ピピピ、と規則的な電子音が頭の上で響いて意識が浮上してくる。
 質で選んだ厚手の遮光カーテンのおかげで光に目を刺されることもなく、すんなり起きた臨也は睫毛を何度かしばたかせベッドヘッドにある携帯に手を伸ばすと、鳴り続けるアラームを止めた。
 すんなり起きた、とは言ってもそれなりに眠気はまだ燻っている。最近仕事が立て込んでいて、外回りではなくパソコンの前に座り続ける処理物の多さに何度眉間を揉んだかわからない。
 脚や肩だって痺れるような鈍痛で身体の不調を訴えてきていた。
 それでも昨日、正確には日付は変わっていたから今日の深夜には区切りを付けられ久方ぶりの柔らかいシーツの感触は臨也を一瞬で眠りへと誘った。
 このままでは辛うじて裸眼で過ごせている日常も近いうちにレンズ越しに見ることになりそうで、その煩わしさを思えば知らず溜息が洩れるのも仕方ない。
 乾燥した眼球を潤すように力を入れて強く目を瞑っては開くを繰り返していたら、ぼんやりとした頭も幾分晴れてきたので日課に取り掛かることにする。
「シズちゃん、起きて」
 自らも半身を起こしながら隣りでまだ布団に包まっている身体を揺すったが、うー、あーという少し掠れた声が聞こえるだけで全く起きる気配がない。
 身体と同じに揺れる金髪の下から覗く顔も、眉は顰められ「まだ眠い」と全面アピールしながら、それを隠すように枕に鼻から突っ伏した。
 小さな子供がむずかるようなその仕草に無意識に口元が笑みの形に変わるが、相手にしてるのは立派な大人なので甘やかす義理もなく、臨也はそのまま何度も根気よく身体を揺すり続ける。
「シズちゃん」
「……あー」
「ねえシズちゃんってば」
「うー……ん」
「本当にそろそろ時間切れだよ。仕事でしょ?」
 仕事という言葉に反応したのか、さっきと同じ意味不明な唸り声を何度か放つと、欠伸をしながら大きく伸びをしてやっと静雄が起きあがった。
 ブリーチの繰り返しで傷んだ金髪が絡まるのも気にせず頭をガシガシと、ついでにスウェットを捲り腹をボリボリと掻く仕草を横目で見ながらオッサンくさいと思っても口には出さず、すでにベッドから降りていた臨也はクローゼットから新しい服を出して着替え始める。
 仕事が終わってそのまま事務所で休んでしまおうか、とも思ったのだが、一日とはいえ留守にしていたのも気になり深夜タクシーを捕まえこのマンションに戻ってきた。
 しかし、そこで電池が切れてしまった。気を抜けば目蓋が落ちるのを必死で抑えながら律儀に半分スペースが空いた大きなベッドにダイブした臨也は、風呂に入るのも億劫で昨日から同じ服を着たままだ。本当ならシャワーを浴びてから袖を通したいところだが、朝は何かと忙しい。
 幸い仕事の区切りも付いたことだし、二、三日はゆっくり過ごすつもりなので日中にでも身体を流せば同じこと、と、勢いよくカーテンを開ける。
 光を遮るそれとは反対に眩い真っ白なレースのカーテンがひらりと揺れた。今日は快晴だ。
「……っ、あー、目ぇ覚めた……」
 覚悟して開けた臨也と違い、目に朝の光が直撃したらしい。
 ぶるっと頭をひと振りした静雄は、まだ緩慢ではあるが立ち上がり朝の支度に動き出す。
「ご飯できるまで顔洗って準備してきて。それと洗濯するから脱いだの洗濯機に入れといてね」
「おう」
 扉に手をかけながらその後ろ姿に声をかけると、臨也も足早に寝室を後にした。
 静雄は起きるまでは時間がかかるタイプだが、一度目が覚めてしまえばすぐに意識はハッキリする。わかっていたから念を押すことはせずキッチンに向かう。
 途中リビングのカーテンも開け、先に洗面所に寄って洗濯物を放り、頭の中では冷蔵庫の残り物を計算していた。
 家族用の大きな最新式の冷蔵庫は少し持て余し気味で、それでも中を見ればきっちり自炊していることがわかる程度には冷蔵も冷凍も埋まっている。肉などまで冷凍しておいて言うの何だが、食材をストックするのは実はあまり好きではない。
 少しでも痛んだら味が落ちるとまでは言わないし、ただ気になるだけでそんな素振りも見せてないので静雄は知らないだろう。臨也にしても気になるな、と、思い始めたのはここ一ヶ月のことなのだ。
 今日は買い物に出るつもりなので、ある程度の食材は使いきっても構わない。せっかくなら少し豪勢にしよう、と決めたらメニューも自然に浮かんでくる。
 体型から容易に想像できるが臨也は食が太い方ではなかった。だが、量こそ少ないながらも体調管理は生活の基本とし最低限のカロリーをきちんと摂取することにしているので、栄養もそこそこ考えて。
 何より自分の分だけ、の食事ではないのだ。
 手際良くまずは野菜を切り始めた臨也がいるキッチンと間続きのリビングからは朝のワイドショーでニュースを読み上げるアナウンサーの声が聞こえ、それを見ているのか見ていないのか、ソファに座った金髪からはゆるゆると紫煙が立ち上っている。
 どこの家庭でもありふれた日常の朝の光景が広がっていた。
 それを繰り広げている二人を知っている者から見ればミスキャストとしか思えない、そこが問題なだけで。


