目の前に立つ女はいつも通り顔はそこそこ、というかぶっちゃけ美人。
 よくわからないが今時の、睫毛がやけに重そうで頬がピンクだったりするんじゃなく控えめなメイクが一層美人度を引き立てている。
 胸のあたりまで伸ばされた自然な茶色の髪はゆるく巻かれていて、綺麗な天使の輪が浮かんでいた。
 当然服装も抜かりはなく、上品ながらも取っ付きにくくない程度にはカジュアルさを感じさせるそのセンスに、多少のあざとさは見てとれるがマイナスポイントにはならないだろう。
 間違いなく今まで来た中では一番ランクが高いその女は、長すぎない丸みをおびた爪にマニキュアを光らせながら髪をかき上げる。仕草も完璧なら上目使いでこちらを見遣る仕草も計算しつくされたように完璧だった。
 自分に自信もあるに違いない。微かに漂ってくる香水は甘く、好物のスイーツを連想させる。女が髪を触る度に甘い匂いは濃くなり、甘過ぎる匂いはツンと鼻先を刺激した。
 その女がこちらに手を伸ばしてきたので、その匂いが自分に纏わりつく前にやんわりと距離を取って。
 その目に見える拒絶に、女は虚をつかれ動きが止まった。
「悪いな」
 一言告げると、目を見開いて信じられないと表情が物語っている。今までこんな扱いを受けたことがないのは間違いない。
 隠しきれてないプライドを傷つけられた屈辱で顔が少し歪んでいるが、どんな表情でも美人は美人だ。
 むしろ美人にこんな顔をさせてしまう自分が無表情なことが不思議だった。慣れというものは恐ろしい。
 最初のうちは何度か動揺し謝り倒したりしていたのだが、どの女もそうすればするほどそれまでの泣き顔やショックを受けている素振りを反転させて迫ってきたので、やはり女というものは計り知れない。
「……どうして」
 やはり見た目通りの女じゃないな、と、その全く震えもしない強い声に思う。
 大きな瞳にも力強さが光り、こうでなきゃ母親なんてものにはなれないのだろう。男にはない強さだった。
 しかし、どうしてと聞かれても困る。非常に困る。困るというか、怒りが湧き上がってくる。ここで怒りを爆発させるのはもっと困る。困る連鎖で堂々巡りだ。
 まずはこの状況の原因が自分ではないので、最初から意思などまるっと無視されているということをこの女は知らない。
 無視されてるにしたって静雄にも自分の意見を言う権利があって、それに対してどうしてと言われても返す言葉もないし、それを辻褄立てて説明する気なんてさらにない。面倒なことは考えるのもやるのも嫌いだ。
「あんたに声かけた奴に聞いてくれ」
 それだけ言い残すとその場からのんびり足を動かした。道のど真ん中だったのでギャラリーがそこかしこから興味深げに伺っていたが、そんなのは知ったことか。
 最初から全部見られてたのなら、とっくにギャラリーに気付いていただろうあの女のプライドはそれこそズタズタなのは静雄にだってわかる。
 たった今、振った美人を振り返ることもせずにポケットから取り出した煙草に火を点けて思い切り吸い込む。
 肺を満たす煙と共にひとつの顔が脳裏をよぎるのを、無理矢理追い出そうと息を吐いた。

 そのまま仕事に戻って、尊敬する上司を待たせてしまったことに平謝りする。
 昼休みの間に抜けさせてもらったのだが思った以上に時間をくってしまったおかげで昼飯も食い損ねていて機嫌は悪くなるばかりだ。
 キレる、というところまではさすがに先輩であり上司でもある男の手前いかない。むしろ腹を空かせた自分にに行きつけのファーストフードからテイクアウトしてくれていたことに、ただただ頭の下がる思いしかなくて。
 優しい上司は謝っても「気にすんな。昼なしはキツイべ」と笑って手を振っていた。
 食べてから出るかという気遣いを振り切り、もしゃもしゃと冷めてしまったポテトを咀嚼しながら午後の取立ての為に池袋の街中を歩く。食べ歩きは行儀が悪いとも思うが、時間も押してるので食べながらも足はいつもより早いペースで動かし後に続いた。
「しかし美人だったなー」
 油と塩分でベトついた指を舐めていると、前から独り言のような声が聞こえ思わず眉が寄る。
