朝起きたら身体が透明になっていた。
「冗談……じゃ、ねえよなあ……」
 鏡の中には人物は誰も映っていない。色がくすんでしまっている壁をバックによれたTシャツとスウェットが人間の形を作り小さな鏡全面に広がっていて、その壁と鏡に間にいるはずの静雄の服の下はうっすらとも見えない。
 視線を下に落とせばちゃんと静雄の目には身体が見える。顔を上げて下げて、何度繰り返しても現実はちっとも変わらなかった。鏡には映らないけど見える。とりあえず歯を磨く為に洗面所に来たので歯ブラシを取ってチューブを捻ったのはいいが、鏡の中ではふよふよと歯ブラシやら歯磨き粉が宙に浮いていて妙な光景だ。
 驚いてないわけじゃない。ただ、現実に見えるのがこの光景なら動揺しても仕方ない。静雄は目に見えるものはとりあえず信じる主義だった。なので面倒なことになったな、と思いつつも歯を磨き続けた。
 鏡の中では空中に静雄の開いた口の中の様子が再現されていて、そこはかとなく気持ち悪い。唾液混じりのそれが見えるということは身体自体が透けているということなのか。しかし胃液やら血液は見えてるわけじゃないので、歯磨き粉と混ざっているから目に見えるようになったのかもしれない。
 考えれば考えるほど難しいので、静雄は考えることをやめた。口をゆすぎ、タオルが空中で舞うという奇妙な様子を一通り眺めたあと居間兼寝室に移動すると、安っぽいカラーテーブルの上に放り投げておいた携帯電話を手に取った。
 コール先が出るのにさほど時間はかからない。待たせたら静雄のイライラが増して物理攻撃に出られるかもしれないからだ。付き合いも長く慣れた態度を見せるが、その実、気安さからか力加減の調節も間違える。それは電話口の相手もよく知っていた。
「もしもしー?」
 こちらの状況を知るわけもないので暢気に聞こえる声に、がしがしと髪の毛をかき回しながら告げる。
 痛んだ金髪が爪の先に引っ掛かって抜けたが、指をかざしてひらりと揺れる髪の毛も静雄には見えるが鏡には映らないのだろう。
「新羅よお……てめえ俺に何か盛ったな?」
「もう疑問じゃないよね、それ。完全に私だって断定してるよね?」
「あ?じゃあ違うのかよ?」
「違わないよ」
 すぐに私に電話してきたのは良い判断だ、と、電話越しでもわかるくらい楽しそうな口調で話している男を受話器の先から引っ張り出して張り倒してやりたい。
 今度会ったら殴ると決意しながらも、盛られた薬の情報を仕入れないことには下手に動けない。
「これ効果はどんぐらいだ?」
「ちょっと待って。その前にどうなってるんだい?」
 どうなってるも何も、自分が盛った薬なんだからわかっているだろうに。
「身体が消えてんだよ。あー、っつーか見えるけど消えてる」
「それって静雄くんの目には見えるってこと?」
「ああ。鏡には映らねえ」
 ふむふむと面白そうに頷いているのが目に見えるようだ。こういうときの新羅は静雄の怒りなども全部スルーしてしまい、好奇心が勝ってしまうらしい。
 こうなると新羅談、愛しのセルティしか止める術がない。
「うん、成功だね!今日に合わせて作った透明人間になる薬!」
「成功だね、じゃねーだろ!透明人間だあ?」
「そうだよ?効果は多分明日の朝くらいまでかな。あ、怒らないでよ?臨也に頼まれて仕方なくなんだから」
 そこで吸おうとしていた煙草を、ぽろっと落とす。火を点ける前でよかったが、それよりも聞き捨てならない名前に表情が歪む。
「……臨也ぁ?」
「君に透明になる薬飲ませてくれって。もー、作るのだって大変なのにバレないように飲ませるのも一苦労だったよ。都合よく昨日君が来てくれなかったらどうしようかと思っちゃった……って、おーい静雄くーん?」
 無言で聞いていたがそこまで耳に入れると、まだ話している新羅をよそに通話を一方的に切った。そして部屋を出ようとして足を止める。
 静雄の目には普通に見える自分の身体。しかしさっき鏡に映ったことを考えればこのまま外に出るのは危険なのではないのだろうか。服は見えてしまう、ということはだ。
 鏡の前まで戻りひとまずシャツを脱いだ。すると映っていたシャツも鏡から消えて床に落ちている。やはりというかなんというか、こういうことかと思い逡巡したのは一瞬だった。全ての衣服を脱ぎ、何も持たずに家を出る。煙草を吸ってからにすれば良かったなあとも思ったが、これから行くところには静雄のあまり見ない銘柄の煙草もストックが置いてあるので平気だろう。
 煙草さえあれば特になんの問題もない。新羅はそういう点で嘘を吐く人間じゃないのは長い付き合いでわかるので、明日の朝までは大丈夫と静雄は全裸で新宿へ向かった。