 折原臨也と平和島静雄は簡潔に説明すれば、犬猿の仲、天敵、一触即発、他にも色々あるが、第三者から見れば要するに仲が悪い。当然本人同士も出会った高校時代からずっとお互い気に食わない訳で。
 高校を卒業しても成人しても変わらないどころか悪化したその関係がこんな事態になっているのには、偶然が重なった、結論だけ言えば実に単純な原因があった。

 一カ月ほど前の夜、仕事帰りに池袋に寄った臨也はいつも通り静雄に見つかり、飛んでくる重さやら長さやら規格外の武器を避けながら全速力の鬼ごっこに興じていた。
 脚力も尋常ではない静雄を間接的に足止めする為と看板や水道管を狙ってナイフを投げようにも今回は狙いを定める余裕がなかなかできず。かといって反転して距離を詰めても結局静雄の身体にナイフが刺さることはない。
 無駄な体力を割く余裕なんて静雄相手に自殺行為だ。
 撒けるか、いや、でもどうしようか、考えあぐねてとりあえず公園を突っ切ろうとしたら背後の殺気が、消えた。
「…シズ、ちゃん?」
 常に殺す殺すと追ってくる男は、単純ながらも学習能力の塊だった。臨也が池袋の地理を隅々まで頭に叩き込んで逃走を図ったり罠を仕掛けたりしても次の機会には読まれることも多い。
 無意識に発揮する忌々しい程に鋭い勘を持つこの男に同じ手は何度も使えない。そしてやたらと執念深く、振り切るのは毎度容易ではなかった。
 そんな男の殺気が消えたことに恐ろしさより驚きが先に立って、何の確認もせずに上がる息のまま咄嗟に振りむいてしまっていた。
 闇夜に溶けて翻る自らのコート越し。
 そこには人気もない公園の入り口付近で大の字で仰向けに地面に寝転がっている、鬼ごっこの鬼。
 自分の前でこんなに無防備な静雄は見たことがなかった。
 驚きは倍増した、が、好奇心が勝った。
 少しづつ、ゆっくりゆっくり近づく。表情が伺えるまでの距離に到達するとしゃがみ込んで声をかけた。
「シーズちゃん」
「…………」
「シーズーちゃーん」
「…………」
 危険は全く感じなかったのでポケットに忍ばせていたナイフを握る手を離し、のんびり膝を抱えた。むしろ沸々とこみ上げる感情に思わず顔に笑みが浮かぶ。
 何故、静雄が倒れているのか。
 殺すことなど不可能な、反則的な肉体を持った男に何が起こっているのか。呆れるくらいにわかりやすい主張でわかってしまっていたから。
 夜といっても池袋は依然騒がしい。
 人の発する生活音というものはそれぞれが意識するよりも大きく、集まれば個々の音は一つに収束され喧騒となる。そんな中で響いたそれは。
「お腹、減ってんの?」
 クスクスと笑いながら問えば、返事とばかりに盛大に鳴る空腹を訴える腹の音。
「………っせー」
「喋る気力もないって重症だね」
「……うっせー、よ」
 目を閉じ、辛うじて吐息レベルの声量で言われても笑みが深くなるだけで。
 目の前の男を殺すという気分ではなくなってしまっていた。
 こんなに大嫌いな男に対して自分でも可笑しいと思うのに、間を置かず耳に届く可愛らしいと言えなくもない腹の音に絆されたのか、気付いたら近くのコンビニでおにぎりなんか買ってしまったりしていて。ついでに飲み物と中華まんは自分も食べたくなったからと心の中で軽く言い訳して。
 立ち上がれないほど弱ってる静雄を相手にしてもつまらない。空腹くらいで動けなくなるなんてそんなの化け物らしくないじゃないか。
 これも言い訳だと、気付いてはいたがすぐに意識をすり替える。
 自分がしたいようにしてるだけ、ただそれだけ。
 食べるにしろ食べないにしろ、この大きめのコンビニ袋を静雄に投げつけてやればどんな反応をするだろう。握り潰されるだろうか。いや、あの男はそういうところだけはきっちりしてるから食べ物を粗末にするようなことはしないだろう。
 では投げ返されるだろうか。自分からの施しなど受けるわけにはいかないと激昂するだろうか。
 反応を想像しながらも足は動いていたらしく、先ほどと同じ姿勢で街灯に照らされたまま寝転がっている静雄が見えてきた。
 臨也が離れていた間、そんなに人通りのない夜間の公園は誰も通らなかったか、通りかかったとしても地面に見るからに怪しげな男が倒れているのを確認した瞬間に回れ右だろう。
 何も言わずにここを離れていたので、静雄にしてみれば臨也はとっくに飽きて帰ったものと判断されていたのかもしれない。
 臨也を認めたときの瞳が驚いたように見開かれるのを見て、ああ、自分はよっぽどらしくないことをしてしまっていると改めて実感した。

