宵闇テレプシコーラ 11










目を瞑った。
そして息を吸った。
吐いて、そして少し止めて。
目をゆっくりと開いて、普通の呼吸に戻して直ぐ、言う。


「すまない。」


気付いてやれなくてすまない。
今まで忘れていてすまない。
沢山の意味を込めた四文字を口にする。
再会しただけでこれほどまでに、溢れるほどに懐かしさがこみあげていくというのに佐久間がいない日常が普通になってしまっていた。
それを謝りたかったのと、相当に苦しんだであろう気持ちに気付いてやることができなかったことを詫びたかった。
そしてもう一つ、意味がある。


「今は、お前の気持ちに応えることは、出来ない。」


自分で言って、眩暈がしそうだった。
それは、所謂拒絶の言葉で、『受け入れられない』と佐久間に今、言ったのだ。
残酷な真実を口にして、俺は一体何をしたいのだろうと一瞬、思う。
けれどあんなにも、感情を必死にひた隠して、さも何事もなかったかのようにさらりと告げられたその言葉に、返答しないのは嫌だった。
佐久間だから、佐久間だからこそ。
今のありのままの自分の気持ちを、佐久間に返すべきだと思った。
それが佐久間に対する今までの感謝と、懺悔と、誠意であると。
この一言で、関係が余計に崩壊するかもしれない、今度こそ、本当に会うことはないのかもしれない。
けれどここでそんな気などないのに了承することは佐久間に対して失礼だと思った。
だからこそそれを言いに来た。
真っ直ぐに、ストレートに、それを伝えに来たのだ。
急にそういう風に、俺には佐久間をみることは、出来ない。
佐久間はその言葉を聞いて、驚いたように目を見開いて此方を向いた。
短い髪が揺れて、大きく開いた目は、徐々に潤む。


「知ってた。」


源田が俺にそんな気ないことくらい、と佐久間が続けた。


「…っ、無理だって!そのくらい!」
「うん。」


佐久間の感情がどんどんと昂っていくのがよくわかる。
そしてその大きな眼帯で隠れていないほうの瞳から、勢いよく涙が零れた。
佐久間が初めて、再会してから初めて。
感情を素直に表に出した瞬間だった。
どことなく見え隠れはしていたものの、隠そうと隠そうとしていた感情を、一気に剥きだした。
佐久間は泣いた。
まるで子供のように、嗚咽混じりに。
あのプライドの高い佐久間が、それほどまでに。
それほどまでに他人の目の前で泣く程、俺の言葉は佐久間に深く突き刺さったのか。
決壊したそれは、留まるところを知らない。
溢れる涙と言葉は、溢れて溢れて、溢れる。
それをただ俺は、聞いてやることしかできない。
きっかけを与えたのは俺であるのに、それが不甲斐なくて仕方ない。
せめて、想いは全ては受け止められなくても。
少しでも。


「分かってたから、わか…っ、ひ、わかってたんだって、」
「うん。」
「源田がおれの…こと、すきじゃないことくらい…っ、そういう意味で見てないことくらい…っ!」


佐久間の言葉は悲痛だ。
俺の言葉が佐久間に突き刺さったのと同様に、俺にも佐久間の言葉は突き刺さる。
けれどそれすらも、そんな傷を受けることなど、拒否することは出来ない。
それくらいしか今のおれには受け止めてやることは出来ないのだ。
泣く佐久間の頭を撫でてやることも、その震える体を抱きしめてやることも、そんなことをしてしまっては駄目なのだ。
そんな資格は、拒否した俺にはないのである。
だからこそ気の済むまで、聞いてやることしかできない。
それは酷く、もどかしいことだと今知った。
佐久間の涙は止まらない。
一度出してしまったものは取り返しなど利かないものだ。
溢れて、枯れ果てるまで、それはきっと終わらない。
それほどまでに今までため込んでいたに違いないのだ。


「…ご…っめん、ごめん、源田、ひっ、ごめん、」


ごめんごめんと呟く佐久間はまるで幼い子のようだった。
何かに恐れて、常にびくびくと、臆病で、弱い。
感情を吐露したことで何かがはがれてしまって、内面が浮き彫りになる。
その内面が、佐久間の内側が、見えたときに出てきたのは謝罪の言葉だった。


「何が?」


泣いてしまってすまない、ということなのだろうか、と最初は思った。
けれど違ったのだ。
佐久間の口から出た言葉はそんなものじゃなかった。
好きになってごめん、と。
迷惑をかけてすまない、と。
男が男を好きになるなんて気持ち悪いよな、と。
その謝罪は佐久間のその俺への想いに対する謝罪だった。
それを聞いて、俺は愕然とした。
佐久間が押し込めていたのは俺へのその想いだけではなかったことを知った。
友達を好きになるなんて、と佐久間は泣く。
けれどそんな謝罪は、俺には全く必要ないのに。
気持ち悪いだなんて、そんなことはひとつも考えなかった。
佐久間は怖かったのだと思う。
けれどそれを身の内に潜ませておくことももう出来なかったのだと思う。
同窓会という場で会ってしまって、溢れた。
溢れたものはもう内には戻せない。
だからこそ、伝えた。
そしてその罪悪感から、決別しようとしたのだ。
だとしたらなんという。
勘違いも甚だしい。


「佐久間、」


気付けば名を、呼んでいた。
触れてはいけないと、その資格はないと思っていたが自然と手が伸びた。
その頬に触れ、涙を拭ってやる。
佐久間は勘違いをしている。
俺がお前を気持ち悪いなどと、思うのか。
そんな謝罪を望むわけがない。
変わらないものなどないと思っていたが、それはある。
今ならそう断言できるものがあるのだ。




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