「今日来てもらったのは他でもない」 円堂君の部屋で、円堂君の隣に座った豪炎寺君が神妙な顔で言います。 「円堂の勉強を見てやってほしい」 その言葉に、向かいに座っていた鬼道君と不動君の二人はあっけにとられてしまいました。 豪炎寺君が言うにはこういうことです。 円堂の成績は知っての通り悪い。 雷門では赤点をとると追試を受けなければならず、追試になるとテスト期間後さらに2週間部活にでられなくなる。 そうならないためにこのテスト週間の間、円堂に勉強を教えてやって欲しい。 円堂君のサッカーバカ、もとい勉強アホぶりは雷門にいたあいだじゅうじゅう分かっていた鬼道君はこほんとひとつ咳払いして言いました。 「それは……まあわかったが、なぜ俺たちなんだ?」 「帝国は二学期制だからうちとはテスト期間がズレているだろう。それに、頭がいい知り合いというとお前らしかいなかった」 豪炎寺君が立て板に水の調子で言います。 「いや、お前らで教えてやれよ。」 今まで黙っていた不動君も言いました。 たしかにその通りです。 円堂君は雷門サッカー部のキャプテンなのですから。 「そうしてやりたいとこころだが、残念ながら俺も英語がヤバイ。」 豪炎寺君は自分の夏の休み明けテストを広げます。豪炎寺修也。英語34点。 ギリギリ赤点ではないものの、やはりマズくて恥ずかしい点数にかわりはありません。 「……風丸とかいんじゃねーの」 「風丸も染岡も成績は悪くないが、人に教えられるほどではないらしい」 まあとにかく、お前らしかいないんだと豪炎寺君は押します。 それまでうんうんと隣で頷いていた円堂君も言いました。 「悪いな〜!よろしく頼む!」 世界にも通用する円堂スマイルでそう言われてしまうと、根本的にお人好しの二人は断れませんでした。 「引き受けてくれて助かった。俺からも頼む。」 俺も帰って勉強する。と豪炎寺君は立ち上がります。 「国語だけは風丸が見てくれるそうだ。英語と数学を重点的に頼んだぞ……」 そう言って、部屋のドアはぱたんと閉まりました。 「って……5教科全部かよ?」 「じつはそうなんだ」 円堂君がばつがわるそうに照れます。 その笑顔はなかなかかわいらしく、庇護欲をそそられる子も多いでしょう。 しかし二週間の家庭教師を頼まれた二人にきゅんとしている暇はありません。 「とりあえず円堂、前のテストを見せてくれないか?」 鬼道君は言いました。 「こりゃひでえな」 得意の人を食った笑みも見せずに、不動君は真顔で言いました。 鬼道君も思わず頷きます。 出されてきたテストはほとんどが赤点か赤点ボーダーです。 数学は赤点を超えて青点でした。 かろうじて社会が52点で、まあまあの数字と言えました。 この中では。 なんでこいつ進級できたんだ?とちらりと不動君が円堂君を見やると、鬼道君も同じような視線を送っていました。 勉強ができる二人にはさまれて、円堂君はひたすらちぢこまっています。 「社会はまあ……大丈夫か?」 「公民が壊滅的すぎるぞオマエ」 「いつも歴史が60点配点だから」 「なるほど」 「じゃあ社会は捨てろ」 ばっさりと不動君が切って捨てます。 これがゲーム中チームメイトに対して言ったのならたしなめる真面目な鬼道君ですが、円堂君のサッカーのためなので、今日は黙っています。 二人は眉根を寄せて他の教科も物色していきました。 「国語……は……まだましだな」 「理科は生物に絞ればいーんじゃねえの」 「そうすると確かに英語と数学が」 「教えるってもイチからだな……」 「では、主に英語は俺」 「数学はオレな」 それからサクサクと担当を決めて、さあやるぞと教科書を広げます。 円堂君もノートを広げました。今回はさすがにやる気があるようです。 いや、いつもやる気はある円堂君なのですが。 今日は不動君が数学を教えます。 「あー範囲は……帝国とだいたい一緒だな、んじゃこっから解いて」 ぞんざいなりに思いやりの感じられる口調で不動君は言いました。 基本的に不動君は優しい子ですが、その優しさが二転三転しているのでいつもわかりにくいと相手に憤慨されることも多々ありました。 しかし細かいことを気にしないチームメイトやそれなりに気持ちを察してくれる友人にかこまれて今はかなり丸くなってきた不動君です。 円堂君が解いている間、不動君はノートをのぞき込みながらくるくるとペンを回していました。 そのダルそうな様子もなかなか様になっていて、勉強ができるアウトサイダーってなるほどカッコイイなと優等生の鬼道君は思いました。 そういう鬼道君もちょっとしたしぐさが上品で、こういうところがボンボンだよなと不動君に普段思われていることを知りません。 お互いに可愛らしいない物ねだりと言えるでしょう。 