 顔面に投げつけられたコンビニ袋から散乱した大量のおにぎりに、何か言いたそうに臨也の顔に視線を滑らせたが、片眉を上げただけで開いた口からは何も言葉は発せられなかった。
 それ以降、不審な目を向けることもせず、ただ黙々と公園のベンチに座っておにぎりを食べ続ける金髪のバーテン服を、近くの手摺りに腰を預けた姿勢でコーヒー缶を傾けつつ眺めている。
 春の陽気で暖められた空気は、日が沈むと体温を奪うまでではなくとも少しひやりとする。胃の中に落ちていく熱いコーヒーは、その心地よい冷気を身体の内から霧散させていった。
「シズちゃんさぁ、俺が毒盛ってるとか考えなかった訳?」
「してねえだろ」
「……まあそうなんだけど、さ」
 試すように、からかいを含んだ声音で問えば、即答された。
 断定口調に対して馬鹿正直に本当のことを言ってしまってるのも口に出してから気付き、後半は尻すぼみになってしまう。
 何か言い訳しようと手の中にあるスチール缶を爪の先でカンカンと叩きながら静雄の手元に意識を向ければ、もの凄い勢いで消費されていくおにぎり。景気のいい食べっぷりの割にゴミは丁寧に袋に放り込んでいるのが可笑しかった。
「手前が」
 ごくっとおにぎりを半分くらいお茶で流し込むように飲み込むと、一息ついたのか、ちら、と横目で臨也の方に視線をぶつける。
 冷たい色のサングラスに隠れていて気付かれることは稀な端正な顔、その中でも意思がはっきり出る薄茶色の瞳は普段の怒気が溢れる様からは想像できないくらい穏やかに見えた。
 ぶつけられた瞳は逸らさず、言いかけた言葉を、何、と促す。
「手前が嘘ついてるかどうかくらいわかる」
 何年見てると思ってんだ、と言われてしまえば、臨也の方も情報として集めたそれとは別に、無意識に静雄の仕草や何やら覚えているのだから反論もできなかった。
 現に、静雄が食べている物はほぼ彼の好みのおにぎりばかりで極めつけは最後に手に取るだろうプリンだ。何も考えずに買ってきてしまったが、静雄の好みの物ばかり買ってしまっている自分に後悔しても遅い。
 さすがにおにぎりにこれは、と甘いジュースの紙パックを目に捉えたたまま逡巡し、結局牛乳と迷ってお茶のペットボトルを手に取ったけど、どうせならそれだけじゃなく苦手な物ばかりにすればもっと反応を楽しめたかもしれないのに。
「そ、う」
 いつも考える前にペラペラと要らないことまで紡ぎ出す口が、上手く回らない。
 出会ってからこれまでで初めて見る穏やかな静雄の表情に目を奪われてしまうのが悔しかった。
 これだけ一緒にいてキレない静雄もキレさせない自分も、全てがイレギュラーで対処しようにもデータすらないこの状況は不覚にも臨也を戸惑わせるには十分だった。
 データ。そう、これはデータを収集してるだけだ。この男は単純なくせに肝心のところが普段から読めない。少しでもデータを集めなければ。
 なんだかんだと忙しく脳を回転させながら反対に口を動かすことを忘れた臨也から、興味もなさそうにふっと視線を逸らすと静雄は再び残りを咀嚼し始めた。逸らされた視線に固まっていた思考も息を吹き返す。
 空腹の原因はおそらく積もり積もった物品破壊のツケだろう。
 臨也のパソコンと頭の中に収まっている情報を引き出し、当然のように知っている静雄の給料と家賃、喫煙者の生命線である煙草代、色々天引きした結果の額はとても大の男一人が暮らしていける金額ではない。
 当然、取立てという仕事での物品破壊は多いはずで、金を滞納し言い訳ばかり並べ立てる債務者に投げつけたり、苛立ちのあまり拳を振り下ろしたり、沸点が低すぎる静雄は青筋を立てて即行動していた。
 だがそれよりも、原因の99%は臨也にあると言っても過言ではない。債務者の部屋のドアや家具よりも、池袋で日常茶飯事に飛び交っている看板や自販機は高級品だ。ポストやガードレールや標識に至っては公共物なのでそれ以上になる。
「債権業者が債務者になりかけてるなんて笑っちゃうなあ」
