「ただいまー」

勝手知ったる自宅の扉を開け玄関へと足を進める悠太の背中に続いた。悠太はちゃんと適所適所に言葉を使う。帰ってきたときはただいま。ご飯を食べるときはいただきます。寝るときはおやすみ。
悠太が言うから。そんな理由で小さい頃の俺はまるで真似をするかの様に続けていた。ただいま、いただきます、おやすみ。

「寒かったね、今日」
「うん」
「相変わらず千鶴は元気だったみたいだけど」

鼻と爪先がやけに冷たい。もう家の中なのに、風なんて吹いていないのに、嫌でもさっきまでの寒さを思い知らされる。こんなことならスニーカーじゃなくブーツでも履いていけば良かった。ほんの少し恨めしく思うそれを脱ごうとして目線を下げれば先程まで地面を踏みしめていたもう一つのそれが映って何とも言えない気持ちになる。

『クリスマスとは普段一緒に過ごす大事な友と更に思い出を深めるイベントなのです!』

三回ほど鳴り響いたチャイムに腰をあげた悠太について行くと四日前にも見た金色の髪が冷たい風に揺れていた。今日まだイヴだけど、と思いながら無言で見つめたそれの目には徐々に涙が堪っていき、しきりに『遊んでください』と『女の子との出会いなんて』を呟き始めたので仕方なく一日千鶴たちと過ごすことになった、のが今日の昼前。長いこと外に居たものだと思う。そりゃあ鼻も冷えるはずだ。
たまたま寄った店で偶然茉咲と鉢合わせたのは夕方ぐらいだっただろうか。小動物みたいな頭がそわそわと動き、相変わらず春を見て頬を染める姿にふと千鶴の顔を見ればいつもみたいなだらしない顔。わらってる、わらっていた。
悲しいとか寂しいとか、千鶴は全部色んなものをどこかに仕舞って茉咲に声を掛けていたけれど、やっぱり少し嬉しそうだった、気がする。その感覚が俺には分からない。だって俺の隣にはいつだって悠太が居たし、会えて嬉しい、と言う感情とはちょっと無縁にも感じてしまうから。不安だとか、安心だとか、そういう類いになってしまう。
でも千鶴からすれば毎日隣に茉咲が居るわけではなくて、会えるか会えないかの所から始まるわけで。それは、どういうことなんだろうか。

「……千鶴が静かなのってテスト前くらいだよ」
「あぁうん……、いや、テスト前も相変わらず元気だったと思いますけど」
「当社比で」
「はぁ」

一緒に家に帰って、一緒に手を洗って、一緒にリビングまで歩いて。そういうのを千鶴は知らない、けど、俺は『知らない』が分からない。
幸せとか、恵まれてるとかじゃなく、それが当たり前だったから。もし悠太と一緒に居なかったら、なんて想像はきっと一ヶ月掛けたって出来やしない。
今日お母さんたち外食するんだった。と呟いた悠太の上着を後ろから柔く引っ張る。ん?と振り向いた悠太に黙って首を振ると直ぐに反らされた視線は、それが特別珍しいものじゃないからだ、きっと。
だってこんなにも悠太が近い。手を伸ばさずとも届く。とどく。

「上着部屋に掛けてくるから祐希も脱いで」
「……うん」

いつも漫画を読むときに寝転がるソファーが今日はやけに大きく感じたけれど、それが気のせいだと言うことも知っている。腰を下ろせば重みの分だけゆっくりと沈んでいくそれの肘掛け部分に頭を乗せれば一日分の疲れがどっと押し寄せてくる感じがした。
今日も明日も年明けだってきっと目線の先には悠太が居て、でもそれにだって限界があるはずで。考えられないし、考えたくもないけれど、一昨日悠太の机の上に置かれていた大学の資料が目蓋の裏側から離れない。
『ずっと一緒』は無理で、じゃあどこまでなら大丈夫なんだろう。どこまでなら俺の隣に悠太は居てくれるんだろう。
ずっと一緒に居れる訳でもないのに、あの時笑った千鶴がほんとうは、すこし、。

「ちょっと祐希、返事だけじゃなくて上着貸してってば、っ!?」

後ろから勢いよく悠太に抱き着くと嗅ぎ慣れた匂いが鼻孔をくすぐった。あったかい熱が布を通して皮膚まで伝わってくるんじゃないかと言うくらい、すっかり鼻先は暖まっていた。
本当は少し眩しかった。『分からない』けれど、きっと俺には出来ないことをやってのけた千鶴が眩しくて。
……身長の低さと今日の勇気だけは俺よりも勝るってことにしてあげる。

「なに、祐希くんはお兄ちゃんをそんなにもぎっくり腰にさせたいの?」
「ちーがうよ!俺も一緒に部屋まで行くの」
「あー…それは有り難いけどとりあえず退いてくれると嬉しいかなって」
「今祐希サンタからよい子の悠太くんに等身大の愛をプレゼント中ですから」
「それはそれは…」

自分の首に巻かれたマフラーが目についた。確か二年前に悠太と買いに行ったヤツで、色違いのそれを最後に悠太が着けていたのはいつだったかと思考を巡らす。巡らさなければ思い出せないほど以前のことなのかと思ったら少しだけムッとなった。すこしだけ。

「だから悠太サンタもよい子の祐希くんにプレゼントくださいよ。ね?」
「そんなプレゼントをせがむような子に渡すものなんて持ち合わせてないんですけど」
「明日はずっと悠太サンタは俺の隣ね。はい決定ー」
「……それいつもと変わらないんじゃ…」

変わんなくて良いの、とはあえて言わないでおいた。言葉にしてしまえば何かが終わってしまうような気がして、だけどそれが何かも分からないけれど。
いつまでなら隣に居て良いのか。時間は無限じゃないって、この前何かの漫画で描いてた気がする。
来年のクリスマスは一緒に過ごせるのかな。その前にゴールデンウィークは?夏休みは?ハロウィンは?
いつだってそこには悠太が居たから、さよならなんてまだ一つも用意出来てない。

「……ゆーた」
「うん?」

好くだけが愛じゃないように、好かれるだけも愛じゃないなら、俺は何度だって悠太の手を取るよ。悠太の手しか、取れないよ。
日付が変わるまであと二時間と少し。

「メリークリスマス、…イヴ」

いつだって俺には悠太が足りない。





えも言われぬ聖夜




あとがき


「#エロ」のBL小説を読む
BL小説 BLove
- ナノ -