「とりあえず出ろ! 体力的に倒すのは無理だ!」

 そう叫んだギルベルトの声は、掠れて喉に引っかかっていた。体力消耗による喉の疲労だ。やはり、二日も寝床で十分に寝ないで食事もまともにとらないと言う状況下は、国であったとしても堪えるものだった。
 ずりずりと化け物が数歩退く。私たちも退く、そして全速力できた道を逆走した。前に出す足が重い。痛い。よく見ると、血が滲んでいた。内出血も起こしている、酷い有様だ。
 いくつかの部屋を通り抜け、転々と居た連合の国々とも合流を果たした。移動中に肩を貸してもらったりしたようだったが、生憎意識が朦朧としていた私には霞がかった薄ぼんやりとした記憶しかない。
 ただ、自分の名前が数回呼ばれたことだけはしっかりと覚えていた。


 全員が再び合流したのは、扉の二つある小さなあの部屋だった。十一人が一部屋に納まると言うのは中々狭いとしみじみ思う。ほんの少しだけでも休めたお陰だろうか、少しだけ体力が戻っていた。けれど、もう自分も含め全員戦える余裕も体力もなさそうに見えた。

「くそっ! しかしこれだけ集まっても、状況は全然とくなってないじゃないか!」

 やっと見つけた脱出の道も無くなった。体力も心もとない。顔色から疑えるように全員がピークに差し掛かろうとしているのは明白だ。ドイツが喚きたくなるのも当然だった。

「ヴェスト。悪いように考えるな。まずは助かったんだ。それに、これだけの数の国が消えれば、助けがくるかもしれねぇ。」

 そうは言うものの、ドイツは納得してない様子だった。ギルベルトはこのまま放って置いても、徒に体力や気力を消費するだけだということに気づいているのだろう。じゃあ、なだめすかすのも私の役割だ。私はドイツに向けて手を拱いた。ス、と少し屈んでくれる弟ににっこりと笑いかける。整った顔をぺたぺたと熱を持った手で触りながら、不安に揺らぐ青い瞳と目を合わせた。

「ドイツ、怪我はありませんでしたか?」
「貴方よりは随分とマシだ……。」
「ならいいのです。……ドイツ、まだ頑張れますよね? お友達を助けてあげてくださいね。」

 にへらと力なく笑う。ちらと目を動かせば、熱を発している患部が目に映る。どくりどくりと、血が滴っていた。包帯で止血はしたので、これ以上の流出はないだろうが、いかんせん体力がなくなりつつあるこの状況で失血は大きな痛手だ。視線を弟に戻すと、その瞳は先程より酷く揺れていた。

「やはり、脱出は無理なんじゃないか……。その内一人ずつ喰われるんだろ。俺があれならそうする!」
「ドイツ!」
「ヴェスト!!」

 二人の怒声が飛んだのは、同時だった。
 重なり合った声に、びくりとドイツの体躯が跳ねた。

「いい加減にしろ!! たかが脱出する術が一つ消えただけだ! ほかにいくらでもあるだろ!」

 さっきまで穏やかだったとは思えぬ程に声を荒げて叫ぶ。ギルベルトだって、辛いに決まっているのに。それでも彼は弟を何よりも想っているから、本当に怒れるのだと思う。

「……フリードニア、兄さん。」

 はっとしたような顔をした後に、二人の顔をちらりと見る。そして、ハッと自嘲気味の乾いた笑いを一つ零した。気を取り直すように顔をあげる。
 そこにはあの弱気な彼の姿など何処にもなくなってしまっていた。まるで元から無かったかと言う様に、面影もなにもない。
 消えていた覚悟を灯した何時もの彼がそこにいた。

「スマン。それから、先程は……感謝する。今度は俺が助けられるようにいい加減心を入れ替えるつもりだ。足手まといで悪かった。」
「ドイツ。でもドイツは、そのままで……。」
「だめだ。」

 ばっさりと、彼はイタリアさんの台詞を一蹴する。なんてことない何時も通りのドイツだ。それなのにイタリアさんは少しだけ辛そうに声を震わせる。

「いざとなった時に仲間も守れないようでは日頃の鍛錬の意味がない。最低でも、お前の……肩の力が抜ける程度に、な。お前も、悪かったな。逃げずによく戦っている。感謝する。」
「え……あ、うん。あり……がと。」

 イタリアさんの背後の、扉が目に入った。
 どうしてだろうか。
 寒気がする。
 
「でもね。これなら絶対、出られると思うんだ。だって、初めてだよ。こんな……。」

何かにおびえるように背中を丸くする彼の体は、遠目から見ても分かる程に震えていた。

「頼むよ……。お願いだから、出られたら走って絶対絶対振り返ったり、我を忘れたり、責めたり、泣いたり、時間を……。」

 震えながらたどたどしく紡がれる言葉に不安が煽られて炎のように広がる。
 これじゃあまるで、遺言のようだ。これからやってくる死に備えるような彼の言動に、肌がぞわりと逆立った。

「イタリア君!!」

 動きたいのに、動けない。数歩動いて手を伸ばせば容易く触れることのできる距離だというのに、まるでそこに目には見えない境界線があるかのように前に行くことができない。鉛のように体が重い、どうして、どうして。

「……。怖かったけど……でも……。」

 イタリアさんの後ろの扉から現れたそいつは 時間はもの惜しげに一滴ずつしたたってゆく中、ゆっくりとだが確実にその口を広げる。


間に張られた境界線


「楽しかった。」

 イタリアさんの口元は、弧を描いていた。


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