 秋といっても気温は高いままなので全裸でいてもそんなに寒さは感じない。外へ出て最初に人に遭遇して反応がなかったのをきっかけに、さほどなかった羞恥心は完全に消え去った。
 開き直ると電車に乗るときも改札を越えてしまえばお金も払うことはないし、だんだんと便利に思えてくる。そうこうしてる間に着いた新宿のマンション。ここに住んでいる人物を呼び出しロックを解除させてる間も、静雄に薬を飲ませた張本人であるこの恋人は上機嫌だった。
 それはモニター越しに静雄の姿は見えないのに声は届くという状況から自分の思惑が上手くいったことを悟ったせいだろう。子供のように弾んだ声で「すぐ開ける!」と返事をすると、言った通りにロックが外れたので上へとエレベーターに乗り込んだ。
「わー!本当にシズちゃんここにいるの?うわっ!ちゃんと触れるねえ!よしよし」
「何がよしよしだ、こら」
 中に入った静雄の身体をぺたぺたと触りながらその感触を確かめている。終始笑顔の臨也は、静雄が玄関のドアを開けたときから自動で開いたように見えることに興奮しきりでずっとテンションが高いままだ。
「とりあえず煙草よこせ」
「ちょっと待って」
 いつまでも身体を触っている臨也を押し退けるとソファに腰かけた。クッションが沈んだことでそれを察知したのか、迷わず煙草と灰皿を静雄が座る目の前のローテーブルに置かれたのを自然に手に取り、煙草を吸う為の一連の動作をこなす。
 その間も向かいに座ってひとしきり感嘆している。静雄の目には普通に見えても臨也には煙草が勝手に浮き上がり火が点いてるようにしか見えないわけで、それも仕方ない。
「てめえ……なんだこれ」
 このままじゃ、いつまで経っても話が進まない。まずは、原因究明だ。
「なにって……シズちゃんが透明になっちゃったこと?」
「新羅に聞いたぞ。なんでこんなことした」
「うーん……」
 少しだけ視線を泳がせながら口元を隠すように手をあてている。ときどき止まる視線の先に何があるのか確かめようとしたら、遮って注意を引かれた。
 何かあるな、とは思ったものの、一先ず話を聞くことにする。
「俺達はさあ、池袋では有名じゃない?」
「知らねえ」
「知らないのはシズちゃんだけだよ……有名なの!だからまともに……デートだってできないじゃないか」
「……はあ?」
 ──デート。デートと言えばあれか、外で二人で会って飯食ったり手繋いで歩いたりする……あれか。
 それはわかったが、臨也とデートという単語が結びつかなくて理解が遅れる。言った臨也は、ごにょごにょとまだ口の中で何か言葉を濁していて、らしくなく頬まで紅潮させていた。
「俺だって……たまにはデートしてみたいとか思ったって悪くないだろ……」
「いや、悪くはねえけどよ……」
 たまにはどころかデートなど一度もしたことがない。臨也となんとなく甘ったるい関係になってからも、なる前も、全くそういうことには縁がなかった。
 考えなかったわけじゃないが、こうして互いの家でのんびり過ごすことの方が大事なことに思えていたので、そんなに気にしていなかったのだ。二人だけでいるときは臨也も素直で、大の男に言うのはなんだが可愛いところばかりが目につく。絶対に言わないけども。臨也にしたって言われたくもないだろう。
 今日も仕事は休みで、朝からこんなことになってなくともここに来てごろごろしながら、抱きしめたり、いかがわしいことをする予定だった。静雄の中では。
 しかしこうして言われてみれば、それも案外いいのかもしれない。何より相手がしたがっているなら、それを叶えてやりたいと思うのが男だろう。その為の手段は選ばないような恋人だとしても。
「……今すぐ出るのか?」
 朝といっても休日だし遅い時間に起きたおかげで、新宿に着いてやっと今時計をチラと見れば、もう昼を回ろうとしている。
 静雄の言葉を了承と受け取り再び笑顔に戻ると、まーだ、と言って立ち上がる。
「シズちゃんはちょっとそこで昼寝でもしてて。今日はあったかいから寒くないとは思うけど、ブランケット出しておくから。裸なんでしょ?」
 さっき触ったときにわかったのだろう。ぺちんと胸元を軽く叩かれ、柔らかいガーゼで作られたブランケットをソファに片膝をつきながら腰にかけられた。その仕草が色っぽくてうっかり反応しそうになるのを臨也も気付いたのか、艶然と笑いながら静雄に唇を重ねてくる。
 見えない部分は手で輪郭をなぞり、ずれることもなく吸いついた唇は舌を少し絡めただけですぐに離れていく。
「あとでね?」
 そのまま身を翻すと、何やらダンボールなどが置いてある奥の方へと歩いていった。
「くそっ……」
 煽るだけ煽られてお預けを食らったのは面白くないが、臨也が楽しそうなのでまあいいかと思う。ごろんとソファに長身を埋めると、陽気が誘うままに目を閉じた。