「ぁあ?」
「シズちゃんのこと」
 いつものように理論立てて考えを纏めると、少し冷静になれた。勢いのまま指差し確認よろしく、君だよ君、と指を振る。
 人を指差しちゃいけませんと小さい頃に教わるものだが、目の前にいるのは臨也の規定では人間ではないので気にしない。
 揺れる指を追うようにしながら渋面を作ると、静雄はぶっきらぼうに吐き捨てる。
「貸金に金なんか借りてねーよ」
「寸前、でしょー?」
 事務所の社長さんに肩代わりしてもらってんじゃないの?と付け足せば、ぐ、と詰まった様から察するに図星だ。
 ニタリと表情を意識して静雄がぶち殺したくなるらしい笑みに変えると、条件反射でビキビキと浮かび上がる青筋。
 血管を故意的に膨らませることができるところがすでに人間じゃない気がするが、一代で肉体を進化させたこの男にはきっと血管すらもお手の物なのだろう。
「いーざーやーくーん?手前がそれを言うかなあ?」
 青筋に笑顔という見慣れてしまったシュールな表情に怯えるような臨也ではない。ハッと嘲笑すると静雄が手をついていたベンチの端が砕け散った。
 当然ベンチなので紙や粘土で作られてるわけもなくれっきとした石製なのだが、静雄は指先にほんの少し力を入れただけでこの有様だ。
「俺は何もしてないよ?俺がいつ自販機投げて下さいって頼んだのさ?ポストもガードレールも標識もゴミ箱もバイクも、ぜーんぶ君が勝手にぶん投げただけでしょ?てゆーかさ、普通の人間はそんな物投げないんだから君の自爆だよねえ!」
「手前が目の前チョロチョロチョロチョロしなきゃあ何もぶん投げたりしねーんだよ!クソがあああ!」
 腹筋を最大限に使ってると思われる怒声が響いたと同時にベンチの欠片が飛んできた。
 いつもの大ぶりな武器と違い、握りやすさもあるのだろうそれは正確に臨也の顔面を捉えているが、手元と投げる瞬間が見えていたので難なく避ける。
「俺だって好きで顔出してる訳じゃないよー?だいたいさあ、勝手に見つけて勝手にキレてんのそっちじゃん」
「その、手前の胡散くせえ匂いがよぉ……イライラすんだよなあ……!」
「匂い匂いって……君の鼻がおかしいんだよ……っと」
 静雄が手を触れる度に、まるで抵抗もなくボロボロと砕かれるベンチはだんだん端が削られて短くなっていく。
 力は言うに及ばずだが、瞬発力も並外れてる。手首のスナップだけでマシンガン並みの速度で飛んでくる石に当たったら、顔面再起不能は間違いない。
 青痣どころか顔面陥没した自分を想像して、さすがにそれはごめんだなあ、と連続で飛来する塊を立て続けに顔を動かし見送った。
「避けんな!」
「いや、普通避けるし!」
 理不尽な言い草に間髪入れず返せば、ぐしゃりと左手に掴んだままだったペットボトルが潰れる。
 臨也の返した言葉は正しい。だが正論だからこそ、それを言ったのが臨也だからこそ、火に油を注いでしまう。
 ゆらり、と燃え立つような怒りを纏って立ちはだかる目の前の男に、いつもなら湧き上がる高揚感と嫌悪感がなく代わりに募る苛立ち。その起因する先を思えばイライラは増し、その感情のまま口を開く。
「そうやってさーいちいちキレてて疲れない?」
「だからキレさせてんのは手前だっつーの!」
「……さっきはキレてなかったじゃん」
「あれは」
 臨也の声がワントーン落ちた。
 それに静雄が何か言おうとするのを耳に入れるのも煩わしく、小さく舌打ちし畳みかける。
「結局匂いがどうこうな問題じゃないんじゃないの、君の場合。俺が引き金かと思えばさっきみたいにキレないとか、ちょっと優しくしたくらいで単純だよね」
「んだとぉ……!」
 単純という馬鹿にしたNGワードをわざと織り交ぜて煽ると、簡単に釣れた。静雄の顔が歪み、双眸が臨也を射抜く。
 それを確認して張り詰めた肩の力が抜け安心した臨也は次の瞬間愕然とすることになる。
 ──釣れたと思ったのに。
「……俺だってできるならキレたくなんかねぇよ」


