※佐久間視点

宵闇テレプシコーラ 7










髪を切ろうと思ったのは本当に最初はただの気まぐれと言うか単なる思い付きだった。
両親の都合で県外の高校に行かねばならないことは居心地のいい帝国学園から離れるということで、それはどうにも俺にとって気合のいることだった。
だから気合を入れるために、と適当にその辺の美容院に入って髪を切ってもらった。
しゃき、しゃき。
髪の束がどんどんと下に落ちる。
どんどん鏡の中の自分は髪が短くなっていった。
肩甲骨下あたりまであった髪は肩に、耳下に。
初めは特に何も思っていなかったがふと急に。
思い出してしまったのだ。
無機質なあの学園の入学初日。


入学式の教師の話は実に退屈だった。
ただサッカーがしたいがためにこのサッカーの名門帝国学園に入ったというのに、そんな長い話を聞きたいわけではないのに。
酷く窮屈に感じてしまって、終わったと同時に屋上についた。
きっと教室ではHRが始まる前の所謂『おともだち作り』が始まっていることだろうが、正直なところそんなことに興味はなかった。
堅苦しいのは嫌いだった。
だから早く解放されたかった。
入っていいものかどうかもわからない屋上にそっと進入して、明け放した扉からは青いこれまた青い空が広がっていた。
フェンスに近寄って、下を覗くも無機質な校舎しか見えず、草花など一切ない帝国学園ではそこだけが異様だった。
そしてただぼんやりと、空を眺めつつ、早くサッカーがしたいなどとぼんやり考えていた。
少しだけまだ肌寒い風に新入生としての証の胸元に差し込んだ赤いリボンがふわりと舞う。
その時、ふいに扉が開く。
背後の気配に振り向くとそこに立っていたのが源田だった。
そういえばそうだった、はじめてあったのはサッカー場でも何でもなかった。


「…」
「…」


なんとなくお互い、誰も来ることなどないと思っていたのだろう、妙な沈黙が続いてしまう。
俺はなんだか居心地が悪くて、どうにも息苦しさを感じてしまっていた。
やっと解放されたというのにまた感じるそれにどうにも、窮屈で、しんどい。
はあ、と大きく出たため息がそいつに聞こえていたのかわからないが、源田は少しだけ戸惑い、そして笑った。
笑いかけてきたのだった。
風に源田のリボンも舞って、ああ、こいつも一年なんだな、と頭の隅で考える。
それにしては大きな体をしていて、同じ男として非常に羨ましい。
そしてそんな笑いかけてきた源田に俺はどんな顔をしたかすっかり忘れてしまったが、笑い返すことはしなかったように思う。
唐突にやってきた介入者を、おれはあまり好まない。
また一段と強い風が吹いて、少しだけ伸びていた髪が空を舞った。
顔に掛って鬱陶しいと、指で跳ねのけてふとそいつのほうを見ると、そいつは俺のほうを指差していた。
そして言った。


「その髪の色。綺麗だな。」


そういってまた笑いかけてきた。
青に良く映える、と。
男相手にそんなことを言われても嬉しくない、というかそもそも、そういうのは女子に言うもんだ。
そう思った。
けれどそれがどうにも、目の前の男子の屈託のない表情にどうにも悪い感情は抱けなかったのだ。
それと同時に、何故か源田に苦手意識を持ってしまったのを覚えている。
なんていったって自分と全く正反対だったからだ。
しかしそれもなんのその、時の流れというのは恐ろしいもので。
それからとんとん拍子に親しくなっていくわけである。
というのも『慣れた』という方が正しいのかもしれなかった。
源田幸次郎は実に、真っ直ぐな男だった。


そこまで回想して、気付く。
そういえば無意識であまり気付かなかったがそれから俺の髪はずっと長かった気がする。
そして全てが合点するのだ。
卒業式の日、認めたくなかったのだが、俺が確かに感じていたのは帝国学園から離れるということもあったが、それよりちくりと痛んだのが、「源田と離れること」だった。
それが無性に寂しくてたまらなかったのだ。
何食わぬ顔をしていたから周囲はまるで気付かなかっただろうけれど。
俺は確実に、その中学の3年間という短い期間のうちに、源田にとてつもなく執着してしまっていたのだ。
その時無性に俺は、泣きたくなった。
寂しいから、ではない。
それは気付いてはいけないものに気付いてしまったからだった。
いや、その時は気付かないようにしていた。
けれど今、鏡に映っている自分は一体どういうことだろう。
実に酷い顔をしている。
自分にしか分からない、酷い顔。


家に帰って、俺の心内は酷い後悔に駆られる。
申し訳ないのだ。
友人をそんな風に思ってしまったことが。
俺が女であればこんなにも悩むことなどなかったのだろうが、気付かないようにしていたその気持ちは一度蓋をあけてしまうととめどなかった。
どうしようもなく源田のことが、好きだった。
無意識に好きになってしまって、卒業して、今、気付いた。
鏡に映った自分の髪は矢張り短かった。
ただ、その姿を見ていると何故か心が落ち着いた。
女々しいかもしれないが、所謂気分転換の一種は、そちらの方にも効力を発揮していた。
気付いたのはその時だったけれど、髪の長かった、無意識に髪を伸ばしていた俺はもういないのだ。
忘れるように努力した。
そして忘れることができた、と思った。
だから同窓会にだって参加したのだ。
友人として、源田に会うことだってもう大丈夫だと。
けれど何一つ変わっていない源田を見ると、あの時の気持ちがよみがえってしまった。
だからこそ、決着をつけなければならなかった。
それは自己満足ともいえる、なんとも自分に甘い選択だった。
メールを送る指も、震えた。
最後だと言い聞かせて、最後に最後だからこそと言い聞かせた。
もう少し自分は強く、しっかりとした精神を持っていると思っていたが、こんなにも源田に会ってしまったことで動揺してしまっていた。
なんと女々しい。
これでは駄目だ。
だからこそ、会わなければならないと、それは只の、自分勝手な解釈ではあったのだが。


「続き、まだ聞きたい?」


この先を聞きたいのなら、聞かせてやろうと思った。
でも、いってしまって後悔するのではないか、いや、聞いて後悔するのは源田だ。
しかし既に後悔してしまっているかもしれない。
源田の中の俺は、中学時代のチームメイトであり、友人なのだから。
関係が崩れるのは、誰だって恐ろしい。
首を横に振れ、と念じるが、しかしそれも叶わず源田は首を縦に振った。
仕方ないとばかりに源田に近寄る。
これが源田を縛る枷にならないことを、祈る。


「俺の髪、伸びたら好きになってくれんの?」


そんなわけがないだろう、とあの時思った。
言葉にすれば楽になる、しかし相手にとっては枷となる。
それを知っていて俺は。
源田はどこかぼんやりとしていて、矢張りそれは枷になってしまったのだと感じて、身の内は晴れ晴れしいが、胸の奥がちくりと痛んだ。




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