 遅く起きたので眠気はなかなかやってこない。それでもそうしているうちに、うとうとと気付いたら眠ってしまっていた。


 目が覚めたときにはもう夕暮れで。大きな窓から差し込む日差しは茜色を濃くし、床に伸びる影は長い。もうすぐ日没だろう。
 随分と長い間寝てしまった。そんなに眠くはなかったはずなのに、これでは休日を無駄に過ごした気がしてもったいない。そう、仕掛けた張本人の姿が見えないな、と思い身体を起こして辺りを見回すと、足元に不思議な塊が。
 いつもの黒コートで見慣れた姿のはずなのに、腕を枕代わりにして突っ伏す頭にはぴょこんと耳が生えている。いや、もともとの耳はあって、それとは別に頭から黒いフサフサとした耳が生えているのだ。
 そして座り込んだコートの裾からは同じ色の尻尾が出ている。ここまできたらさすがにわかった。また変なことを始めたんだろう。
「……んんー……シズちゃん起きたの……?」
 その耳じゃなく最初からついてる人間の耳を撫でていると、首を竦めながら目を覚ました。上げた顔には違和感の欠片もなく頭部の耳が馴染んでいて、今度はこっちの耳を引っ張る。
「いたっ!ちょっと引っ張んないで!」
「……いてえって……なんだこれ」
 まさか痛覚があるとは思わなかったので力を入れて引っ張ってしまったのだ。びっくりして手を離すと、臨也は上の耳をおさえて本当に動物にでもなったかのように尻尾を逆立てている。
 その尻尾を掴むと、静雄が透明なせいで動きを予測できないのか軽い悲鳴が上がった。
「ひゃっ……!」
「こっちも本物かよ」
「シズちゃんが透明人間だから俺も狼男になったの!今日はハロウィンだよ?」
「これ、狼っつーよりかは犬だろうが。あーハロウィンなー」
 お菓子くれないとイタズラするってやつだろ、と言うと、知ってたんだと少し目を見開いて横に置いてある服を押しつけられる。だぼっとしたダークグレイのワークつなぎで、私服として外に着ていってもおかしくないようなデザインだ。
 だいたい、透明人間だからと無理矢理そうした人間に言われても困る。静雄がこの状態なのは臨也のせいだというのに。
「顔とか手にはこれ巻いて」
「なんでだよ。めんどくせえ」
 包帯を渡され渋っていると、奪い返されどうやら巻いてくれるつもりらしい。なんの目的かわからないまま仕方なしに言う通り服を着ると、すかさず包帯を巻かれる。くるくると器用に巻かれた包帯はきつくもなく緩くもなく、試しに手をきゅっと握りこんでみても指先まで巻かれたそれに違和感は全くない。
 口と目の部分だけ避けて顔にも包帯が巻かれ、仕上げにつなぎのフードを被せられた。自分では多少窮屈だが、臨也にとってはこれではっきりと肉眼で形だけは見えるようになったせいか、どことなく安心した表情で。まあこれで良かったのかもしれない。
「元が透明だからこうしてもシズちゃんだってわかんないね。よし、出掛けようか」
「どこにだよ」
「今日はハロウィンだよ?みんなで騒いでイタズラする日。だから……俺たちがデートしてたっておかしくない」
 そんな風に茶目っ気たっぷりにおどける。そのくせやろうとしてることは、ただのデートなのだ。これだけ手間をかけて。折原臨也が。ただのデートに。
 そう思うと頬が自然と緩んで、わからないと思ったそれも巻いた包帯が笑みを形づくり気付かれる。
 早く、と、急かす臨也の頬までうっすら染まっているのは指摘せずに、ぱたぱたと早足で進む揺れる犬耳の後を追った。

 静雄はハロウィンというものをそんなに重要視していなかったので忘れていたが、毎年この時期は確かに街が騒々しかったように思う。実際に意識して出てみるとさすがに知らなかったのがおかしいレベルの様相で。
「変な格好のやつばっかだな」
 聞けばどうやらハロウィンの日にこうして仮装して街中を歩きまわる人は年々増えているらしく、普通に歩いている者もいれば、パレードっぽく集団で歩き、そこかしこでグループを作って写真を撮ったりはしゃいでいる。
 それを遠目に見ながら、ただ臨也に連れられるまま一緒に来たが結局何をするでもなく二人並んで公園の中にある柵に腰かけて、煙草を吸ってボーッとしていた。
 途中で軽く食事を済ませていたので、煙草もやけに美味い。こんな格好をしてても入れる店は多いもので、適当なファミレスに入ってもウェイトレスの多少冷やかな視線を浴びた程度で済んだ。まあ、中を見渡して同じようにハロウィンで仮装している人が何人かいたので先に前例があったせいだろう。
 そしてそれから少し離れた公園に移動する間もあちこちで声をかけられながら二人で歩いた。池袋の街を肩を並べて歩くのはとても新鮮で、臨也にばかり声がかかることを見ても、やはり誰も静雄には気付いてないようだ。
