そんなことが続いたある朝方、源田は肌寒さに意識を浮上させた。
最近は、行為を終えたあと自分の部屋に戻ることも少ない。
今日も不動の部屋で目を覚ました。
源田は身は起こさないまま、シーツを探る。
そこは既にひんやりとしていて、不動の気配はなかった。
どこに行ったのだろう、と気だるいからだで寝返りをうつ。
寝転がりながら部屋を見回しても誰もおらず、机の引き出しが開けっ放しだった。
それと同時に、出入り口から物音が聞こえた。


人の声だ。
不動の部屋のドア付近は少し入り組んでいるので、姿は見えない。
扉近くで、誰か二人が会話していた。不動ともう一人いる。
源田は耳をそばだてる。
そこで源田は、周りの機械がごく静かになっていることに気付いた。
普段はひっきりなしに振動音が聞こえるのだが、今はそれほど気にならない。
不思議に思うが、すぐに源田は潜水艦が海上に顔を出しているのだと思いついた。

燃料や食料は定期的に補給されているようだったが、源田は今までその時間を知らされたことはない。
だが夜、真帝国の生徒達が眠っている間にしているらしいことはなんとなく見当がついていた。
不動の相手の声は源田には聞き慣れない声だった。
きっとそのタイミングで外部から入ってきた人間だ。
だが、今は夜中の三時、四時といったところだろう。
まだ外だって日も昇っていない時間に誰と喋っているのか。
少年の声だった。
不動より少し高いぐらいで、落ち着いた喋り方をする。
どこかで聞いたことのあるような気がして、源田は息を凝らし、耳を澄ませた。


「――――だけど、ここはいつ来ても暗いね、空気も悪いしさ」
「嫌なら来るんじゃねえよ」
「その言い方はないんじゃないの」
相手の声はそう窘めつつ、そこまで怒っていないようだ。
それよりも、源田は不動の声色に驚いた。
源田や佐久間、それに親しくしている小鳥遊や弥谷に対するものとも違う。
少し枯れていて相変わらずつんとした返答ではあるが、今まで聞いた中でもずっと人間らしいものだった。
静かで、思慮深ささえ感じる。
もしかしたら、これが不動の素なのかもしれない。
不動に対等な態度を取られているその相手が誰か知りたいと、ますます源田は興味をひかれた。

「で、あれ、大丈夫だった?」
返事はなかったが、そのすぐ後に「よかったね」と言う声が聞こえた。
不動が頷くか何かしたらしい。そこでふと源田の記憶が蘇る。
やはり、源田はこの声の主を知っていた。

真帝国に入った直後、会ったことがある。
そのときはたまたま不動がいなかったので、すぐに結びつかなかったのだ。
長い金髪の相当な美形だった。
確か、アフロディと呼ばれていた気がする。
彼もまた影山の思惑で動いているらしかったので、この潜水艦にいてもおかしくはない。だがわざわざ、不動とだけコンタクトを取っているのかは謎だった。

「ねえ、不動君のも見せてよ」
そのアフロディが言う。
不動が「見たってわからねーよ」と返すと、「興味があるだけだよ」失礼ともとれる答えを返した。
しばらく二人は無言になる。
カツ、カツと小さくて硬い物同士をぶつける音がして、源田はアフロディと不動のやりとりがあの石関係なのだと直感が働いた。

「駄目だね」
アフロディが言った。話題を変える。
「他の人にはばれてないの」
「ばれないようにお前から借りてんだろ」
不動が?アフロディから?石を借りている?何故。源田は戸惑った。
わからないことばかりだ。

「でもさ、不動君の石だけ光らなくなるってことあるのかな」
「お前のは大丈夫じゃねえか。……眩しいからしまえよ、それ」
ああごめんとアフロディの声がした。やっぱり石のことらしい。
源田は今聞いたことを整理する。
不動の石が光らなくなった。不動はそのことを隠していて、源田にはアフロディから貸してもらった石を見せている。
いつぐらいから源田の見ていた石がアフロディのものに変わっていたのかは分からない。確かに最近は、不動が練習中に石を身につけていることはほとんどなかった。

「理由がわからないから、直しようがないね」
「そうだろ」
困っているような台詞だったが、二人とも実はそう深刻だと思っているというわけでもなさそうだった。
淡々としている。とくに、当事者である不動のほうがぼんやりした調子だ。
アフロディの優しげな声色は変わらないが、源田には不動を心配しているふうに聞こえた。
自分の胸がざわつくのを源田は感じる。
隠されていることを聞いてしまったという緊張ではない。別の感情だった。


「僕が頼んであげようか……」
アフロディが少しの沈黙の後、そう言った。
「研崎あたりに頼めば、もう一つぐらいくれるよ」
アフロディの言葉はただの提案だったが、口調は先ほどより強くなっていた。
不動は黙っている。そうしようかどうか、考えているのかもしれない。

「いらね」
だが不動はそれをあっさりと断った。
「嫌いなんだよな」

今、不動はどういう顔をしているのだろう。
無性にそれが気になった。源田にはほぼまったく事情が分からない。
だが、不動の声を聞くだけで、今すぐこのベッドから抜け出て二人の前に出て行きたい気持ちになった。
不動と話しているアフロディもその微妙な雰囲気を感じとったのか、二人の間に一瞬沈黙が降りる。
不動はそれを打ち払うようにその後にこう付け足した。
「研崎のオッサン。影山もだけどよ、ありゃ相当、うさんくせーな」
「君もね」
「じゃ全員だ、お前も入るから」
不動はおざなりにそう言う。
だがアフロディには伝わったらしい。
アフロディが笑い、鈴を転がすような声で空気を振動させた。

