インクの匂いが、スンと鼻腔をついた。万年筆に付けていたインクが紙面に滲んでいる。あら。このページはもう使えなさそうだ。
 ぼう、としている頭で何をしていたかを思い出す。ああそうだ、家計簿をつけていたんだった。
 ページを破ろうとして、やっぱり思い直した。オーストリアさんに怒られそうだ。やめておこう。
 とん、とん。
 扉を叩かれた。

「どうぞ。」

 そう言うと、きぃと微かに歪な音を立てながら扉が開かれた。
 軍服に身を包んだ男性がそこに立っていた。銀の髪に紅い瞳を持つ男の名を、ギルベルト・バイルシュミットという。しかしそれは彼の人名にあたるもので、本当の名前はプロイセン。かのドイツの兄にあたる方だ。
 そう、彼は国なのだ。
 そもそも国とは何なのか。同じ国である私にさえ明確な返答はできない。しかも、私は元はラナ・リットという名のただの人だった。そんな私がもう既に亡くなった国として生きているのだから、世の中とは不思議なものだ。国の定義とはなんなのだろうか。随分と前に答えを探すことをやめていた。分かって、それを知ってどうなると言うのか。国と言っても、繰り返し述べるとおり、所詮”亡国”である身としては(とある東洋の国から頂いた)カップラーメンの残りの汁と肩を並べる位にどうでもよかった。

「会議についていくんだけどよー、どうせあいつらも昼あっちだろうし、一緒にこいよ。」
「ですが仕事が、」
「そんなん後々ー! ビール飲んでからでも遅くねえって。」

 元々の気質からか、ギルベルトに反抗する気はそれほどない。だが仕事が関わってしまうと、仕事の対価として此処に住まわせてもらっている身としては一部の存在意義を取り上げられているようで気が引ける。けれど”ビール”を引き出されてしまうともう反論する気にはなれなかった。ビールだビール!!

「い、行きます!」
「じゃあ5分後に玄関に集合。」
「Ja!」

 さっそく部屋着を脱ぎすてて下着代わりのタンクトップ姿になる。女がはしたない! 間髪いれぬ間に入ってきたドイツに怒られるまであと数秒。



 玄関へ時間通りに行くと、既に3人の姿がそこにあった。会議があるためにドイツの家に泊まりに来ていた日本さんと、お決まりの如くドイツのベッドから発見されたイタリアさん。そしてドイツ本人。ギルベルトの姿が見つからないのが少々気になった。ドイツに聞けば、車を出しに行っただけらしい。よかった。

「日本さん、イタリアさん、おはようございます。」
「おはようございます、フリードニア君。」
「ヴェー ciao!」
「イタリアさん、タイが曲がってますよ? ……よし。」
「ありがとー!」
「フリードニア君まじ良妻。」
「日本なにを言っているんだ……。」
「ヴェストー、車出してきたぞ。」
「Danke. 兄さん。ほら、行くぞ。」

 和気藹々とした雰囲気のなか、家を出て車に乗り込む。気を遣ったのか私がハンドルを握ろうとしたら止められた。ありがとう、ございます。呟きはちゃんと彼の耳に届いたのだろうか。


不吉の予感


 ばさり、ばさり。
 視界の端で黒羽を広げて、カラスが飛び上がった。


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