揺らぐ緑










掴んだ腕をどうしても離したくなかった。
それは俺の我儘なのかもしれないが、目の前の不動が抵抗をする様子はなかった。
ただ至極迷惑そうに俺を睨みつけるその顔に妙な愛しさが湧く。
細く頼りないその腕は中学生そのもので、でも精神的にはつっぱって大人に見せよう見せようとする。
それがとても悲しかった。
沈黙は長い。
俺が長く思案しているのと同様に不動もまたそうなのだろうか。
好きだ好きだと、理解したいと思っているのに目の前の男は何も語らない。
故に自分の中で「不動明王」という男の偶像を作り上げなければならない。
理解出来ている、と思いたい。
でもそれは自分がそうであってほしいと思っているだけで、実際はそうではない。
自分の考えなど到底及ばない男だということだけは確実なのだ。


「…不動、」


何を考えている、と続けようとする。
けれどそれを聞いて何になるというのだ。
不動がそんなことを簡単に話すわけなどないのだから。
掴んだ腕に、触れている箇所があるのに、どうしてこんなにも距離があるのだろう。
口を噤むと痺れを切らしたかのように、そして何か考えるように、不動が口を開いたのだった。


「鬼道、痛い。」


どうやら噤んだ口と同様に、手のひらにも力が入っていたようで何も言わずに手を緩める。
緩めても掴んだままの手に不動はやはり振り払ったりはしなかった。
不動は一度目線を外し、そして今度は無表情で、まっすぐに俺を見つめた。
そして緩やかに掴まれていない腕を使って俺の手を優しく退けた。
そのまま手は俺のゴーグルへ伸びて、レンズを指先で撫でた。
視界は不動の白い指先で染まる。
不動の表情からはやはり何も読み取れない。
そして荒々しく、俺のゴーグルをはぎ取った。
レンズ越しではない不動も、やはり何も変わらない。
分からない、分かりたいのに。
じれったいなにかが心の中を渦巻く。


「話がしたいときは、目を見ろよ。」


こんなもんつけてて相手に失礼だと思わねぇのか、と何故か叱られる。
はぎ取られたゴーグルは不動の手によって無造作に地面に捨てられた。
捨てたほうの手も掴むと、そちらのほうは易々とはじかれてしまった。
見透かされている、様な気がした。
不動の目に映る俺は酷く動揺していたように見えた。
真っ直ぐ俺を射抜く不動の視線は何も言わぬ。
口でも目でも、体でも、不動の考えはわからない。
触れ合ったままの不動の腕と俺の手のひらは、確かに温もりを伝えている。


「…用事がないならのいてくんねえ?」
「用なら、ある。」


あるのだが、言葉がうまく出てこないのであった。
ここで不動を引きとめて一体何になるというのだろうか。
伝えたいことも伝えられないのに。
ただ、目の前の男のことが知りたい、それだけなのに。
あるといった手前何か言わなければと頭の中でぐるぐると、それはそれは酷く懸命に脳は動く。
普段試合中ではこんなことはありもしないのに。
慌てる脳が痺れたように感じた。


「…傍にてほしい。」


やっと出たのはそんな言葉だった。
目の届く範囲にいてほしい。
束縛するつもりはないが、手の届かない場所に行かないでほしい。
引っ張り上げるのは無理でも、横で支えてやることは出来る。
それは聞きようによっては酷く傲慢で、自分勝手で、自己満足な言葉である。
それはわかっている。
だが離したくないのだ。
この白く、頼りない手を。
不動はその言葉に自嘲的に笑った。
ぎらぎらとした目は相変わらず、でも少し影を顰めて笑うのだ。


「…それだけ?」
「………」
「用はそれだけか?っつってんの。」


くつくつと笑う。
目の前の不動はさも愉快に、そして遂に俺の掴んだ腕を祓ったのだった。
次第に笑い声は大きくなっていき、止まらなくなったのか腹を抱えて笑う。
どうかしている、と俺は素直にそう思ってしまった。
本当にどうかしているのだ、俺も、不動も。


「鬼道ちゃんはさ、そんなこと言って俺に何したいわけ。」
「何…とは?」
「何が目的なの。俺が、お前の傍にいて、それでなんになるのかって聞いてんの。それにお互い何の得があるの。」


ふいに笑いが消えて、そんなことをいう。
その目がはじめて揺らいだ気がしたのは気の所為じゃないと、信じたい。
笑った後の後遺症なのか、目じりにはじんわりと水が浮く。


「…損得の問題じゃない。」


そう俺が言うと不動は振り払った手で俺の頬に触れる。
ふるふると震える手に俺の手を重ねてやると、酷くびくついた。


「鬼道、お前、めんどくさいうえにうざい。」


そう笑う不動の目は、肉眼でしか絶対確認できない程わずかに揺らいでいた。




戻る



.