宵闇テレプシコーラ 8










「まあ、そんな冗談は置いといて、」


と固まる俺を見て佐久間は笑った。
それは本当に屈託のない笑顔には違いなかったのだが、それは他人から見た話で、俺には何か諦めたような表情に見えた。
そして「そろそろ帰ろうぜ」と佐久間が扉の方に歩いて行く。
何故だかひきとめなければならないような気がしたが、俺にはそんな資格などないと、同時に感じてしまう。
俺は佐久間の心に秘めた奥の方のその気持ちを聞いて、妙に動揺していたからだ。
嬉しいのか、悲しいのか、よくわからない。
いろいろな感情がひしめき合って、よくわからないのだ。


「おい、源田。行くぞ。」


ひょこりと屋上の入り口から覗く佐久間の揃っていない短髪が揺れる。
ちょいちょいと手招きをされて、「ああ、今行く」と返事をするのがやっとだった。
後ろ髪を引かれる想いで、重い、何故か妙に重い足を前に出す。
ひんやりとした風が背中をうって、きっと背後で舞い踊っている白い髪が容易に想像できる。
それらに背中を押されるように、歩きだす。
佐久間もそれに満足したのかこちらに背中を向けて歩きだした。
それからは酷く静かで。
お互い何も話さずひたすら横に並んで歩く。
本当ならば、佐久間はもう帰るのだから今日一日の楽しかったことや、あそこはよかった、だの話すべきなのだろう。
けれど、双方がまとった空気はそれを許すような空気ではなかったのだ。
ただ黙々と、中学時代に共に歩いた道を行く。
姿かたちは変わってしまったけれど、関係は変わらない。
ずっとそうだと思っていた。
けれどそんなことはあるわけがない。
変化が訪れないものなんて、あるわけがないのだ。
あっという間にその時も終わってしまう。
何時だって、維持することは難しい。
時も同様、同じ時間を未来永劫味わうことなんてないのだ。
駅についてホームまで、送ろうとついていこうとしたが佐久間の手に制止される。


「ここでいいから。」
「いや、でも。」
「もう遅いから帰れ。おばさん心配すんぞ。」


そう言って手のひらで俺の胸をとん、とついた。
普段ならそれだけでよろけたりするはずがないのに、後ろに一歩ひいてしまった足。
そのまま、そのまま。
その隙に佐久間もまた、一歩後ろに足を引いた。


「じゃあ、元気で。」


また、ではない。
なんとなくそれがわかった。
正真正銘のさよならである。
佐久間の目はまっすぐで、ちっとも揺らいでなんていなかった。
けれどそれがどうしても俺は信じられなくて、どうしても信じられなくて。
最後だなんて、嘘だろう、と頭の中で葛藤する。
けれどもそれを言葉に出すことなんて出来るわけもない。
俺は佐久間の気持ちに応えてやることなんて出来やしないのだから。
そういって軽く手をあげ、佐久間は踵を返した。
それから何の迷いもなく、すたすたとまるでこれが当たり前のように、歩いてあっという間に改札をくぐってしまった。
ひいてしまった足は動かない。
俺は只、呆然と立ち尽くす他、なかったのだ。


佐久間の気持ちに応えてやることなんて、それは到底無理な話だった。
実際今までずっと、佐久間のことを友人の一人だと認識していたからだ。
いや、確かに他の友人よりかは特別な位置にいたかもしれないが、それはいうなれば『親友』というポジションで。
恋人云々の話では全くないのだ。
立ち尽くしたまま、暫く呆然としていた。
気持ちの整理がなかなかつかない。ぐるぐると回る頭の中は完全に意味がわからず、よくわからない単語が浮かんでは消え、浮かんでは消え。
佐久間が乗ったであろう電車が出て、それからやっと。
やっとじり、とひいた足が動いた。
そのままここにいてもラチがあかない、と思いとりあえずその場を後にする。
それでいいのか、と自問自答しながら。
何も答えられない自分を責めながら。
そうしてぼんやりとしながら歩いて、家について「ただいま」と言いながらいつも通り帰宅する。
母に佐久間のことを聞かれたが「元気そうだった」と無難に返してそのまま部屋に向かった。
部屋の隅にジーンズのポケットにつっこみっぱなしだった財布を放り投げ、ベッドに横になる。
何故だがドっと疲れが押し寄せた。
そしてもう片方のポケットから携帯電話を取り出す。
携帯には、着信もメールも何一つ、着ていなかった。
部屋の電気もつけず、開いた携帯はうすぼんやりと光を放ち、ただそれが無性に悲しかった。




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