崩落寸前5秒前










ぐらりとする視界に、目眩がした。
体が言うことを聞かず、下降する意識。
不安定になることは、よくある。
ぐらぐらとした精神は、すぐさま揺れる。
そういう時はなんだか無性に憔悴して、もの悲しくなる。
以前ならそのときは布団にくるまり、耐えた。
震える体を掻き抱き、眠ると大抵収まった。
けれど、最近は甘えを露呈出来る相手が出来てしまった。
甘えは恐怖。
後々後悔するはめになるのは自分で。
相手に背負わせてしまうのではないかという恐怖と絶望に苛まれる。
けれど、それでも。
辛いときには抱きしめられて安堵し、一時の幸福に身を委ねてしまう。
それが相手の負担にならないことを祈りながら、それでも甘えを享受してしまうのは己の弱さだった。


「………」


今も、鬼道の部屋の前に立ち尽くしている。
恋人、という関係はこんなにも人を脆くさせる。
弱さを押し付けるくらいなら、こんな関係になるんじゃなかった、と後悔すら。
落ちた思考は悪い方へ。
この扉を開ける勇気などさらさらなくて。
らしくないと思い、頭を掻いた。


「…不動?」


がちゃり、と目の前の扉が申し訳程度に開かれた。
中からは求めてやまない鬼道が覗いていて、俺の名前を呼んだ。


「…矢張りいたか。」
「……なんで」
「…不動がいる気がした。」


ただ、それだけ。
そういう鬼道の顔を凝視していると、腕を引かれた。
扉はいつの間にか人ひとり通れる程、開いていて、俺の体はするりといとも簡単にその穴をくぐる。
入った先には鬼道の匂いが広がっていて、静まり返った部屋に扉の閉まる音が響いた。
落ち着いていく自分に、流されていく自分に、嫌気がさす。
自己嫌悪と、目の前にいる鬼道に対する衝動。
ふたつが交互に浮き出ては消え、よくわからない感情がふわりふわりと浮上する。
鬼道に腕を引かれた儘、部屋の中央まできたところ、鬼道がやっと俺の腕を離すので立ち止まった。


「何してんの、鬼道くん。」


無理に笑う。
いつものように不適に、厭らしく。
そうなるように唇の端を無理に上げて。
最後の壁を、塗り立てる。
けれど、鬼道は眉間に皺を寄せるばかりだ。
ゴーグルをすっと外し、現れた瞳に浮かぶのは心配の色。


「……無理をするな。」


そういった。
真っ直ぐ俺の目を見て、そういった。
無理なんかしてねぇ、と言おうとしたが、詰まる。
ふるふると己の体が震えていることに気付いた。
優しくするのも慣れていないが、優しくされるのも慣れていなかった。
まして、好きでたまらない鬼道に、そのような温かな目で見られるとどうしようもなかった。
溢れ出そうになったもの全てを飲み込む。
鬼道に依存したくはない。
俺というお荷物を、こいつに背負わせたくなどない。


「……して…ねぇ」
「……」
「……無理、してねぇ…から…」


絞り出した声は、『無理をしている』ということを露呈したに過ぎない。
けれど、今の俺にはこれが精一杯の虚勢だった。


「…不動。」


鬼道が俺の名を、呼んだ。
脳に心地よく響く。
絆されてしまいそうなのが、よく分かった。
壁は、今まで頑なに他人との間に作っていた、壁は。
鬼道は名前を呼ぶ、そんな行為だけで、なんなく破壊していくのだ。


「……鬼道くん、」
「なんだ。」
「…しんどい。」


鬼道に、甘えてしまった。たった四文字、今の心境を伝えた。
鬼道は「そうか」とぽつりと呟いて、いつものポーカーフェイスの儘、俺をじっと、見た。
鬼道の手が伸びてきて、俺の頬に触れた。
その熱が、どうにも温かく、身震いした。
笑みを作る余裕など、もう既に、ない。
そのままぼんやりと鬼道を見た。
頬を伝う指に神経を集中させると、その動きは、酷く優しかった。


「……何のために俺がいると思っている。」


鬼道が口を開いた。
その唇の動きを見つめながら、その意味を、反芻する。
何のため?
俺は求めてなど、いない。
ただ隣に並んでいればいい、そう思っていた。
本当にそうなのだろうか。
俺は、本当に。


「……」


鬼道が俺を引き寄せて、腕の中に収まった。
ぎゅ、と強く抱きしめられて、なんだか、無性に。
情けないからか、安堵からか、嬉しいのか。
味わったことのない感覚にまた、目眩がした。





***
茸さんから頂きました「甘えたい不動と甘やかす鬼道」でした。
フリリク企画にご参加、ありがとうございました!
これからも宜しくお願い致します。




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