溢れて溢れて止まらない









ごろりと横になればそこには晴矢がいた。
そんな当たり前の光景をただじっと見つめるだけしか出来ない自分も、其処にはいた。
一緒に居ることは当たり前で、競い合う仲ではあるのだが、けれどそれ以上でもそれ以下でもない。
考えれば考えるほどにごちゃごちゃと繰り返す押し問答はどうにも解決する糸口すら見つからないのだ。
泣きだしたい時すらもある。
それはきっといろいろな感情が溢れてどうしようもない時なのだ。
けれどそれを溢れさせてしまえば、どうにも抑えようのない何かがもう止まらなくて、溢れて消えてしまいそうな気がする。
手を伸ばせば直ぐ届く距離で寝息を立てている晴矢に、触れてしまえばどうにもならない気がして。
溢れてしまいそうなそれと同等の価値が、流れてしまいそうな気がする。
白いシーツは心地よくて、今すぐにでも溺れてしまいそうではあるが、溺れてしまえばどうにも後戻りが出来ない気がするのだ。
そしてそれが溢れたときに、認めてしまわなければいけない沢山のことが、どうにも今までの関係とか、そういったものを崩壊せざるを得ないと思う。
それが嫌で、今の現状が好きで、堪らないのである。
けれどどうしても衝動は止められず、矢張り伸ばした手は、触れてしまった。
晴矢の歳相応の、けれど他の男子よりは少し小さい肩を掴むと、晴矢は身じろぎして起きてしまう。
目じりに涙をためて、とても眠たそうに、けれどその琥珀の目は私をしっかりと捉えていた。


「…なんだよ。」


晴矢の声が妙に安心させてくれるのは、本当に女々しいことだと思う。
けれど幼いころから聞いていたその声はどうしようもなく安定剤の他にはならない。
ゆっくりと本当にゆっくりと振り向いた晴矢の動きに合わせてシーツがそれを中心に、波打つ。
ずず、と衣擦れの音が聞こえて、私はそれにどうしようもなく、泣きそうになった。
込み上げてくるものは我慢していたそれであることは重々に承知しているが、それを認めたくないという想いが必死にそれを留めるのである。
体を捻り此方に顔だけ向けていた晴矢が、一際大きな音を立てて完全に此方を向いた。
何故完全に此方を向いてしまったのか分からないが、けれど晴矢は不思議そうな顔をしていた。
眉間にぐっと皺を寄せ、訝しんでいるように私を見ている。
私はそれをぼんやりと、ただ見つめているだけである。


「何、どうした。風介?」
「……いや、なんでもない。起こしてすまない。」


名を呼ぶな、と言いたくなる。
そしてどんどんこみあげてくるそれにそろそろ抵抗できなくなる。
晴矢はぶっきらぼうで乱暴ではあるが、妙にそういうところには敏感で優しいところがある。
気付かれてはならない。
崩壊する、私のプライド諸共。
そんな安っぽいものを持ち合わせていたとて、何も得をすることなんてないのだけれど、どうしても手放してはいけないものだった。
けれど溢れる寸前のものは、少しだけでもこぼれてしまえばおしまいなのだ。
名前を呼ばれたことで少し、こぼれてしまったそれが、欲が。
どうしようもなく辛く重いそれが。
衝動的に手をぐっともっと前に伸ばす。
そのまま、同じくらいの背恰好である晴矢をぎゅっと抱き寄せて、そのまま腕の中に閉じ込めてしまった。


「な、なにしやがる!」


勿論晴矢は抵抗する。
けれどそれをぐっと抑え込むようにきつく、きつく抱きしめ上げてしまえば、晴矢も暫くすると大人しくなってしまった。
私のすぐ傍で、呼吸をする晴矢がとてつもなく愛おしい。
蓋をしなければならないのに、どうしてもなんだかこのままでいたいという気持ちが勝ってしまって抗えない制御できないそれに途方に暮れるほかはない。


「……ほんと、なんなの。」


確かに私は一体何をしたいのだろう。
こうやって引き寄せるだけで己が内の欲が収まるわけではない。
寧ろ悪化するに違いないただの行為なのに、それでも晴矢が欲しくて縋る自分は実に滑稽だ。
傍にいるのに、こんなにも傍にいるのに。
もっともっと、と欲しがる欲は途方もなく強くて、酷い。
けれど晴矢のその手が、まるで幼い子をあやすかのように優しく伸びてきて、私の背を撫でるものだから、どうしようもない。


「何泣いてんだよ。」


気付くと泣いていたのであろう。
けれどその表情は悔しいとか、悲しいとかそういう感情からはかけ離れているに違いない。
ただとめどなく流れる涙が、晴矢の肩口を濡らしていく一方だ。
そんなことをしたって、晴矢を私の想いが重なることなんてありはしないのに。
私はやはり卑怯なのだ。
そしてその卑怯な自分が、今のこの状況を招いていることに少しばかり喜ばしく思っているのだ。
それがどうしても許せず、ただ泣くことしか出来ない。
晴矢はぶっきらぼうで口が悪い癖にやさしい。
だからきっとこんな状態の私を突き放すことなんてできないだろう。
それがわかっていながら、どんどんと出てくるそれは、溢れ出始めた欲と同じだった。




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