「のう勾陣、お前、ズバリ紅蓮のことをどう思っているのじゃ?」


「は?」
 それは、勾陣が思わず素っ頓狂な声を上げる程あまりに唐突な問い掛けだった。目の前に座る主は相変わらず読めない表情をしていて、その真理は勾陣と言えどもわからない。
「どう、って…信頼に値する奴で、好ましい奴だとは思っているが?」
「ほぉー……」
 そう言うなり、彼は何だか意味ありげに、困惑の色を隠せない勾陣を見やった。
「……何だ晴明」
「いや。では、紅蓮を何かに例えるとしたら、何に例える?」
 何故に急に騰蛇のことなど訊いてくるんだ、と内心不思議に思いつつも勾陣は問いの答えを考えた。
 騰蛇。十二神将最強にして最凶の男。その情は十二神将の中で最も深く、十四年前のあの邂逅以来優しくなりすぎた男。
 ――そして、私が安心して背中を預けられる男。
「あいつは、背かな」
「背?」
「あぁ。あいつには、安心して背を預けることができるからな」
 他意などないはずの言葉だった。
 しかし、それを聞いた晴明は、そう、昌浩の言葉を借りるとまさに“たぬき”の笑みを浮かべた。
 ……なんだか非常に物凄く嫌な予感がした。何か、まずいことでも言っただろうか。
 自分の言った言葉を心中で反芻してみる。が、自分は騰蛇を背だと思っている、と言っただけで特におかしいところなどないように思えた。
 軽く首を傾げると、晴明は面白そうに言った。
「勾陣や、知っているかはわからんがな。人間の間ではのぅ――」
  
「――……な……っ!?」


『人間の間ではのぅ、背という言葉は“夫”や“恋人”という意味があるのじゃよ』

 さすがの勾陣も、衝撃を受けずにはいられなかった。絶句し思考が停止しかける。……待て、落ち着くんだ私。停止しかけた思考は、しかし今度は暴走しあらぬ方向へと走り出した。
 つまり、十二神将とて人の子。なれば人間と同じように言えるのではないか、と。
 と、いうより。勾陣はふと思った。――……私は、あれをそういう風に見ていたのか?
 確かに安心して背を預け、戦闘が出来る。信頼にも値するし、好ましいとも思っている。だが、まさか。
 あまりの衝撃に思考が乱れ、驚きと動揺を隠せない。もしかしたら頬すら薄く染まっているかもしれない。あぁもうとにかく落ち着くんだ、私。いやそれよりいきなりこいつは何を言い出すんだ。嫌でも意識するだろうが。ここに本人がいなくて本当に良かったと思う。
 心中そのことに安堵した勾陣はいきなり何のつもりだ、晴明に文句を言おうとした。
 が、その瞬間。
 勾陣は、今最も聞きたくはなかった甲高い声でそれを中断せざるを得なくなった。
 
