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■似ている二人の会いたいという衝動
どうして?!
その疑問と憤りと落胆が織り交ざった声を、千尋は常世のアシュヴィンの寝室で、アシュヴィンは橿原宮の千尋の寝室で、それぞれ心中で叫んでいた。
事は半日ほど遡る。
「アシュヴィン、私今から中つ国へ行ってくるわ」
そう言ってアシュヴィンの執務室に千尋が慌てて顔を出したのはもう日暮れも近い時間だった。
「今からか?」アシュヴィンは手元の竹簡から視線を離し、訝しげに顔を顰める。
「何か緊急で処理しないといけないことが出来たらしいの。女王(わたし)の採決が必要だからすぐ戻って欲しいって今風早が来ているのよ」
「そうか…今夜は早く上がれるはずだったんだがな」
アシュヴィンは残念そうに溜息をつき椅子に深く腰掛けた。多忙極まりない皇・皇后夫妻は最近二人きりで過ごす時間が持てていない。「ごめんなさい」それが分かっているからこそ千尋は申し訳なさそうに肩を竦める。
「明日の朝一番に帰ってくるわ。だから笑顔で見送ってちょうだい、アシュヴィン」
「ああ。俺の我儘で中つ国から太陽を奪いたくはないからな」
アシュヴィンは苦笑気味だがそれでも笑って手を上げた。千尋もはにかみながら頷き、しかしすぐに踵を返して幽宮を後にしたのだった。
――さてそれから数刻後。日もすっかり傾き、篝火が常世、中つ国、それぞれの宮に点り始めて久しく経ったときである。
(淋しい…)
それぞれの寝室の寝台の上で、アシュヴィンと千尋は同じことを思って過ごしていた。
アシュヴィンは予定通りいつもより早めに責務を終えて寝室へと戻り、千尋も思ったより早く用が済んだ為暇を持て余して寝台の上に寝転がっていたのだ。
(一人きりは久しぶりだな…)
二人きりの時間は少ないが、それでも二人は毎日共に眠ることにしていた。それが完全に一人きりなのは久しぶりである。隣りにいつもあるはずのぬくもりがないのはこの上なく淋しい。
(…この時刻なら)
アシュヴィンは外套に手をかけ、千尋はむくりと起き上がった。
この時刻なら、今から行けば、帰れば、千尋の、アシュヴィンの、就寝には間に合うかもしれない。
そうしたら、一緒に眠ることくらいは出来る。
「黒麒麟!」
「風早!」
アシュヴィンと千尋はそれぞれの従者を伴い、至急で宮を出たのだが。
(どうして?!)
行く道はアシュヴィンは空、千尋は陸である。故に完全にすれ違いのまま、二人は互いがいない寝室を目の前に呆然と立ち尽くし、そうして冒頭に戻るのである。
「だから俺は言ったんですよ、千尋。大人しく朝が来るのを待った方がいいと」
千尋は風早から苦笑を向けられ、アシュヴィンはアシュヴィンで夜中に喚び出され気が立っている黒麒麟に気配で苦言を呈されていた。
「何でこんなことに…」
二人はがっくりと項垂れる。「似た者同士ですねぇ」とこれは風早の言だ。
「でもこれではさすがに可哀相かな…」
風早がぽつりと呟いた言葉は生憎と打ちひしがれている千尋には届いていなかった。風早はにっこりと微笑むと一度その場から姿を消した。
ふわり、暖かな風が千尋の頬を撫でた。それと同時刻に黒麒麟がアシュヴィンに鼻面を寄せる。
千尋が風の吹く方へ顔を向けると、そこには白い神獣――白麒麟が居た。
「え、白麒麟?」
「どうした、黒麒麟」
千尋は神獣の突然の登場に首を傾げる。アシュヴィンは黒麒麟の目を覗き込む。
二匹の神獣は、互いの主に「乗れ」と命じた。
言葉はなくても気配でそれを感じ取った二人は、不思議に思いながらひらりとその背に跨る。
『クオオオオオ…』
透明な鳴き声を上げて二匹は空へと飛び立った。
「どこに行くの、白麒麟?」
「どこに行くんだ、黒麒麟」
主の疑問には何も応えず、夜風を切り、星を駆け、白麒麟は洞窟を抜け、二匹は互いの主をある場所へと下ろした。
中つ国と常世の境である畝傍山だ。
「一体ここに何が…」
麒麟の背から降りたアシュヴィンと千尋は、互いに被った声にはっと振り返った。
「千尋…?」
「アシュヴィン!?」
互いの姿を目にした二人は、駆け寄りながら互いに目を見張る。
「アシュヴィン、貴方一体どこに行ってたの?」
「それはこちらの科白だ。お前の方こそどこへ行っていたんだ」
「私は常世へ戻っていたの。どうしても貴方に会いたくて…」
「俺もお前に会いたくて中つ国へ来ていたんだぞ」
しばしの沈黙が二人の間に満ちる。黒麒麟に近寄った白麒麟がまるで「お疲れさまです」とでも言うように頭を下げる。黒麒麟も白麒麟を労うように鼻を鳴らす。
「「ええっ?」」
気持ちの良い月夜に、似た者同士の似たような叫声が響き渡った。
〜終〜
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ちょっとお馬鹿な国王夫婦。でもトップがこんなだから二つの国は平和なのです(笑)
H22.1.20
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