そうしてしばらく不動君は円堂君の手元をのぞき込んでいましたが、円堂君の手がほとんど動かないのを見て、 「わかんねえ?」と聞きました。 普通の子なら「すみません」と萎縮してしまいそうな言い方です。 「うん」 しかし円堂君はあははと眉尻を下げて笑うだけです。 「んじゃ説明するけど。これが切片でこれが傾きなわけ。切片はこのグラフで言うとここの数字……」 不動君がノートにグラフを書いていきます。 書きにくいのか、不動君は円堂君に身をよせました。 円堂君もうんうんと頷いています。 「ここの数字だけ見て。じゃもっかい」 体を離して、不動君は円堂君にノートを押しやります。 今度は円堂の手もスラスラと動きます。 基礎問題をあっというまに一ページ解いてしまいました。 答えを目算しながら、不動君が頷きます。 「あってんじゃん」 「今のはゲームみたいだったからかなあ…?」 「それでいんだよ、イミとかわかんなくていいの」 そう言いながら不動君は教科書のページをめくっていました。 「次はこれな。今のグラフ見るとさ……」 もう一度説明に入った不動君を見て、鬼道君は鞄から自分の宿題を取り出します。 まかせて心配なさそうだと鬼道君は思いました。 不動君のイメージ的に、できなかったら暴言でも吐くような感じがしますが、不動君は意外と面倒見がよかったのです。 鬼道君はなんだかほほえましくて、立てた教科書の影でくすりと笑いました。 今日は鬼道君の番なので、英語が苦手な豪炎寺君も先に参加しています。 不動君も持ってきた教科書を広げて、自分の勉強をやりはじめました。 小さなテーブルの上いっぱいに本を広げる光景など、いかにもテスト前といった感じがします。 友人と勉強会などほとんどしたことがない鬼道君は非日常感を覚えていました。 なぜか勉強というのにワクワクしてきます。 「これは二つの意味があって……」 鬼道君はできるだけ丁寧に説明します。 説明が終わると、円堂君は鬼道君に当てられた問題を解き始めました。 しかし、すぐにうんうんと唸りだします。 消したり書いたりまったく手が止まったり。 わかりやすく詰まっている円堂君です。 鬼道君はこないだの不動君を思い出し、まねしてみることにしました。 「円堂、これが名詞だろ、それで主語はこれだろ」 並び替えの問題から順番のパターンを抜き出してあげます。 意味が分かるよりも早く、先に型をつかんでしまえという方法に出たのです。 確かに体で覚えるタイプの円堂君には、こういう方法が合っているかもしれません。 甲斐あって一定のリズムが見えた円堂君が、ぱっと顔を明るくしました。 「あ、そうか、じゃあこっちは」 一度解き始めると円堂君は手が早いです。 同じような問題はすぐに解き終わってしまいました。 いつのまにか円堂君のほうを見ていた不動君が別のページをめくって示します。 鬼道君が答えをチェックしている間に、問題を見繕っていてくれたようでした。 「これも同じだぜ」 「やるやる!」 調子に乗ってきた円堂君が、問題集を引き寄せます。 しかしやりはじめてすぐに、顔が曇ってしまいました。 円堂君の憂鬱そうな顔など、これぐらいしか見られないと言ってもいいでしょう。 鬼道君は見慣れないものに笑みを浮かべました。 不動君が向かいから身を乗り出します。 「reading……イズ…?」 「それひっかけ。さっき鬼道ちゃんが説明しただろ、これは動名詞、な」 「ああっなるほど!」 ひっかけだったのか〜騙された〜と真剣に円堂君が言います。 円堂君も最初のころから比べればだいぶんましになってきていました。 説明されて納得できるようになったのですから。 初めは説明しても首をかしげるだけで、二人で頭をかかえたものでした。 目に見えてできるようになるとうれしいものです。 サッカーでも、勉強でも。 つかめてきたらしい円堂君が目をきらきらさせて言います。 素直なところは円堂君の最大の美徳の一つでした。 「不動すごいな!サッカーも勉強もできるんだな、鬼道も!」 「オマエが酷えだけだぞ」 不動君はすげなく答えます。 まあ口が悪いのも不動君の個性なので。 それに今更目くじらを立てるような人間はいませんでした。 「ま、他はいいけど、サッカー留学とかするなら英語ぐらいしとけよな」 「そっかぁ!留学か……やりてーなあ!」 サッカーしてーっと円堂君が手を握ります。 生粋のサッカー馬鹿(褒め言葉)の円堂君は、普段でも人の5倍ぐらいは元気なのですが、大好きなサッカーが絡むと人の20倍ぐらい元気になるのでした。 不動君はほおづえを突きながら、そんな円堂君を見て笑っています。 鬼道君がそんな二人を見ていると、トントンと肩をたたかれました。 豪炎寺君です。 