12時過ぎのシンデレラ 5 「時間ならある。」 呆気にとられながらもそう言った源田の腕を掴んで、無言で引っ張った。 引っ張って、歩いて、歩きなれない靴は酷く踵を痛めたが、そんなことは気にならない。 俺にはどうしてもしなければならないことがあるのだ。 歩いて歩いて歩いて、ついた先は所謂、ホテル街。 別にそういうことをする目的なんて全然ないから、適当に入って適当にボタンを押す。 中学生の俺たちに入れる場所ではないのは重々承知しているが、きっと普通よりずっと年上に見られる俺たちなら問題はなかったに違いない。 けれどまあなんとも有難いことに直接面会する形ではなく、ボタンを押すと鍵が出てくる無人タイプだった。 出てきた鍵を源田の腕を掴んでいない方の手で急いで掴んで、源田と一緒に部屋に向かう。 源田の顔は、見なかった。 見るとどうしても揺らいでしまう。 きっと酷く当惑しているだろう。 まだ二回しかあったことのない女に、ラブホテルに連れ込まれるなんて、驚かない男なんていないんじゃないのか。 いや、まあ、そこらへんは俺も幼いのでよくわからないけれど。 (あった…) 登って、行きついた先は付きあたりの部屋で、がちゃり、と鍵をまわして開ける。 案外中は普通の部屋で、心のどこかで少しだけ安心する。 そして源田をベッドに座らせる。 その時にはじめて源田の顔を見たが、源田はなぜか酷く落ち着いた顔をしていた。 内心、もしかして慣れてんのか?とも思ったが、源田はあまり焦燥感を表に出す奴ではない、と思いだした。 焦って、落ち着かなかったのは俺なのだ。 「ここで待ってて。」 そういうと源田は静かにこくり、と頷いた。 それを合図に俺は部屋に置いてあったバスローブをひっつかんで風呂場に入った。 ラブホテルを選んだのは単に、二人っきりになれて、シャワー使えて、俺が逃げ出せない、個室。 俺のしたかったこと、しなければならないこと、それは源田に俺の正体を明かす、ということだ。 それは俺に、『さくら』に、好意をよせてくれた源田に対する、俺の最大限の誠意だ。 今後連絡を取らないなんて、そんなことは源田に対する侮辱に等しい。 そして後日、言葉で伝えるなんて、それでは俺への罰にはならない。 着ていたワンピースを脱いで、編みこまれた髪をほどく。 ばさりと銀糸が飛び散って、『佐久間』へと一歩近付く。 シャワーを乱暴にひっつかんで、調整してお湯を出す。 そういうホテル独特のピンクのどぎつい照明が俺を照らす。 (…源田は、なんて言うだろ…) 手が、震えていた。 怖い、怖い、と脳が悲鳴を上げている。 来るときは必死で、気付かなかった恐怖は1人になった途端、襲ってきた。 今自分はきっと、酷い顔をしている。 わかっているからこそ、目の前に聳え立つ己の姿など、見れない。 源田に真実を、俺も源田が好きで、源田も『さくら』が好きだからこそ、知らせなけらばならない。 俺を突き動かす動機は、俺を異常なまでに蝕んでいた。 知らせてどうする、そのあとは、どうなる。 普通に今まで通りともにサッカーができるのか? そもそも、源田は俺のことを許してくれるのか? 源田はきっと、表には絶対出さない奴だけれど、心の底で酷く傷つくんじゃないのか? それならばいっそ、黙っていたほうがお互いのためじゃないのか? 頭の中を、ぐるぐるぐるぐる。 廻る廻る言葉達。 それは酷く残酷で。 ぐさりぐさりと抉るそれは、尋常じゃない程の不快感。 気付けば、シャワーの温水とは違う、何かが流れていた。 泣いていた。 泣いていたのだった。 ただそれは、恐怖、というのもあったのかもしれない。 でも、それは失恋にも似た感情も混ざっていた。 『さくら』を好きだということは、『佐久間』が好きなのではないのだ。 (しんど…) 何がどうしてこうなってしまったのか、初めはただの悪ふざけだった。 しかし、全ては自分の責任で、それを負うのはけじめであり、誠意だ。 源田のことが好きだからこそ、彼を、自分を傷つけなければならないことが分かっていても、このままにはしてはおけない。 手の甲で乱雑に涙を拭うとアイラインやマスカラで真っ黒になる。 排水溝を伝って、下水に流れる湯は、全てを洗い流す。 『さくら』は『佐久間』に。 本来の『佐久間次郎』に戻るのだ。 嘘偽りなど、あってはならない。 誰かを好きになることは、そういうことだ。 全てを洗い流して、置いてあったタオルでこれまた乱暴に髪を拭く。 体を拭いて、ひっつかんでいたバスローブを着て、やっとのことで自分の顔を鏡で見た。 「…はは、ひでえ顔。」 目は泣いたことによって腫れているし、まだ今にも泣き出しそうな顔で。 しかし、ただ、でも。 本当に泣きたいのは、傷つくのは、源田だ。 被害者なのは、俺じゃない。 腹をくくったものの、足取りは重く。 そろりと近づくが、源田は律儀に待ってろといった場所でそのままの姿勢で座っていた。 そのおかげで少しだけ、本当に少しだけだが、気が緩む。 本当にどこまでいっても、あほはあほだ。 源田は、そこに座ったまま、窓の外を見ていた。 「源田!」 『さくら』ではなく『佐久間』として。 普通に、いつもどおりに。 フィールドにいるときのように、軽やかに、気安く、親しみをこめて。 ゆっくりと源田が、振り向いた。 いや、ゆっくりと感じたのは俺が既にとてつもなく緊張していたからかもしれない。 そんなことはどうでもいい、源田は、確実にこちらを向いた。 俺を、見た。 「…よう、」 俺は手を上げて見せる。 そして上げて、おろして、一気に頭を下げた。 「源田!すまない!」 謝って許してもらえるなんて、思ってない。 これは単なる自己満足。 真実を告げるための、儀式。 そしてすうと息を吸い、顔を上げる。 口を、開く。 「『さくら』は、俺だ。」 濡れて生乾きの髪が、顔に、首に、張り付いた。 滴る水滴が視界の邪魔をするが、そんなことを気になどしていられない。 真っ直ぐに源田を見て、真実を、告げた。 そして今度はもう一度ゆっくりと頭を下げた。 目をぎゅっと閉じて、源田の言葉を待った。 頭を下げるときに見た源田の顔は、正直よくわからない。 見てはいたけれど、見ていられなかった。 源田が、酸素を吸う、音がした。 . |