 静雄の返事は求めてない響きだが、この上司に対して静雄が返事をしないなんて選択肢は存在しなかった。
「……っス」
「おまえ最近すごいもんなー。今月に入って……何回目だ?」
 ひの、ふの、と指折り数えて前を進む上司には後ろを歩く静雄の顔は見えてないだろう。むしろ見ないでくれた方がいい。
「10回はくだらねぇよなあ」
 ハハッと笑うとその話題を引っ張るつもりもないのか、頭の後ろで手を組んだ。良かった、このまま何でもないように目的地へ着けばそれでいい。
 自分でもこめかみに青筋が浮かんでいるのがわかる。
 血が沸騰するようなこの感覚がぐらぐらと全身に回る原因はひとつしかない。ちょっとしたことで感情のメーターを振り切ってしまうが、振り切るどころかメーターを破壊するほどに爆発させるのは今も昔も一人だけなのだ。
 あいつのことは今は考えまいと静雄にしか出せない音を立てシェイクを飲む。
 赤みを帯びた瞳がチラついてしまうのはどうしても消せなかったが。
「お、着いたぞ。あのマンションの三階」
「うす」
 その声に意識を引き戻され、キュイッと最後にひと吸いした静雄は仕事に集中しようと紙コップを握り潰した。



 池袋だろうが新宿だろうが夜はどこにでも訪れる。暗いか明るいか、といえばネオンや街灯のおかげで外でも目視で見渡せるくらいには明るい。
 それでも安物の百円ライターで煙草に火を灯せば至近距離で見た炎に目はやられ、街路樹の陰は先ほどより暗く人通りも少ないことから靴音だけがやけに響いていた。
 その靴音も人口灯が反射するくらい磨かれたエントランスの床で、ますます自己主張し静雄の耳を打つ。
 この新宿にあるマンションは住んでる人間──といっても静雄は一人しか知らないが──からして高級なのだろう。携帯灰皿で短くなった煙草を揉み消しながらボタンを押し部屋の主を呼び出した。
「ああ、シズちゃん?」
 今開けるー、と軽い調子で聞こえる声音にやましい意図は読み取れない。イラっとくるより先に自動ドアが開き、一階に降りていたエレベーターに乗り込んだ。
 目指すは最上階であり、何度も通ったおかげで何も考えていなくとも身体は勝手に動いてひとつのドアの前に立っていた。
 鍵はかかってない。少なくとも静雄が来たときはいつもそうだった。
「いらっしゃーい」
 夜道でもかけていたサングラスを胸ポケットにしまい、内側から鍵をかけると、奥の方から声だけ聞こえるが姿は見えない。
 勝手知ったるなんとやらで使えとばかりに揃えて置いてあるスリッパをひっかけ進む。奥のキッチンからマグカップを手にした臨也がひょいと顔を出した。
「ん」
 色の薄い液体が入った方のマグを静雄の手に押しつけると軽やかな足取りでソファに腰かけた。
 ぽすん、と間抜けな音で沈む臨也は立ったままの静雄を小首を傾げ見上げる。
「どうしたの?」
「どーしたもこーしたもねぇだろ、臨也くんよぉ」
 勢い掴み上げようと手を伸ばすがマグを持ってることに舌打ちし、まだ手を付けてなかったそれを一気飲みした。
 当然、温度のことは何も考えていなかったせいでピリッとした感覚に襲われた時にはもう遅かった
「っ……!」
「あーもう何やってんのさ」
「っ、テメ……!」
「いーから。ちょっと見せて」
 静雄と違い落ち着いた仕草でテーブルの上に件のマグカップを置くと、ずいと近寄ってくる。熱さに痺れる舌は口内の熱さえも感知し痛みを訴えていた。
 臨也の言う通りにするのはすごく癪だったが、とにかく舌を少しでも温度の低い場所に出そうと口を開く。
「あーあ、真っ赤になっちゃってるよ?」
 だろうな、と口は開いたまま頭の中で相槌を打つ。
 臨也の顔が近い。自分の赤くなった舌を見ている、その瞳に赤が覗いて昼間のことを思い出し臨也の肩を押し退けた。
「手前よぉ……何のつもりだ、ああ?」
「何いきなり。何のこと?」
「ざけんな。また女唆したんじゃねぇのか?」
 静雄の低い恫喝にも全く動じずに、ニコっとそれこそ満面の笑み。
