「……臨也!」
 放課後、下足箱のところで臨也を捕まえた。



 別に追っていたわけじゃない。朝の件もあって柄でもない気恥しさで顔を会わせ辛いまま、気付けばいつもは半分眠っている授業も逆に目が冴える始末。
 そわそわと貧乏ゆすりまで始めた静雄に、注意したくともできないクラスメイト達はとにかく早く時間が過ぎてくれるのを願っていた。幸いだったのは静雄の席は厄介者の定番とも言える窓際の一番後ろの席だったので、あまり迷惑を被る者が少なかったことだ。
 昇降口で別れる合間も、少し後ろを歩いてきた臨也の顔も伺えなかった。
 告白、というものをされたのは初めてじゃないし、それなりに何度かあることにはあった。中学には早熟な女子から、高校に入ってからもすでに数度あったそれらは、真剣な表情であればあるほど断る以外の選択肢を選べなかった。
 別に傷つけるのが怖い、なんて綺麗事じゃなくて。自分を恐れるだろうなんてことでもなくて。
 正直どうでもよかったし、面倒なだけだった。
 静雄の評判を聞いて興味本位で近付いてくる方が断然多かったのもある。馬鹿にしてんのか、と思えるほどに露骨なのもあった。露骨だろうが真摯だろうが変わりなく、よほどつまらなそうに対応してしまったのだろう。
 一度直接断れば二度とはなかった。手紙などは無視したので言わずもがなだ。
 静雄の周囲には人が居ない。居るとしても新羅は論外、幽や親は家族。知り合いという括りに入れられるような人も居ない。
 小さい頃はそれなりに人付き合いというものを渇望していた時期もあった。自分は少し他の人と違う、という程度の認識だったからそういうことも考えたられたわけで。それもこれも小学校を卒業する頃には今のようにどうでもよくなってしまっていた。
 諦めたのとも違う。するっと、まるで零れ落ちるようにポロポロと興味が失せていったのだ。物にせよ人にせよ執着することがどんどん面倒になり、唯一大事な家族は間違いなく離れていかない。それで十分。
 そんな中、現れた折原臨也という存在は。
 最初は、他と同じでどうでもよかったのだ。気に食わないと言ったのも、ただニヤついてる顔が勘に障るな、と思ったからで。
 その時点で気付くべきだった。勘に障る人間など今までいなかった。何度も何度も喧嘩で明け暮れた中学時代も、面倒でしかなかった。面倒から不機嫌になり、不機嫌は怒っていると捉えられ、静雄に対する周囲の評価は『キレやすい』になった。
 相手を個々としては全く認識していない。全員、他人だ。少し別の位置に新羅とセルティ、そして幽。
 だから最初の頃は初めての感覚に戸惑った。臨也と接したあとの記憶が半分以上ごっそりと抜け落ちていたのもある。
 皮膚がぞわりと知覚し、臭いを感じ、視覚で捉える。全身で臨也だ、と認識した後は気付けば捕まえて絞め上げていたり、走り去る後ろ姿を追っていたり。その間、追っていたときの記憶がないのだ。
 新羅に言わせると一種のトランス状態にあるのではないか、とのことらしい。通常は精神や肉体が極限まで追い込まれた状態か、真逆のとてつもなくリラックスしている状態時になりやすいと淡々と説明された。
 君でも精神が追い詰められたりするんだねえ、と、肉体の可能性は完全に無視して言う。最後にひとつ思いだしたようで、「そうそう麻薬を使用したときもなりやすいみたいだね」の呟きを聞いて、適当に流し聞きしていたのにそれだけは何だかすごく納得した。
 折原臨也は麻薬と同じだ。
 これは悪いものだ、近づいては駄目なものだ、とわかっているのに追いかけてしまっていた。無視すればいいだけの話で、今までは余程絡まれでもしない限りそれができたのに。
 とにかく捕まえたい。捕まえて、どうしたらこの苛つきが治まるのか試したかった。

 それがどう曲がってここに着地したかはわからない。
ただ、臨也のことを表面的な部分ではなくて知っていると。静雄の中で臨也という像を勝手に作り上げていたのに、新羅との会話を聞いて崩れてしまった。
 混乱する間もなく臨也は態度を変え、今までにされたことを考えれば許せるはずもないのに手も出ない。殴れない。
 静雄は考えたのだ。考えた結果がそれだった。
 だから──まあいいか、と思う。
最初から、憎しみや嫌悪でぶつかってきた臨也ならば、それ以下はきっともうない。現に好意を向けられてからは感情の天秤は揺れながら間逆に傾いていく。
 そんな中の「好き」だった。



