてくれないので、平仮名で呼び名を教えると一発で覚えてくれたむなしさと共に男を見ると、優しく笑う金の眼に、映る筈の自分の姿が見えなかった。
 男は返答のない女の沈黙に更に柔らかく笑って、着物からすっと畳へ指を伸ばす。
 しなやかな所作、花の香り。するりするりと動く指を追う。

「わたくしの住んでいた土地には境がございまして、こちらが見上げようとも、欲しいものなど返ってはきませんでした。似たようなもので御座います、いかがでしょう」

 言葉と共に止まった指を見つめることしばし、同時に視線を上げかち合う。ただし相手は笑っている。この男、横文字には弱いくせに他ではそうもいかない。やんわりしながら板前しているだけはあると、その思考すら読み取られていそうなものである。

「空、かしら」
「何故そう思われましたので?」
「貴方、見上げていそうだもの」

 くすくすと、男が笑う。口許へ指をやって、いとおしそうに眼を細めて。

「またの機会に、御答えします」

 覚えて、らしたら。

「海外のお土産で舌を巻かせてやるわ。覚悟してらっしゃい」
「お気をつけて、くしな様」


 女は年に数度訪ねてくる。
 その度に、土産の後に答えを当てるところからまた始めるのである。
 




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