「ああ気分がいいなあ!誰も気付かないねえ!」
「当たり前だろが。……満足したかよ」
 どんどん夜も更けていき騒いでいた人も散り散りに、公園に残っているのは僅かで。街灯が照らすところから外れている位置にいるので、いつもの喧嘩のときのようにぽつんと二人ぼっちでハロウィンの余韻というか初デートの感傷に浸っていた。
 人目がないのをいいことに、ずれてきていた手の包帯をくるくると外して自由になった指先を開いたり閉じたりしながら煙草を吸う。片手で煙草を持ったまま顔に巻いていた包帯も外した。口と目は覆われていないのにずっと付けてるとやはり息苦しい。
 耳と尻尾しか変化が特にない臨也は何人かに見とがめられていたが、静雄がバレないのをいいことに途中からはべったりだった。今も静雄の肩にこてんと頭を預け、そこから生えた耳もぴょこぴょこと忙しなく動いている。
 明日には、いや、今頃は情報屋の折原臨也が仮装して男といちゃつきながら歩いていた、という噂が広まっているだろうに暢気なことだ。
「えーどうかなあ?シズちゃんはどう?楽しい?」
「んなわけあるか。見せもんじゃねーんだよ」
「シズちゃんはバレてないから今回は見せもの扱いされてないよ。むしろ俺じゃん?」
 言う臨也はケラケラと笑っているが、それすらも静雄は面白くない。そう、さっきから静雄はイライラしていたのだ。それは携帯灰皿の膨らみ具合が象徴している。
「それがムカつくんだろ」
「へ?」
 間抜け面で見上げてくる顔に指をかけ、その苛つきをぶつけるように唇に噛みついた。緩く歯をたてながら口を開かせ舌を触れ合わせると、はっはっと短い吐息が口内に流れ込んできてその温度が気持ちの温度も上げていく気がする。
 全部閉じ込めようと斜めに傾けた唇で吸いつき、さらに密閉させると、熱くなって増えた唾液がどちらのものかわからない。
「んう……は、んん」
 鼻から息を抜くこともままならず苦しげに、少しだけ口端をずらして空気を取り込もうとする、それすらも塞いだ。薄目を開けているので顔を真っ赤にして耐えている臨也がよく見える。静雄だって見えないだけで顔はきっと、赤い。でも見えないことにほっとしてしまうのは昔から臨也には弱みを見せたくない変なプライドのせいだろう。
 そんな自分の気持ちを誤魔化そうと痩身が崩れそうになるのを腕で抱えて支えて、そのついでに後ろでピンと張ったり弛んだり忙しい尻尾をすっと撫でた。途端に手の中で毛が逆立ち、連動して身体もぶるっと震えて差し込んだ舌を噛まれる。痛くはないが苛めたい気持ちが増して舌を噛み返す、と、きつく瞑った目尻に涙が滲んで気分がいい。
 昼から随分と待たされた。好きにさせてやったのだから、今度は静雄の好きにしていい番だ。
 逃げようとくいくい手の中で動く尻尾は毛がつるつるしていて触り心地がよく、ついついずっと撫でてしまっているが、ふと、付け根がどうなってるのか気になった。臨也は普通に服を着ている、ということは、この尻尾はどうやって出ているのか。
「うわっ……!ちょっと、場所考えてくれないかな」
「うっせえな。てめえが騒がなきゃ誰も見ねーよ」
 コートをずり上げズボンに手を突っ込んで確認すると、どうやらわざわざ生地に穴が開いていてきちんと尻尾用にしているようだ。事務所でちらっと見たダンボールは、これや静雄が今着ているつなぎが入っていたのだろう。相変わらず変なところに手間と情熱をかける男だ。
 しかし、と、付け根をくるんと円を描いてなぞりながら考えた。付け根は違和感なく滑らかに肌に馴染んでいて、もはや皮膚の一部に感じる。そんなことより。
「もう、ほ、ほんとに、さ……ぁ」
 下着はどうなっているのか。ズボンには穴が開いてるからいい。けれどこうして付け根が触れるのに──。
 疑問はすぐに解けた。
「ひもパンか」
「ちがう!いや、違わないけど……シズちゃんの想像とはちが……」
「違わねーだろ。ほら」
 指先で引っ掛けた紐を引くと、紐というよりきつめのゴムだったようでするっと指から外れてしまい、パチン!と音を鳴らしながら尻の谷間に戻っていった。
 声が出そうになるのを堪えて恨みがましい視線を向けられる。それなのに、その目の奥が期待と迷って揺れているのがわかったので、期待へと傾かせようと強引に動く。
 後ろ手に尻の谷間を上下に何度も摩る。くすぐったい、微かな刺激に一番に反応した尻尾が目先でくるんと丸まって震えている。
「しっ、ずちゃん……!ここ、外っ……んぅっ」
 注意して制そうとする素振りが見えたので、先手を取って逆に封じる為に臨也の開いた口に指を入れてやった。二本の指はすぐに熱い舌に絡まり、ぬとりとした感触が直接腰に響く。どうしてこう粘膜の感触というものは性欲を促すのだろう。