「とにかくいいんだね」
「おう」
そのとき、パチ、パチパチと廊下の電気が一斉に点灯する音がして、それからエンジンがまた本格的に動き出した。
廊下から漏れる光が、二人の影をぼんやりと映している。


「僕ももう行かなきゃだけど」
「ああ、はいはい」
「源田君によろしく」
「んだよ?」
会話にいきなり自分の名前が出て、盗み聞きしていた源田はどきっとする。
不動は怪訝な声を出したが、すぐに「あっ」と声を出し、不動の影がアフロディの影をこづいた。

「気付いてたのかよ」
「神だから」
アフロディの得意げな色をにじませた声は、本当にすべて見通しているようだ。
そして次にアフロディが言った事に、源田は肝が冷えた。
「それに、起きてるんじゃないかな」
誰が、とは言わなくても分かる。
「源田君がね」
「神ってやつは、ホントすげえ」
不動はからかいと呆れがまじった様子でうそぶいた。

揺れる影から目を離せないまま、源田は寝床の中で冷や汗をかいた。
やっぱりこれは、聞いてはいけないことだったのではないか。
ホラーやミステリなら、最悪の展開だろう。
だが、二人の様子は先ほどの穏やかさから変わることがなかった。

「じゃあね……」アフロディがぼそぼそと何か言う。
不動もそれに返して、一人分の影が消えた。
軽やかな足音が去っていく。
不動は大きな音を立てて扉を閉めた。

再び部屋が薄暗くなる。源田はとっさに目を閉じた。
不動の気配が近づいてきて、ベッドの前で立ちどまった。
「……」
源田はもう起きて謝ったほうがいいのではないかと思ったが、そう思っているうちに不動のほうが源田のいる寝床へもぐりこんできた。
寝たふりをしたのは自分のほうなのに源田は驚いてしまう。
不動が冷たい足で源田の太ももを押しやり、無理矢理自分のスペースを開ける。
もともと一人でも狭いほどの寝台だ。
それでも二人はほとんどぴったりとくっつく状態になった。




寝返りをうって源田に背を向けた不動が息をつく。
夜明けまでまた眠るつもりだろう。
源田はおそるおそる目を開けた。
なにか言おうかと口を開けたが、何も出てこなかった。
不動は怒っているわけではないのだ。
もちろん悲しくも嬉しくもないはずだ。
別に、不動にとって源田が話を聞いていたことに大した意味はなかった。
しかし、もう源田は不動が一人の人間だということを知ってしまった。
本当は前から気付いていたものが、今はもっとよく見える。

だがそうだと知ったところで、別に不動の考えや思っていることが分かるはずはない。
分かったつもりで、理解者ぶったり、そういうのは不動が一番嫌がりそうだな、と苦い顔をする不動を想像すると無意識に唇から笑みがもれた。


しばらくすると、不動は寝てしまったらしく規則的に肩が上下していた。
寝間着がわりのタンクトップから見える背骨が、薄闇の中でも浮き出ているのが見える。
首筋の下、一番目立つ凹凸に触ってみたくなったがやめておく。
今はなぜかとても不動が愛しく思える。
数時間後になれば、また何事もなかったかのようにフィールドでしごかれているだろう。
だが少なくとも源田にとって、不動はもうよくわからない脅威ではなかった。







雷門とのすべてが終わった後、予定されていたように潜水艦は爆破された。
皆が救急ホバーに向かう途中、逆方向へ行こうとする不動が視界の端にうつった。
他の人間は、お互いをかばったり、先導したりして不動のことは見えていないようだった。

「不動」
どこへ行く、と源田が呼び止めると不動が振り向く。
今にも沈まんとする場所にいるには似つかわしくない、あのふてぶてしい笑みを不動は浮かべる。
それに気を取られた隙に、不動は源田に体当たりした。
そのまま捕まえる暇もなく、不動は船の奥へ駆けていく。
不動の足取りは軽く、体全体で笑っているようだった。

「源田!」
鬼道に支えられている佐久間が、かすれた声で源田を呼んだ。



港へつくと既に雷門の監督が呼んでいた救急車や警察が来ていて、重症の佐久間はまっさきにたんかに乗せられた。
源田も勧められたが、源田はそれを断り、自分で救急車の中にのりこむ。
ふと違和感を覚えてポケットに手を入れると、冷たいものが指先に触った。
取り出してみる。不動の、石だった。
さっきの体当たりのときに、不動がねじこんだに違いない。
久しぶりに見たそれはもう完全に光を無くしていて、ただの透明な石だった。
薄灰色の綺麗な石だ。
隣のストレッチャーに寝かされた佐久間にそれを見せると、佐久間の顔が泣きそうに歪む。
その表情を見て、源田はそれをポケットにしまいなおした。
源田にはその顔はできない。ただその石を卵であるように手のひらで暖めた。
不動はかえらない。


自分が欲しいのは、石ではなかったのだ。源田はいまさらそのことに気付いた。
不動は知っていたのか。それでも行ってしまったのか。

いつしか知れず、源田は不動を好きになっていた。





End.






完結いたしました
最後までお付き合いして下さった方、ありがとうございました!