「あーあの子ねえ!美人だったでしょ?俺としてはさー、前のもうちょっと素朴な感じの子いたでしょ?覚えてる?そっちのがシズちゃんのストライクゾーンかなあって思ったんだけど駄目だったしさ。今回のポイントは『ちょっと高望みかも…でも彼女にしたいタイプナンバーワン!』を目標に選んでみました!どう?どう?」
「うぜえ」
 ペラペラとよく回る舌だ。テンションもやたら高くその場でくるくるっと両手を広げて回っている。
 最後にビシッと人差し指を静雄に向けてウインク。ムカつくほどに綺麗な顔でテレビの中のアイドルよろしく決めポーズをされても何の感慨もない。
 とにかくウザいの一言しか出てこなかったが、これは臨也と話してるときの静雄の口癖のようなものである。出ない方がおかしい。
「まあシズちゃんがここに来てる時点で駄目だったの決定なのはわかってるけどねー」
 でもあれ以上はなかなかいないしなあ、と、ひとしきり騒いでから思案する臨也に、いつもなら一発殴っている静雄は12回目にして初めて、そう初めて尋ねるという行動に出た。
 けして脱力したからでも呆れが怒りを上回ったからでもない。


 一ヶ月ほど前、静雄は告白された。
 人の顔や名前を覚えるのが苦手な静雄にしても全く見覚えのない女で、取立て先に歩いてる最中にいきなり声をかけられ好きだと告げられた。
 静雄より年上で家庭的そうなその女の突然の行動に静雄は理解が追いつかなく固まってしまい、結局最後にはしどろもどろになりながらも断ったのだが、相手に泣かれて苦々しい思いをしたのを覚えている。
 名前も顔も知らない初対面の女と付き合うなどということは静雄には考えつかなかった。
 性欲処理だけの商売女や遊び慣れてる女はまず泣かない。普通に付き合うことが最初から頭にないので後腐れもなくいられるが、そういう女の気楽さとは違う付き合いを求められても対処のしようがなかった。
 なんとか切り抜けた、と思ったら数日後にはまた見も知らぬ女に告白される。
 断る。告白。断る。告白、の無限ループもこれで12回目。
 数回目の告白後にばったりはち合わせた臨也の態度からこの男の仕業とわかり、それからは毎回その日のうちに新宿にある臨也のマンションに通うのが習慣となった。
 池袋で出会えば殺す殺すと物騒な気持ちが膨らむ相手ではあるが、ここは新宿で。この騒動が始まる以前から何のきっかけだったかは覚えてないが臨也のマンションには時々出入りしていた。
 いつしかこの空間では殺しあうような喧嘩はしないことが暗黙のルールとなっていて、臨也が作るその雰囲気に静雄もなあなあの付き合いをしていた。
 居心地は良かったのだ。
 何せ臨也の家では美味しいお茶や菓子は出てくる、空調は快適、仕事やチャットに夢中になってるせいか外にいるときより若干喋らなくなる臨也はそんなに気にならずに過ごせていた。
 新宿で見るのは今まで知らない臨也ばかりだった。
 高校の時だって憎々しく思いながらもクラスの女子が騒ぐ容姿は認めていた。澄ました感はあるが整い過ぎた顔が静雄の前でだけ見せる表情は、怒りに火を注いだが見惚れたこともしばしばだ。芸能人として活躍をしている弟も綺麗な顔をしていると身内の欲目じゃなく思ってるが、それとはまた種類の違う綺麗さで。
 何より臨也は誰もが視線を背ける静雄から目を逸らしたことがない。
 それはぐちゃぐちゃにされた青春時代を卒業し、喧嘩だけは卒業できずに成人し、さらに何年経っても変わらない、絶対に口にすることはないが臨也の中で認めている仕草のひとつだった。
 自然と目で追うようになる。
 ディスプレイを凝視しすぎて目が疲れたのか、コーヒーを啜りながら椅子をクルクルと回して窓の外を眺める臨也。
 携帯をいじりながら部屋の中を飛び跳ねるように歩いて、ちょっとした段差に足をひっかけ冷や汗をかいていたこともあった。
 何本も吸い殻を潰していた、いつの間にか置いてあった静雄専用の灰皿。片手で器用に雑誌をめくりながら吸い殻をキッチンスペースで処分し、再び静雄の前に灰皿が置かれる。
 その間、一度も雑誌から顔を上げず黙っていた臨也を逆にぽかんと見つめてしまったのはつい最近のことだ。
