※社会人パロ

最初の一杯










酒の匂いの充満する店内はとても鼻をつく。
けれどそれが嫌で仕方なかったのは二十歳までで、二十歳を過ぎて自分も酒をある程度嗜むようになれば全く気にはならなくなった。
寧ろ今日は金曜日。
一週間の最後、明日から仕事は大抵の人たちは休みになるためにいつも以上に騒々しいような気がして、とても楽しい雰囲気に包まれていた。
かくいう僕も明日から短いながらも休みに入る為に少々浮かれているのかもしれない。
矢張り一週間、仕事を懸命にやり通せば多少なりとも疲れるのは当たり前で。
疲れた体に最初は苦手だった酒は最早ご褒美である。


「お待たせ。」
「おう、お疲れ様。」


大学進学で東京に来てはや七年の月日が経っていた。
二十歳も既に半ばに達していて時が経つのは本当に早い。
此方にきてからというもの、キャプテンも含めみんなとちょこちょこ会うようになった。
大学生になっても社会人になっても矢張りみんな基本的には変わらないものの、姿形は多少なりとも変わる。
体格もあの頃よりがっちりとしたし、背だって勿論伸びた。
少しばかりの変化はかなり大きなものではあるが、僕と彼らの関係は多分いつまでも変わらないのだろう。


「すまない、先に頂いてる。」
「うん、いいよ。お疲れだしね。あ、すいません、生中ください。」


忙しそうにガチャガチャと音を立てながらジョッキを運ぶ店員さんにそう告げると大きな声で了承の旨を伝えてきた。
その声を聞いてからふう、とやっと朝家を出たときからきっちりと締めていたネクタイを緩めた。
ネクタイを締めると矢張り気合いが入るというかシャキッとするというか、常に気を張っている気がする。
背筋が伸びた感じがするわけだが、緩めればもう完全にオフモードだ。
ぐったりと机に突っ伏すと僕と待ち合わせをしていた風丸くんは笑った。
なんだかそれが気に入って僕もにやにやしつつ、その体制のまま風丸くんの方を向く。


「お疲れだな、」
「…お疲れだよぉ…。」


そういった瞬間風丸くんに「後ろ」と言われる。
だるさをおして体を持ち上げると背後にはビールジョッキを持った店員さんが少し困ったように立っていた。
すみません、と言いながらそれを受け取り手のひらで触れるとひんやりと気持ちが良かった。


「ん、」


そう言って風丸くんが飲んでいた焼酎のグラスを差し出す。
いやもう君始めちゃってるじゃないか、と思いつつも「乾杯」とグラスをかち合わせた。
ぐい、と一気にそれを煽る。
口内に弾ける。
独特の苦味が一気に広がるが最初は苦手だったそれも気付いたら癖になるほどであった。


「いい飲みっぷり。」


風丸くんは少しもう酔っぱらってしまっているのだろう、嬉しそうにそう言う。
でしょ?と少しおどけて胸を張ってみせると背中をバシン、と叩かれてしまった。


「最近どうだ?」
「ん〜、ぼちぼち。」


僕らの変わらないところは大概そういうどうでもいい会話から入るところだ。
最近、とは仕事とか私生活とか全ての事柄を指す言葉ではあるが、まあそれら全てを総合しても僕の日常は「ぼちぼち」だった。
別に良いことがあったわけでも悪いことがあったわけでもない。
至って普通、普通なのであった。
少しずつの変化が分からない程にただ仕事をして偶に週末飲みに行く。
そして休日を過ごし、また仕事。
そんな変わり映えのない毎日ではあるものの僕は比較的そんな日常を気に入っている。
不満がないわけではないけれどそれは日々の積み重ねから来るものであり、そんなものがなければきっとつまらないだろう。
適度に仕事があって、適度に不平不満があって、適度に安らぎがある。
それがとても居心地がよく、その輪から外れようとは思わない。
特にこういう、たまに飲みに来るこの時間がとても好きで、学生時代と同じように他愛もない話題で会話をして、馬鹿な話をして笑う。
日頃の鬱憤なんて本当にどうでもよくなるのである。


「そういえば中学の頃さ、」
「うん、」


そして現状を話した後に来るのはいつもの如く過去の話で。
それを面白可笑しく語らうのも恒例だった。
昔の話程、酒の肴になることはない。
あの頃は笑えない出来事でも、今となっては笑って話せる。
そんな相手がいるだけ、本当に幸せなことだと思うのだ。
そしてこの続きは大抵決まっていて、その返しもいつも同じだ。


「あの頃は良かったよな〜、」
「風丸くん」


過去を懐かしむようになったらおっさんの始まりだよ?と小首を傾げつつ続けてやると風丸くんは「まだまだ現役だ」と少し膨れっ面になりながらまた酒を煽った。
現役ってなんの現役なんだよ、なんの。
そんなことを思いながら僕もまた少し温くなったビールを啜る。
やっていることは変わってもなんだかんだでこうだらだらとした関係が続いている。
きっとそれは何年経っても変わらないだろう。
それを確信出来ていることは矢張り心地良くて仕事でどんなことがあってもこの瞬間の為に頑張れるもんだと僕は思う。



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