少し暗い顔をして、日本さんたちは帰って来た。けれどその口から告げられたのは、「出口が見つかった。」と言う報告だった。暗い顔をしていたから、何かあったんじゃと思っていた私たちは思わず「えっ」と驚く程だった。日本さんは、あまり自分の思っていることを口に出すことはない。それに、態度に表すことも極力控える。それが日本人なんだと笑顔で言っていたことを、それに背筋が少し寒くなったことも今でも覚えている。けれど、今の彼は、態度や言葉の端々から”助けて”と漏らしているような気さえする。いや、これは気の迷いなどではない。自分の勘に従うという教えに乗っ取るならば、彼はとんでもないものを抱え込んでいる。 そして、それは恐らく彼だけじゃない。
アメリカさん達が探検したいと言い出す。自分達だけ屋敷の中を回れないのは不公平だ! とイギリスさんに向かって駄々を捏ねている。カナダさんは呆れたような、表情をしていた。幾度となく同じようなパターンを繰り返してきたのだろう。悟りを開き始めてる気がする。 二手に別れると聞いた時、日本さんがぞっとしたような目をしたのに、一体誰が気づけただろう。いつも通りの表情を浮かべた彼とほんの一瞬だけ目が合ったが、直ぐにそれとなく逸らされてしまった。
「日本! お前は、話があるから残ってろ。イタリアちゃん達は奥の部屋で待っててくれ。」 「? 分かりました。」 「私も残りますが宜しいですか?」 「おう。」
ただっぴろいだけの部屋に三人だけがポツンと点在していると言うのは虚無感と同時に、先程見た映像に感じた焦燥感がわき出てくるようだった。皆さんが部屋を出て行くのを確認すると、ギルベルトは日本さんに向き直った。
「んで? 何悩んでんだおめーは。」 「と、いいますと……?」 「俺はまだ経験してねぇから分からんが……。なんか見てるだろ。時計壊す度に。唸るくらいなら吐いちまえ。」 「……すみません。顔に出さないようにはしていたのですが……。」
バレバレでしたよ、つい口を滑らせれば。やっぱり、分かる人には分かるんですねぇと少し間延びした穏やかな声で、彼は少し笑う。まるで陽だまりのような人だと思ったことがある。そう思った要因である笑みを、久々に見たような気がした。何時も微笑みを絶やさない、落ち着いた人。そんな人が、こんな子供に弱みを見せてしまう程、参ってしまっているという現実がある。
「……貴方をそんなに苦しめるものって、一体なんなのですか?」
彼は、足元に視線を落として絞り出したように少しだけ言葉を紡いだ。
「……意味が……分からないでしょうけど……。」
今まで身に沁みついていた思慮と言う蛇口でせき止めていたものが、少しずつ溢れ出ていく。 誰かを傷つけないか、どうしたら一番いい答えが出るのか。そう考えすぎてしまったのは、優しい彼だからこそだ。 ただ、まどろっこしい事が嫌いな私の隣のこの人はそれが気に入らなさそうだけれど。
「この先……何かを選択すれば、誰かが掛けてその誰かを助けるために違う道を辿るとまた別の誰かが欠けて……。色々試しているんです。でも、だめで……。試すたびにアレは強くなってて、もう私一人では……。」
言葉を紡ぐ度に、その声はか細く震えていく。 やっぱり、彼は私たちに”助けて”と叫んでいた。 その叫びは、三人しかいない部屋に霧散し、そして吸い込まれていく。
「お前一人じゃ倒せないのか? じゃあ、今まではどうやってきた?」 「戦いが必要となったら……イタリア君やドイツさん……貴方と倒しました。ロシアさんや、中国さんとも一緒に……。」 「はっ! 何でそこまでやってて詰まってんだよ。」 「す、すみません。」 「ギルベルト、もっと柔らかい言い方をですね……。日本さん、色々試したんでしょう? 試す前に、誰かに相談したのですか?」 「戦いは複数で勝っといて、そういうのは一人で解決するとか、できると思ってんのか?」
目を見開く彼の肩に、ギルベルトはポンと手を置いた。私も、反対側の肩に、片手を置く。一人が駄目なら、二人で、それでも駄目なら三人で。もっと駄目なら、全員で考えればいい。貴方だけの重みなんて無い。
「言うのがおっせーんだよお前は! しかし相手が俺様でよかったな! ケセセッ!! もう、誰もいなくなんねぇじゃん!」
自信に満ち溢れた表情を浮かべる。白い歯をちらつかせて、それはそれは意地悪く笑う。その昔、”師匠”と”弟子”という関係だった日本さんにとってはこの笑顔の意味が分かるだろう。 幾度もやってきた絶望に負けず、打ち勝った彼だからこそ浮かべることの出来る笑み。沈んだ心を鼓舞する笑みに私はどれだけ助けられただろう、そしてどれだけ人々を救ってきたのだろう。計り知れないが、その事実は残っている。 あっけに取られた日本さんの胸をトンッと力強く押すと彼は踵を返した。カツカツと靴音を鳴らして、部屋を出て行こうとする。そんな中私はぐらりと揺れた日本さんを支える。
「え? ちょっ……プロイセン君!」 「なんだよ。俺は眠ぃんだよ。ずっと見張りしてたんだぞ。早く行こうぜ。ラナ来い!」 「はい。」 「ですから!」
私が足を踏み出そうとした時、腕を力強く引かれる。振り返れば、日本さんが近年稀に見る必死の表情でじっとこちらを見ていた。
「たっ……例えばあの場所に行くと、ドイツさんが……あ、というか、プロイセン君も捨て身で……イタリア君だって……、フリードニア君貴方も……。」 「意見は明確、尚且つ簡潔に言え。お前は考え過ぎだ。そのせいで簡単なことも、忘れてるぜ!」 「……簡単なこと。」 「まずは一つ思い出したでしょう? あれこれ悩むくらいなら、周りに吐き出していいんです。」 「共有させて、呼吸を整えろ。もう一つ思い出したら……合格点をやるぜ。」
緩まった拘束をするりと抜けて、私も彼に次いで部屋を出た。
行き止まりなんてありえない世界
ふと、今のギルベルトが誰かに似ていたということに気づいた。思わず立ち止まり、顎に片手を当てて考え込む。そうだ、昔、まだ私が国家にお仕えしていた頃、王冠をその頭上に乗せて、”プロイセン”をしっかり作り上げたあの大王フリードリヒさまの面影を見たような気がしたのだ。 首に掛けているクロイツを掴む。手の中でじんわりと熱を持っていくそれを握りしめ、目を瞑った。 フリードリヒさま、貴方の息子は立派なお方になられました。どうか、どうか、この屋敷を無事に出られるよう、見守って下さい。
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