「呼んだか、晴明?」

 大きさは犬か大きい猫の程。長い耳を靡かせて歩く真っ白な体躯の首周りには、紅い突起が一巡している。
 勾陣の心臓を跳ね上げた甲高い声の主――つまり、騰蛇こと物の怪が部屋に入ってきた。
「……騰、蛇?」
 目を見開いて勾陣が固まる。今、彼女は常ではあり得ないほど動揺し切っていた。それほどに、勾陣の発言を解釈し、晴明が投げつけた爆弾は大きかった。
「ん、勾か。 ……どうしてそんなに驚いている? というか、顔が赤いぞ?」
「っ……!?」
 やはり顔が赤くなっているらしい。だが、どう対処すればいいかわからない。隣でほけほけと笑う主が憎たらしくて仕方ない。
 というか、だ。何故こいつがここに居るんだ。今の時刻は昼日中。昌浩はとうに出仕しているはずではないのか。
「勾?」
 首を傾げる物の怪から目を逸らし、なんでもないよと答えてから、つとめて冷静に彼女は物の怪に問うた。 
「騰蛇。何故今ここにお前が居るんだ?」
「何故って……昌浩が今日物忌みだからだが?」
 今度こそ絶句した。だから何でそんなに驚いているんだ、という物の怪の声は最早聞こえていない。
「物忌み……?」
 何故、今日、いや今、このタイミングで。
 まさか。
「狙ったな、このたぬき……っ!」
 勾陣は思い切り晴明を睨み付けた。相変わらず先の質問の意図はわからないが、騰蛇が居る時を狙ったのは確かだ。でなければこんなタイミングで騰蛇が来るはずがない。しかも昼日中といういつもは居ないという時間の不意打ち付きだ。しかし、勾陣の鋭い眼光にも晴明は飄々としている。これがそういう男なのは承知していた つもりだが、今は腹が立つことこの上ない。
「狙った? 何をだ?」
 ひとり状況が把握出来ない物の怪は首を傾げる。
「お前は気にせんでいいよ、紅蓮。……ところで」
 そこで一旦切る。そして飄々とした笑みを顔面に貼り付けながら主は言い放った。
「ちょいとな、勾陣とどっか出かけて来い」
「は?」
 物の怪と勾陣の声が重なったのは言うまでもない。
「何故急に。しかもどこに」
「好きな所で構わんよ。とにかく二人でどっか行って来い。特に紅蓮は昨日休んでおらんのだから、羽を伸ばして来い」
「あー……」
 一瞬紅蓮は遠い目をし、やっぱり見てたか、と呟いてふわぁと欠伸をした。
「昨日? 何かあったのか?」
「いや、昌浩の夜警が少し長引いてな。あまり寝られなかっただけだ」
 そしてもう一度ふわぁ、と欠伸。本来十二神将に睡眠は必要ないのだが、大半を昌浩と共に生活している騰蛇はまるで人間のように睡眠をとっている。つまり昌浩とて似たような状態なのだろう。
 では。
「……この物忌みは、お前の作為的なものだな? 晴明よ」
 ただ狙うよりももっと性質が悪い。この間ですっかり冷静さを取り戻し改めて睥睨する勾陣に、しかし当の本人は薄く笑っただけで答えない。
 勾陣ははぁ、と盛大にため息をついた。
 そういうことか。
 別に全く構わないのだが、では何故事前にあんな爆弾を投げつけたのか。私がああいう返答をすると予測していたのか何なのか。……とにかく何を企んでいるのだか。
 ――だが、丁度いいかもしれない。
「まぁいい。行くぞ騰蛇。お前もゆっくり休みたいだろうしな」
 そしてひょいっと物の怪を掬い上げた。
「勾?」
 若干驚きを含む声音で物の怪は声をあげる。
「私に少しアテがあってな。そこで休め。いいだろう? ……丁度私も色々と言いたいこともあるからな」
 それで納得したのか、物の怪は言いたいことって何だ、と訊きながら、しかし心地良さそうに目をまどろませた。昌浩が邸にいる以上――大方彰子姫と一緒に居るのだろう――離れても大丈夫だと判断したらしく、外出については反対しないようだった。
「あとで話すさ。……では、行ってくる。これが一眠りしたら帰って来るよ」
「あぁ。ゆっくりして来なさい」
 物の怪と共に穏形した勾陣を見送った晴明の表情は、しかし飄々として変わらなかった。
 