 ぬめる生き物のような舌を弄んでいると、だんだん力が入らなくなってきたのか口がだらしなく開いたままになって本当に犬のようで。なのに見えた歯列を指で辿っても犬歯は何も変わりなく、あの幼馴染の詰めの甘さを実感した。
 どうせこの耳も尻尾も新羅の薬に頼った結果なのだろう。いくら新羅だとしても、臨也が自ら行ったことだとしても、それはあまり気分がよくない。
 誰であれ、臨也を変えられるのは面白くない。これを変えてもいいのは自分だけなのだ。
「も、くるひ……んん」
 唾液が零れるのを止めようと思ったのか、啜りあげると反射で静雄の指にきゅうと吸いついた。何度も溢れる唾液を飲み込むたびに口内が窄まって、ちゅ、ちゅ、と鳴る音にどうしてもいやらしいことを連想させる。
 下半身はすでに重く、こんな不安定なところに腰かけて触れているのももどかしい。じんわりと期待していたせいか、簡単に流されて腰砕け状態になっている臨也を軽く抱えて立ち上がった。
 近いところに人は見当たらない。大通りから外れたところにある公園は住宅街が近いこともあり馬鹿騒ぎするハロウィンの集団もいなくて、さっきまでぽつぽつと姿が見えていた人影も今はない。大丈夫だろうと思いつつ一応警戒しながら臨也を小脇に抱えて公園の片隅に建っているトイレに入る。
「なに、こんなとこ、やなんだけど……」
 嫌な予感がしていたのか、運ばれている間ずっとなんとか降りようと叩いたり蹴ったり暴れていたのだが、全く拘束が緩まないので仕舞いには尻尾でぺちぺち叩かれた。そのやけくそな仕草が場違いにもほんわかとした気持ちを静雄にもたらす。こういう無駄なことが可愛いと思わせるとわかっているのだろうか。
 普段から静雄をからかって上手に立とうとするくせに、最後の最後で詰めが甘い。そんなところは友人と言うだけあってあの幼馴染によく似ている。
 トイレの中は公衆にも関わらずそこそこ清潔。遊具も綺麗だったし、最近公園の改装に伴って建て直しされたのかもしれない。住宅街が近いともなれば子供連れの母親も多いから地区の清掃もこまめに行われているのだろう。
 男子トイレにしては広い洗面ブースへ臨也を座らせる。女子トイレよりかは使用頻度が低いのか、水滴が飛び散っているということもない。しかし臨也は文句を言い続けている。
「ほんとにトイレなんかでするの?誰か入ってきたらおしまいだよ?」
「うるせえよ。いいかげん黙れ」
「俺は嫌だって……!もうさ、そのへんのラブホでいいから……」
「うっせえっつってんだろ。んなとこまで待てるか」
 いつまで続くかわからない愚痴を聞くのも面倒になり、口で塞いでさっき散々指で嬲った舌を吸った。隙間なくくっつけてるつもりでも合間から吐息とぴちゃぴちゃと音が漏れ、響いて反響する。夜なので常夜灯の明かりしかなく、薄ぼんやりとした淡い光の効果もあるのかやけに音が耳についた。
 臨也もそうなのだろう。どことなく不安そうに集中してない。まあ入口は奥まって仕切られているとはいえ、この状況で集中しろというのが無茶な話なのかもしれないが。
「うー……んん、ん、ふぁ……」
 それでも角度を変えながら何度も貪れば、だんだんと溶かされてきたのか押し返すように添えられていた手が首に回されて、こうなるともう止まらない。
 夢中で口の粘膜を合わせていてもどこか冷静な静雄は、先ほどからの疑問を解消するべく臨也のズボンのジッパーを寛げると、再び中に手を突っ込んだ。だからパンツがどうなってるのかという、あれだ。
「んぅっ!?ん、んー!」
 一気に奥まで突っ込んだらすぐにわかった。手には冷たく柔らかい感触がして、尻たぶがむき出しになっている。要するにTバックだ。前を布一枚でしか包まれていないも同然なのでひどく冷たく、それを手のひらで揉みこむと温度差に驚いたのか洗面台の上で身体を捩った。
 手の温度を染み込ませるように揉みながら、尻尾をくぐらせパンツだけ残して下を取り去る。せっかく暖かくしてやってるのにまた冷えてもかわいそうだな、と思い、ズボンは下に敷いた。足をくぐらせるときに少し嫌がるように抵抗されたが、それも口蓋を舐めるとすぐになくなる。
「ふぁ……ん、ふぅ、ぁ、……や、さむ……」
「すぐに熱くなる。こんな下着履いてるからだろ……なんだこのエロ下着」
「エ、ロとか言うなっ……!だって、しっぽ」
「あーそうだな。しっぽ窮屈だとかわいそうだもんな」
 こっちもな、と言って尻尾とは反対側の性器を布地の上から擦り上げる。軽く指先で、つつっと上下になぞっただけなのに、もう少し硬くなっているそれから染み出した先走りが布地を色濃く変色させていた。繰り返すと溢れるままに広がっていく。