 ああ、自制が効くようになってしまったんだ、この化け物は。
 この俺にまで、ずっと嫌ってきた俺にまで、ブレーキが踏めるようになってしまった。
 震えるほど拳を握りしめて、唾を吐いて、視線を逸らして、努力して俺を殺そうという気持ちを殺して無意識に本音を告げているのだ。


 頭の中で鐘が鳴り響く。痛みとも目眩ともつかぬそれは警鐘と呼ぶのだろう。
 警告する、警報する、警戒する、鐘だ。
「じゃあさ」
 コーヒーで潤したはずの喉は乾いていて、幾分掠れた声しか出なかった。何の含みもないように聞こえているだろうか。
 正直、この続きを絞り出すには臨也も腹に力を込めて、覚悟を決めなければならない。

 きっと、変わってしまったのは静雄よりも臨也の方が先だったのだ。

「もし、俺と一緒にいてシズちゃんがキレなくなったら……一挙両得じゃない?」
「いや無理だろ。どー考えても、どっからそんな発想になってんだか知らねーけど普通にそんなこと言ってる手前をすでに殺してえ」
「おや、自信がない?」
「うっせえ。絞めんぞ」
 おどけた口調。いつもの声音。それでも臨也の声にからかう響きを見いだせなかったのか台詞に反して静雄の殺意を含む怒気は鳴りを潜め、眉間の皺が寄る程度で済んでしまっている。
 あまつさえ愛飲している煙草を取り出し火を点ける行動はヤニ切れというより話をする態勢に入ったように感じた。
 静雄はそう思ってなくとも、臨也にはそう思えたのだ。
 その隙間を逃がさず、全力で絡め取ろうと仕掛ける。
「俺はできるよ」
 臨也は言霊の存在なんて信じない。
 けど、心を揺さぶる切っ掛けになるのは言葉だと思っている。
「シズちゃんにキレさせない自信があるよ」
 だからきっぱりと言い切った。
 静雄の鋭い目がこちらを向いている。ふと、チカチカっと瞬くように光った街灯に、ここは深夜の公園だということを思い出す。
 どこかでずっと聞こえていた喧騒も今は遠く、しんと静まり返った冷たい空気はまるで臨也と静雄の関係を表しているようで。
 いつでも二つしかなかった。爆発するような怒りか、冷たい嫌悪か。それはそれで良かったのだ。自分たちは出会った瞬間からそうなるように、そうであるべき行動を取ったのだから。
 それでも今、臨也はその関係を崩し再構築する為に、静雄が厭うその言葉をいつもとは違う意味で紡ぐ。
「……本気で言ってんのか」
「本気だよ。嘘ついてるかどうかくらいわかるんでしょ?」
 どうして、と問われても明確な答えなど出せない。
 どうしてこんなことを言ってしまっているのか。どうして静雄なのか。自分は何がしたいのか。
 ひゅ、と急に風が通り抜け、臨也の髪が乱れて揺れる。
 空気を含んだコートがはためいて、その流れに乗るように静雄の手から伸びた煙が臨也の身体に触れた。
「俺はやると言ったらやるよ」


 ただ、この男が向ける全ての感情を浴びたいと。
 最後の言葉は突風で舞った煙越し、自分の一瞬浮かんだだろう表情も相手に見えなければいいと笑顔にすり替え口を開く。
「そんな訳で一緒に住もうか、シズちゃん」



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