 ようやく声をかけた臨也の様子がおかしいことはすぐに気付いた。

 ホームルームが終わってから臨也を探してその教室に行けども姿は見えず。新羅に尋ねようとしたら、静雄と同じクラスの彼はすでに愛しい同居人のもとに向かったようで、適当に見渡したくらいでは発見できなかった。
 とりあえずここで張っておけばいつか捕まるだろう、というアバウトな考えで靴箱のある入口へ足を運べば、人も少なくなったそこであっさり臨也を見つけて。数メートルの距離を置いて臨也を視界に捉えた静雄の、さらに数メートル周囲を取り巻く他の生徒が二人を見てそそくさと下校していく。
 朝と同じく開けた空間で臨也は静雄に気付かない。
 位置的に臨也の靴箱があるあたりの前にぽつんと立っている彼は、差し込む西日が幾重にも被さりまるで蜃気楼のようにぼやけてしまっている。消えてしまいそうな、そんな線の細さは感じない。それでも何故か嫌な予感がして若干焦りながら声をかけたのだ。
「シズ、ちゃん」
 声に顔を上げた臨也も何故か焦っていて、いつもの呼び名もつっかえるほど。慌てて握りしめた手にはよく弄っている携帯が見え隠れしていた。
黒いメタリックのそれに静雄の視線は吸い寄せられる。携帯というより、その臨也らしい黒のシンプルな携帯に付いている、臨也らしくないストラップに、だ。
 薄く色づいたガラスっぽい玉が並んだストラップというのが、まず臨也っぽくない。普段から細々と身に付けている物はどれもこれもシンプルなデザインが多く、趣味がわかりやすかった。普段はポケットに突っ込んでることが多い携帯から、尻尾のようにフリフリと揺れるストラップ。それが何なのか、静雄はもう知っていた。
 新羅の家での会話。また携帯いじって、と言っていた。それと音だ。
カツン、カツン。
 あの時何度も会話の合間に聞こえた音が、頭の中でそれと繋がるのにさほど時間はかからなかった。気付いたら気になってしまう。意味深に新羅が言っていた失恋記念という単語が脳裏を掠め気付けばまじまじと見てしまうが、ふわふわ笑うようになった臨也は静雄の前で長時間携帯を弄り回していることはあまりなかった。
 その時々取り出すタイミングの中でもよく見ていたので、気になることにだけ発揮される記憶力は網膜に焼きつけるように覚えていたのだ。
 ──ストラップのガラス玉がひとつ増えている。

 それが何を意味するのか、咄嗟にはわからなかった。頭の中で色んな光景や言葉が点滅しては消えていく。ようやく像を結び、カチッと全てが嵌まったとき久しぶりに目の前が真っ赤に染まった。だんだんと夕焼け色に照らされる校舎と相まって、茜色の視界で揺れる赤みを帯びた目が揺れている。
 気付けばその細い腕を掴んで校舎内を逆戻りしていた。



「何、どこ行くの……!?」
 不安が滲んだ声も今は腹立たしく感じて、どうしても手に力がこもる。腕が暴れるのは痛いからだろう。必死で振りほどこうとしているのはわかったが、離す気はさらさらなかった。
 生徒も先生も授業がない限りあまり来ることのない特別教室が続くあたりまで来ると、適当に選んだドアの前に立つ。人通りがないことを確認して、片手は臨也の腕を掴んだまま、もう片方でかかっている鍵をドアごと外した。
「ちょっ……何やってんのシズちゃん!」
 中に入って多少乱暴に臨也を壁の方へ押しやると、外したドアを再び元に戻す。微妙に、わざと変形させて戻したそれをガタガタと音を鳴らし、しっかりと動かなくなってるか確認した。入ってきたドアとは別に、隣室へ続くらしいドアがもうひとつあったが、それも同じように外し、曲げ、戻す。
 一連の動作を黙々と終え、ゆっくりと振り向いた先の臨也に身体を向き直すと肝心の本人は呆気に取られた様子で棒立ちのまま、ぽかんとこちらを見ていた。白いシャツから伸びる同じように白い腕には掴んでいた部分が鬱血したのか、うっすら痕が残ってしまっている。視線でそれに気付いた臨也はさり気に見えない角度に腕を隠したが、それはさらに静雄の苛立ちを増長させた。
「……っ、本当に何?シズちゃ……」
「手前、それどうした」
「……?これ、は、今シズちゃんが掴んでたから、少し血が止まって、」
「ちげえ。これだこれ」
 再び腕を捻られるかと思ったのか一歩後ずさった臨也の、反対の腕を今度は視線の高さまで持ち上げる。
 ──カツン。
 揺れるストラップに吸い寄せられ見開かれる瞳がまるでスローモーションのようだった。映像をコマ送りした時みたいに、ゆっくりゆっくりとその綺麗な顔から血の気が引いていく様に今までにない昂りを感じ、それは危険信号だとわかってそれでも止まらない。
「勝手に……終わりにしやがって……!」
 微かに震える臨也の手の中に収まってる携帯を無理矢理奪い取る。ほんの少しでいいものをセーブできない力が暴発して、次の瞬間には引っ張ったストラップは千切れ派手な音をたて床に散らばった。めきょ、と嫌な音がして携帯が軋むのも感じる。
 どうやら飛び込んだのは美術準備室らしく、何も考えずに選んだにしては一番人が来ない部屋だったことに歪んだ笑みが浮かんだ。この学校の美術部は存在してるのかすら怪しいほど活動してる形跡もない。カバーがかけられたままのイーゼルや絵の具の乾いたパレットが雑多に置いてあることを見ても、美術教師ですらあまり利用していないのは間違いないだろう。
「なに、なんで……だってこれは」
「失恋記念、なんだろ?」
 臨也が目で追っていた点々と散らばるガラス玉を、わざとらしく足で踏みながら言えば蒼白な顔が強張り動きを止める。ガリっという音と共に時間も止まってしまったかのような臨也を緩く引き寄せ腕の中に閉じ込めた。
「どっかで失恋してきたのか?……俺のこと好きだっつったのは嘘かよ」
 くたっと、力を抜いておとなしく抱かれたままになっている身体を潰してしまいそうだ。セーブが効かない。
 何も言わないことに苛立ち、舌打ちが漏れてしまう。ふと見下ろせば、傾けた角度から覗く臨也の薄い喉仏が上下するのが目に入って、手酷くしたい衝動が込み上げ思わず誘われるようにそこに噛みついた。



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