 布地はつるつるとしている肌触りのいい感触なのに、濡れたところだけ指の滑りが悪くなりそこだけ殊更引っかきながら擦ると、微妙な刺激に我慢できなくなったのか嬌声をあげ始めた。この声も、ヤバい。いつも嫌味を紡ぐ声が恥ずかしげにしているだけで相当くるものがある。
 吸ったり噛まれたりしてたせいか、いつもの薄い唇は赤く色づき腫れている。僅かな光を拾って反射しながら喘ぎ声を漏らす濡れた唇が欲情を誘う。
「ひゃ、ん、ん、あっ、あっ……ふ……あっ、やだっ」
「やだやだ言ってねえでもうちょい脚開け」
「ううー、やだっ……」
 ──しずちゃん見えない、こわい。
 そう、ぼそっと言われたのがまずかった。つなぎは着ているので姿として捉えることはできているのだろう。だけどフードは被ってなく、包帯も取り去ってしまった今となっては見えない部分、しかも臨也に触れる顔と手が見えないのは不安と言いたいらしい。
 しかし、その言葉は静雄を煽るだけで。息を荒げて消えそうな声で言われても下着の中から主張する性器はますます硬くなってるのがわかるのに。今ここでそれを言うのかと。
「……っ、てっめ、ふざけんな!」
「は……ひぃっ!や、いきなりっ……!」
 こうしたのは臨也だ。なのにそれを怖いと言われるのは心外だったし、その言い方にのせられてしまうのが悔しくて緩やかに動かしていた手を勢いよくスライドさせた。
 座って静雄の見えない首にしがみついている臨也は、布地越しに擦られるのが逆に気持ちいいのか、快感を追い切れなくてだんだんと腰が引けてきていて手が動かしにくい。
「おい、起きろ」
「むり、やだってっ……きもちいーの、こわい……」
「ちっ……しょうがねえ」
 もう一度しっかりと臨也の腰を引きあげ自分の首に掴まらせると、洗面ボウル部分を跨がせ膝立ちにさせた。当然後ろは鏡なので、それに向かって尻を突き出すような格好になってしまっていることに本人は気付いてない。
 こうして見ると生の尻がぺろんと出ているのとほぼ変わりなくて。Tバックというだけあって、後ろは紐だけだ。
 尻尾が立っているせいで全部丸見えで、そのはしたない格好がたまらない。
「もっと気持ちよくしてやるよ」
 まず先に前に手を入れると当たり前だが性器はぬるっと濡れていて、少し静雄の手が離れただけで下着は冷えて中だけが熱い。どうせなら冷たくなる暇もないくらいぐちゃぐちゃにしてやりたい。
 とりあえず撫でる程度で指を濡らすと静雄の首筋に顔を埋めて声を殺しながらも、腰は揺れて同時に鏡の中で白い尻が揺れる。どこからどう見ても卑猥なその尻をぐっと掴むと、濡れた指で後孔を解し始めた。
「あ、あ……う、ふ、ふう、ん、んん……っ!」
「あ……?なんだこれ」
「んっ!や、ああ……っ」
 解そうと思って縁周りから弄っていたら、臨也が腰を振った反動で指がぬるんと飲み込まれる。慣らしもしていないのに何事かと横目で見ても、臨也にしてみても予想外だったらしく驚いて顔をあげ口をぱくぱくさせている。
 中はローションをたっぷり注入したようにぬかるんでいて、指を抜き差しするとじゅぷじゅぷと音が立つ。入口の括約筋を広げてふと視線を上げたら赤く肉壁がめくれあがった穴が鏡に映っていて、中から何か液体を零しているそこは独りでにきゅっと窄まったり広がったりしていた。
 実際は挿入されている指が見えないので、それをいいことに両手を回し縁に指を引っかけてもっと見えるように広げる。
「やあっ……!な、に、なんかもれ、る……!!」
 邪魔になってきたので谷間に挟まっていた紐を指で捻じ切ったせいか、よく見える。広げた瞬間、透明な雫がぽとぽとと奥から溢れてきて肌を伝った。
 奥から逆流してる感覚にぶるりと震えているが、本人にもわからなくて身体がついていかないのだろう。静雄にも何がなんだかわからないが好都合でしかない。
「漏らしちまえよっ……」
「……っ!!ひぃ……んっ!ああ、あ、あ……!」
 いつも中に精液を出したあと掻き出してやるときと同じに、それより若干激しく指を動かした。指先を軽く曲げて擦りながらも、くまなく濡れているせいか指の付け根まで簡単に入ってしまう。奥までぎっちり含ませたまま最奥の粘膜を引っ掻くと、先走りがぴゅぴゅっと臨也の先端から飛んだ。
 後ろの部分を切ったので前も申し訳程度に布がぶら下がっているだけの下着は、水に浸したかのように濡れて邪魔そうだ。なのでついでに全部千切って取り払う。
 最近、臨也は入口の浅いところを擦られるより、奥の狭まった内壁を突かれるのが感じるらしい。
