籠屋短編 | ナノ

宵さんの夏



 その夜は久しく暑かった。着物の袖をまくるなど料理の時だけで済むというのに、いつもなら気に入り肌を撫でる心地がただまとわりつく布と化してしまっていた。
 濃紺のそれを見ながら困った顔をするも、じんわりと滲む汗は風さえ吹けば心地よいはずだと言い聞かせ、涼しい顔をして薄暗い廊下を歩いた。


 いつもなら着替えを済ませてから人に会うというのに、そのままでいいから今すぐにきてほしいのだと客が騒ぎ立てたのだという。
 整わない身なりで人に会うなど避けたいことこの上ないのだが、皆が迷惑しているのなら早く済ますにこしたことはない。
 ぱたぱたと事を伝えにきた受付嬢の、何度も頭を下げながら涙声で話す様は見ていられるものではなかった。

 店の門を閉める時間はとっくに過ぎている。
 飲み過ぎ帰らぬ客など寝かせておけばいいものを。普段なら身なりを整えて、寝かしつけるなり話を朝方まで聞くなりするのだが、調理場の支度もままならないうちに呼び出されたとあってはそうもいかない。
 早々に片を付けて山積みの作業を済ませた後は朝方お帰りの客をにっこり万全に見送らねば。


 黒い足袋は襖の前で止まっていた。そもそも出番ではない。足袋すら、黒のままなどと。
 襖の前に両膝を付き、丁寧に頭を垂れる。



「宵ノ進にございます」



 言うと襖が勢い任せに開いた。
 薄暗い廊下に比べひどく明るい室内の光が藁色の髪を照らすと、影が伸びそれを遮った。




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