 少しだけ、いい関係を築けているのかもと油断していた。
 見たことのない臨也に、何気ない仕草に、ぼんやりと暖かい気持ちが灯っている自覚もあった。臨也だって静雄に文句を言うこともなく自然に接してきていたのも気持ちを加速させた原因だ。
 だからこそわからなかった。故意的に繋がりを壊そうとしてる臨也が何を考えているのかわからなかった。
 面倒くせえ、と軽く殴っていたが、そろそろ殴ることすらも面倒になりだしてしまっている。


「手前、なんで俺に女けしかけんだよ」
「へ?」
 さも楽しそうに、ああでもないこうでもないと全部口に出していた臨也がきょとんと見上げてきた。
 今日ここに来て初めてかち合った瞳は、予想外のことを問われたと言わんばかりに見開かれていた。いつもはニヤついてるせいで細められてるのに、そうするとやけに幼い印象を受ける。
「だからよぉ、なんで女に告らせんだっつーの」
「シズちゃんに彼女作ってもらおうと思って」
 当然のように言う。何故そんなことを聞かれるのかわからないという風情が理解不能で。
 お互い立ったまま手を伸ばせば届く距離。近くから漂う臨也独特のにおいが思考することまで奪っていく気がして静雄は無性に煙草が吸いたくなった。
「シズちゃんに彼女ができればさ、俺も君のことばっかり考えずにいられるかなって思うんだよね」
「は?」
 なんでもないように、それこそさっきの「いらっしゃーい」と聞いてるぶんには何も変わりなく言われても、今度はこちらが目を丸くする番だった。
 完全に臨也の言葉が理解できない。
「ここ最近……って言っても一年前くらい?からかなあ。仕事してても人間観察しててもシズちゃんのことばっかり考えちゃうんだよね。意味わかんない。人ラブ!俺はもっと人間を観察したい!のに、シズちゃん何してるかなとかご飯食べたかなとか今日はこっちに来るかなとか池袋行ったら見付かるかなとか、とにかく色々考えちゃってさあ。ぼけっとしてて仕事に支障が出るとか勘弁だし、とりあえずシズちゃんが彼女でも作ってくれたら彼女にかまけてここにも来なくなって俺も仕事に集中できるし人間観察はし放題だし万々歳じゃない?」
 ねえ?なんて同意を求められても何を言えばいいかわからない。
 臨也が話すにつれて顰められていった眉は今ではくっきりと皺を刻んでいるが、顔の表面が熱い。熱いのはきっと頬が染められてしまっているからだろう。元が色白なだけに首まで赤い顔色は目立つ。
 自覚はあったので片手で口元を覆っても、片手では耳まで赤いそれは隠せず。
「顔真っ赤だよ?熱でもあるの?君は年中バーテン服だからわかんないだろうけど最近結構夜は冷えるんだから」
 伸ばせば手が届く距離はあっさりと静雄の額に臨也の手を乗せる。熱はないみたいだけど、と離れていくその腕を力加減に気をつけながら掴んだ。
 ギリっと歯噛みした音が聞こえたのだろう。殴られるかと身を竦めたのでそのまま腕を引き寄せる。
「シズちゃん何してんの?」
「…………」
「ねえ、本当に何?気分でも悪いの?」
「手前よぉ……」
「うん?」
 殴られなかったことに気を抜いたのか、怒りだすこともなく静雄の腕の中にすっぽりと収まった臨也の腰に手を回しクロスさせる。すると不思議そうな顔で少し身動ぎするが腕に力を込めれば特に抵抗もしない。
 静雄はもう抵抗しない理由に気付いていた。
 鈍感、気が回らないなどと散々言われてきた静雄でさえ気付くのに臨也は肝心のところで頭が馬鹿になってしまっているらしく気付いてないらしい。
 というか学生時代からそうだが、元々この優秀な脳を持った男は仕事や趣味にしかその能力は発揮されず、自分のことは二の次三の次、楽しさだけを追い求めて生きてきた。
 自分の機微にはとことん疎い。だから──自分でも気付かず静雄に告白などしてしまうのだ。
「俺は彼女なんていらねえよ。だからもう余計なことすんな」
「え、俺が困るんだけど」
「知るか。手前なんて一生困ってりゃいいんじゃねーの」