 前立腺を擦られると射精するのは変わらないが、できるだけ奥に埋まってる性器を締めてるだけで達しそうになる、と、ちょっと前の行為中に白状させたときは、抜き差しせずに緩く動かすくらいで奥まで入れたまま静雄の精液が出るまで粘らせた。その間、締めながらびくびくと中を蠢動させて何度も達していたが精液は飛び散ることはなく、こぷりと溢れるだけで性器も萎えない。
 その状態になったときが壮絶にいやらしい。ただ性器を突き入れられながら気持ちよくて泣いている、知っている静雄はそれを見たくて仕方ないのだ。
 だからその前準備としてできるだけ奥まで指を進ませぐりぐりと刺激した。
「あ、あ、おくっ……!おく、だめっ、や、あああ!」
「すっげえ……中、まる見え。エロ……」
「……?あ、あぅ、やだぁ……みない、でっ……」
 やっと自分の置かれている状況に気付いた臨也は、声を抑えることも忘れ見ないでくれと頭を振る。そう言う口とは逆に、後孔は静雄の指をぎゅっと挟んで離さない。
 それを惜しいと思いながらも、ずずっと指を引き抜く。するとまた栓が外れたようにまた何か垂れてきた。
「ひぃ、やっ……!あ、は、はぁ、ふ、んん」
「マジでなんだこれ……新羅の薬のせいか?どろっどろ」
 言いながら漏れてきた液体を掬い取って匂いを嗅いでみたが、特に妙な匂いはしない。
 むしろ少し甘ったるい気もするので舐めてみると、見えるはずもないのに気配で嫌な予感がしたのか臨也が顔をこちらに向けた。
「しずちゃん……なにして」
「こういうときだけ勘いいな……お、そうか。脱げばいいか」
「……は?」
 前ジッパーのつなぎなので脱ぐのに手間は一切かからない。手際良く衣服が床に落ちていくのを唖然とした表情で見ていた臨也は、最後にするっと袖が抜け落ちるのを確認すると全て取り去った何もない空間に向かって顔を真っ赤にして怒鳴った。
「ばっ……ばか、じゃないの!それじゃ見えない……!」
「てめえが見えなくしたんだろーが」
「そ、だけど!……ひゃっ!触るなぁ!」
 焦ってじたばたと暴れているが、身体に力が入りきらない状態では押さえつけることは容易だ。その薄い身体を持ちあげてくるんと回転させると後ろから抱え込む。
 トイレに相応しく脚を開いて用を足す姿勢。何をされるかすぐにわかったのだろう。首を振ってずり上がろうとする、その頭から生えている方の耳はぺたんと後ろに倒し、今まで立っていた尻尾も下がってしまい、静雄の腰をさわさわとくすぐった。
「入れるぞ」
「あ、ああああっ……!あ、あ……はっ!」
「はっ……一気かよっ……!」
 どろどろに溶けていた後孔は、臨也の自重の助けもあり性器を押し込むこともなく最奥まで一気に開かれ包み込む。陰嚢が尻たぶとぶつかる衝撃で肌を打つ音が鳴ったと同時に鏡に白く精液が飛んだ。
 入れられて奥まで性器を食んだ瞬間、射精してしまったのだろう。あーあーと意味を成さない呻き声を発しながら内股を突っ張って震えている。
 まだ脱力せずに力をこめているせいか、中に埋まった静雄の性器も不規則な締めつけに持っていかれそうになった。いつもそうだ。臨也の中はどれだけ解してもきつく、吸いついて静雄を射精させようとする。
 中にたっぷり射精して汚してもらいたがっているとしか思えない。
「だよなあ……出されたいんだもんな。なら仕方ないよ、なっ!」
 まだびくついている膝裏を抱え直すと、一旦引き抜き再び抉った。そうすれば抱えた脚の先でつま先が反り返り、ぎゅうぎゅうと締まる粘膜が臨也の快感を伝えてくれる。満たされていると感じるときにこれが伝わると、同じ気持ちを共有できてる気がして充足感から脳裏がやけつく。
 快感と、独占欲と、幸福感。ばらばらに見える全ての感情を繋ぎとめてぶつけあい発散するセックス。
 ──それは大事なことだと思っている。きっと臨也も。
「あ、あ、あ、……っ、あ……で、てる、あー……っ!」
 何度しても足りないのだから、いつ出してもいいと射精感が募るままに奥に精液を吐き出した。出しても腰の動きは止まらず、精液をかき回しながら上下に揺すった。
 鏡の中では脚を大きく開いた臨也が一人でゆさゆさと跳ねて動いている。激しい動きに口元からは飲み込みきれない涎を垂らして、苦しげに眉を寄せている様は中に入れている性器をまた増長させた。
 それに合わせてさらに開いた穴の肉壁から目が離せない。限界まで開いているそこは、静雄の大きさにぴったり沿っているので中の奥まで丸見えで。赤い熟れた色に出された白い精液がこびりついていて、中を突かれるたびに精液を飲もうと蠢いていた。
 動くたびに上のインナーも捲れ、脚を片手で支え直し腰に乗せると裾から手を侵入させて胸を弄る。打ちつける速度は緩やかに、それでもすでに敏感になっている乳首を弄られてるせいか、むしろ身体は大げさに反応した。