「鬼道……」 「エースストライカーがそんな顔するなよ」 鬼道君はおもわず吹き出します。 女の子がキャーキャー言うのも納得な引き締まった顔立ちと、子犬のような目つきはあまりにもミスマッチでした。 どれ、と鬼道君も豪炎寺のノートをのぞきこみます。 「あーここは…助動詞だろ?don’tを置く」 「決まりか?」 「決まりだ」 「まぎらわしいな」 「ああ」 あまりにも簡潔な会話ですが、鬼道君と豪炎寺君の会話はたいていこんなものです。 鬼道君が雷門にいた頃は、たまに円堂君がおいていかれることもありました。 「俺もそう思う」 鬼道君がそう言うと、ノートから目を離さずにクッと豪炎寺君が笑います。 隣の二人はまだ身を寄せ合って、不動が円堂に解き方のコツを教えているところでした。 円堂君の母親が出してくれた紅茶を飲みながら、鬼道君は今の時間が楽しいと感じていました。 それを何回か繰り返すと、明後日の月曜日から雷門のテスト期間になっていました。 この土日は、円堂君は一人で勉強できるでしょう。 なにしろあれだけ二人つきっきりで教えたのですし。 「悪い、部活のない日なのに何回も来てもらって」 「気にするな、俺は結構おもしろかった」 円堂君に玄関まで見送られると、既に夕焼けはピンクの帯程度になってしまって、辺りは薄闇に包まれていました。 周りの家から夕食の良いにおいがします。もちろん円堂君の家からも。 「でもなんか今度はいい点とれそうな気がする!ありがとな!」 「これで赤点とったら承知しねえぞ」 不動君はそうすごんでみせますが、顔はまったく穏やかでした。 鬼道君は内心、不動君もこの勉強会を楽しんでいたのではと思っていました。 「鬼道ちゃん迎えじゃねえの」 「いや、一度学校まで戻る」 「じゃオレと一緒だ」 二人そろって同じバスに乗ります。 たまたま空いているのに当たったのか、乗客はほとんどいませんでした。 鬼道君と不動君は後ろの席に並んで座りました。 不動君はすぐに目を閉じて、黙って揺られています。 白い手は軽く握られて、膝の上に置かれていました。 鬼道君はそれをなんとなしに見つめました。 口を開くと人の2,3倍舌がまわる不動君ですが、いったん黙り込むととても静かです。 鬼道君もそう口数の多いほうではないので、二人の間に沈黙が降ります。 しかし、鬼道君は不思議と気まずさを感じませんでした。 日は沈んでもまだ外は薄明るく、しかしつき始めた夜灯とあいまって、青い光がバスの窓から二人を照らし出しました。 雷門の学区から帝国までは結構近くあります。 15分ほどで学園前に着き、バスは二人をおろして走り去っていきました。 バス停からもしばらく二人はてくてくと歩きます。 「オレ、円堂が好きかも」 「えっ」 突然不動君が言った言葉に、少し後ろを歩いていた鬼道君は立ち止まりました。 不動君も鬼道君を振り返ります。 「と思ったけど、違った」 街灯が浮かびあがらせた不動君の顔はすっきりとしていました。 それだけ言って、不動君はまた歩き出します。 鬼道君もそれについて行きました。 鬼道君は歩きながら、きっと今のは恋愛とか恋人とか、そういうことなんだろうと見当をつけていました。 なぜなら、不動君が円堂君を好きなのは今でも明らかなので。 不動君は長いこと人を好きになったことがなかったのでしょう、信頼とか友情とかそういった善意にとても弱いのでした。 もちろん今では不動君に好意を向ける人間はたくさん増えましたし、鬼道君もその中の一人でした。 クラスメイトの源田君はあからさまに不動君を気にかけていますし、佐久間君は憎まれ口を聞きますがそれは彼の不動君に対する独特のコミュニケーション法で、不動君もそれを分かっているはずです。 しかし、やはり初めの初めに不動君を信じたのは円堂君でした。 それから急激に、人が。 「不動」 「んー?」 鼻歌まで歌い出しそうにご機嫌な不動君に、鬼道君は呼びかけました。 もう寮の明かりが近く見えています。 いつのまにかすっかり辺りは暗くなっていました。 学園の塀沿いに歩きながら、鬼道君は言いました。 「また勉強会しよう、佐久間とかとも」 鬼道君は不動君ともっと一緒にいたいと考え始めていました。 それは好意だとか友情だとかいろんな心地の良い感情で、鬼道君は不動君のことが好きでした。 鬼道君はわかっていました。 不動君が同じように円堂君のことが好きで、でも具体的にどうこうしたいという気持ちはあいまいで、それでもそれが湯に足をつけているときのように暖かいことも。 「おう」 不動君が軽く手を挙げて答えます。 それからじゃあなと言って、寮の門へ入っていきます。 鬼道君も軽く頷いて、そのまま夜道を歩いていきました。 End. |