 軽い口調でからかって自然な動きで臨也の顎に指をかける。間近にある作り物のような顔に薄く笑うと、まだ何か言い返そうとして開いた口に自分の舌を捻じ込んだ。
 驚いたのか反射かはわからないがドンと一度静雄の胸に拳が打ちつけられ、しかしその程度の衝撃では拘束が揺らぐことはない。
 唇に触れるより先に舌同士がぶつかったのをいいことに絡めて吸い上げる。ぬとりとした舌が滑る度に逃げようと口内の奥に引っ込んで、それを追って上顎の奥を何度も舐めると抱き込んだ臨也の薄い身体がびくびくと跳ねた。
「ふ、……は、ん」
 短い吐息だけがほんの少し唇が離れたときに漏れる。耳に届くのは余裕もなく上がった息と、じゅる、と零れ落ちそうになる唾液を啜る音。
 どちらともつかないそれがさらに繋がった口内の温度を上げる。
 と、それまで後手後手に回って追いたてられていた臨也の手が、ふいに静雄の服をきつく握りしめ、さっき火傷した静雄の舌先を唇で食み、ちゅ、ちゅ、ちゅと数回音を立てた。
 啄ばむ動きに下腹部がズンと重くなり射精を堪える時と同じ感覚が背筋を昇っていく。
 まるで口でセックスしているような快感だった。
 薄く目を開ければ頬を紅潮させた臨也はぎゅっと目を瞑り、角度を変えて貪ると長い睫毛がゆらゆらと揺れ眦には微かに涙が浮かぶ。溶けた卑猥な顔に煽られて、若干引け気味だった臨也の腰を両手で引き寄せ自分のそれと重ね合わせた。
 身長差はあるが壁に背を預け、腰を曲げ服の上から性器同士を擦り合わせる。
「ひゃあっ……!」
 咄嗟に腕を突っ張り臨也がのけ反ったので、ちゅぽんと音を立て唇が離れた。
 よほど強く吸っていたのか、赤く濡れ腫れぼったいその唇が薄く開いて漏れる声に、視覚と聴覚の両方が刺激され自分の質量が増す。ジッパーがぶつかるのがじれったくて、片腿を股の間にぐっと差し込み膨らんでいる臨也自身を押し上げる。
 当然自分のそれも臨也の太腿に押し付け円を描くように腰を回すと、しなやかな筋肉に擦れる感触にぐちょりとぬるつくのが気持ち良かった。
 すでに下着の中は先走りでドロドロになっているのだろう。
 ズボンにまで染みている液体で相手の服に新たな染みを作るという、マーキングを思わせる行為に今まで感じたことのない興奮で目眩がしそうだ。
「し、ずちゃ」
 上ずった声に名前を呼ばれるのがたまらない。
「なん、で……、ね」
「……何だ」
「あっあ!んっ……ヤバ、きもちい、くて、もっ……わかんなっ……!」
 臨也がぶるっと身震いしながら話すその言葉は意味を成さず、それでも静雄には何が言いたいのか伝わっていた。
 性急すぎる動きを一旦止めると、額に貼りついている黒く細い髪に指を伸ばしかき分ける。コツンとぶつければ、いつも目蓋にチラつく瞳が視界いっぱいに広がった。
「好きだ」
 熱い息を吐いていたその口が一瞬で息を止める
 近すぎて焦点がぶれそうで、それでも。
「……嘘」
 何度だって言わなければならない。自覚は、あったのだ。
 自分の気持ちに疎い臨也はこれから先きっと否定し続けるだろう。わからない感情は塞いで、それに連なる静雄の言葉をも否定するのだろう。
 現に快楽にも素直で弱いのだろうが、流され意識を飛ばしかけてる状態でさえこの調子なのだ。
「臨也」
 呼べばビクッと大げさなくらい細い肢体が跳ねた。茫洋としていた瞳に薄暗い赤が微かに灯る。
 静雄が綺麗だと思う、意思の宿った双眸だった。
 まだ欲望に流されていたいのか、それとも耳を塞いで逃げようとしているのかはわからない。
 ただ首元に回された腕に強く力が込められるのを感じて、縋りつかれていると錯覚してしまいそうだった。
 くっつけた額は暖かく、汗が空気に触れ冷えてしまった部分との温度差を切なく感じる。もっと、冷たいところなんてないように、溶けてしまうくらいの熱を心と身体で共有したかった。

 今は信じなくてもいい。
 もう捕らえてしまったし、逃がすつもりもない。


 13回目の告白を、静雄は初めて受け入れた。



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