「うぅ、あ、はあ、もっ……も、やぁ……!」
「揉みすぎてでかくなってきたよな……ここ」
 これまでも散々弄ってきたので、臨也の乳輪は若干大きい。なんでそんなことになったのかと言われたら、それは静雄が揉んだからだが、それにはちゃんと理由もある。
 静雄は臨也が男ではなかなか感じない器官で感じるところを見るのが好きだ。それを恥じて嫌がって、それでも流される仕草と浅ましさが、とても好きだ。愛していると言ってもいい。
 胸は一番のお気に入りだ。
「だ、って、しずちゃ、がぁっ……!」
「そうだな……俺が大きくしてやったんだもんなあ?気持ちいいだろ?」
「……っ!き、もちー、よ……ばか」
 摘まめるほどしかない乳首に対して乳輪が大きいのは当然恥ずかしいのもある。しかしそれより服に擦られて普段から意識してしまう恥ずかしさが耐え難いと思ってることを静雄は知っていた。
 それを認め、消え入りそうな声で羞恥で顔を染めている。

 ──ああ、終わらない。何度やっても飽き足りない。

 何か言葉を発するのも億劫だ。とにかくこの身体を快感に溺れさせ、それを抱いて気持ちよくなりたい。
 しっかり固定させるために臨也を床に下ろし手をつかせる。片足だけ持ち上げると、強引に突き入れた。
「……あっ!あっ、あぁっ、あ、あっ!」
 急に激しく揺さぶられ、喘ぎ声以外出すことのできない身体は、背中を弓なりに反らして達した。内壁が動くのが止まらず、確認するまでもなくイったまま戻ってこれなくなっている。
 気持ちいい。ヒクヒクと蠢くそこに叩きつけるように何度も腰を打ちつけた。
 馬鹿みたいに、しずちゃん、しずちゃんと呂律の回らない声が呼ぶ。それに促されて奥の一番深いところに劣情を放出すること数回、ようやく一旦治まったところで脱力した身体を抱き潰してないかとひっくり返す。
「……しず、ちゃん……」
「……なんだ」
 性器を抜くと、どろりと残滓が流れてきたが、すでに快感が麻痺しているのか力尽きたのか、臨也は身じろぎもせずに静雄に呼びかけた。
 そして言う。
「……やっぱり見えてた方がいいね」
 ──じゃないとキスしたくてもできやしない。

 塞がれた唇は甘く、それを受けた静雄は鏡の中に薄く見覚えのある金髪が浮かびあがるのを認めた。




「新羅の野郎、朝っつってたぞ。まだ夜じゃねーか」
「なんでだろうねえ?俺はまだそのままだし……」
 トイレで身支度をしながらぶつぶつと言っていると、まだ尻を出したままの臨也が尻尾を揺らしながら鏡を覗きこんで自分の犬耳を触っているので、ぺちんと音がするくらいの強さで叩いて早く服を着ろと急かした。
 痛い!と、大げさに騒ぎながら床に投げ捨てられているズボンを拾って身に着ける。下着はびっしょりと濡れて千切られ布と呼ぶのもおこがましい、ただの残骸。触るのも嫌なのか、トイレットペーパーをくるくると巻き取って包んでゴミ箱へ捨てている。
「てめえは俺よりあとで薬飲んだんだし、切れるのはもうちょい先なんだろ」
「ほんと新羅って詰めが甘いよねえ。シズちゃんの体質が順応して早く切れることくらい計算しなかったのかなあ」
「…………」
「……なに、笑ってんの」
 つなぎを着るだけで特にすることもない静雄は、壁にもたれながら一服していた。あれだけ体力を消耗したのに目の前でちょこまかと動く犬は自分のことを棚に上げ、友人に対して同じことを思っているのがおかしくて仕方ない。
 笑っていることに気付いて理由を探そうと思考を巡らせてるらしいが、本人である臨也には一生気付くことのできないことなのだ。それがおかしい。
「なに。なんか面白くない……馬鹿なシズちゃんに馬鹿にされるなんて……」
「馬鹿はてめーだ。おら、準備できたんなら帰るぞ」
 すでに日付は変わってしまっている。静雄は今日も仕事で、これから新宿のマンションに実は歩くのもしんどい臨也を担いで帰って、無駄にでかいベッドで一緒に眠るのだろう。
 文句を言いながらも、朝になれば静雄よりも早く起きた臨也が適当な朝食を用意してから起こしてくれる。時間に余裕があれば二人で朝風呂に浸かるものいいかもしれない。

 ありふれた日常にスパイスを入れたって、結局着地するのはいつもと同じ日常なのだ。
 しかしその日常こそが自分と臨也にとって到達することが奇跡のような生活だということを静雄は知っていた。

 これは全て得難い日々の一部分。
 それを臨也を抱く度に痛感することを、この男は知らないだろう。
 訝しげに自分を見ている臨也にまた苦笑を零して、静雄は短くなった煙草を洗面台で捻じり消した。



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