 数分後。
 勾陣の言う「アテ」に着き、物の怪は起こされた。
 そして、目を瞠る。
「ここは……」
 ――目の前には、一面の赤い世界が広がっていた。
 赤、否、紅。
 そこは、丁度良い頃合いに色付いた、紅葉の木々が生い茂る場所だった。
 無言で勾陣の腕からすり抜けた物の怪は、瞬き一つで本性に戻った。
「……勾」
 頼りなげに彼女の名を呼ぶ。 
 ――ここは、この色は、あの五十余年前のことを連想させる。
 一面、真っ赤に染まって。
 違うとはわかっている。あの色とこの色は。同じ「アカ」でも違うのだと。だが記憶は否応なしに蘇ってきて重なって。
 しかし彼女は、優しく微笑んで言うのだ。
「綺麗だと思わないか? ……言っただろう? アテがあると」
「勾……俺は……」
 痛みを堪える表情で拳を握り締める紅蓮に、ふいに彼女は真顔になって言った。
「赤は血か?」
「……っ!!」
 腕を組み、紅蓮を視線で射抜きながら近くの木に寄り掛かって彼女は続ける。
「お前が赤を嫌うのは知っている。だから敢えて連れてきた」
 絶句する紅蓮に、真顔のまま、しかし今度は少しの笑みを滲ませて再び彼女は言う。
「赤にもいろいろあるだろう? この紅葉のような、あるいは夕焼けのような、――お前のような赤だって、あるだろうに」
「……っ…勾……俺の色は」
「綺麗な夕焼けの色だ。昌浩だってそう言っているだろうに」
 お前の色は罪の色なんかじゃない。綺麗で、優しい夕焼けの色。その意味を孕ませて言った。
 昌浩という存在で、いくら罪の意識が表面上薄れても、それは彼の中で永遠にくすぶり続け決して消滅することは無い。それはわかっている。……わかっているが、昌浩以外でそれが出来る者になれたらと、そう思って。
 影のように、月のように。
 表立たなくてもいい。静かに、ひそやかに。――そう、まるで背のように。
 依然として痛みを堪えているような顔をしていた紅蓮は、ふいにふっと笑って、言った。
「……勾には、かなわないな」
「かなってたまるか。一万年早い。お前が私に勝てるのは力だけだと知っているだろう?」
 これにはさすがの紅蓮も苦笑した。
「…そうだな」
 そしてそのまま勾陣の隣に寄り掛かり、彼女を引っ張りながらずるずると腰をおろすと、勾陣の肩に体を預けた。
「っおい、騰蛇?」
 突然の事態に軽く焦りを覚えた勾陣を尻目に、紅蓮はすっかり寝る体勢に入った。
「……どうせお前も暇だろ? 寝てろ……」
 その声音に何も言い返せない。ここにはもともとこれを休ませるために連れてきたのだ。体勢はどうあれ眠りを邪魔してはいけないような気がした。……それに、自分がこの体勢で寝られないのは、ちょうど少し前に余計なことを意識させられたからであって。
 勾陣は溜息をつく振りをして深呼吸した。……駄目だ、今日はらしくない。
 しばらくふたり独特の心地いい沈黙が降りる。紅蓮はまどろんではいるがまだ眠ってはいないようだ。
 やがて、ぽつりと彼は呟いた。
「なぁ勾……、何故お前は昔から、俺のことをいろいろ気にかけてくれるんだ……?」
 その問いに、一瞬目を丸くしながらも勾陣は答えた。
「お前は信頼に値する。そう判断しているからだ。あと、お前は見ていて面白いし、それに――」
 一旦言葉を切って、思い切って自分からも身体を預けた。
 そして、言った。
「お前は、私の背だからな」
「……背…?」
「あぁ」
 背、というその真の意味を晴明から知り、慌てて真っ赤な顔で勾陣に問いただすのはまた後の話だが、眠気が勝る今の彼はただ、「そうか」と一言答えただけだった。
「さぁ、疲れているんだろう? さっさと寝ろ」
「……あぁ…勾……」
「ん?」
「……ありがとな……」
 それには微笑のみで答えた。
 少しして、完全に紅蓮が寝入ったのを見ると、
「騰蛇。……―――――――…」
 勾陣は何か呟いた。
 それは誰の耳に入るでもなく、風に溶けて、消えた。

 そして、彼女も目を閉じた。




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真っ赤な夕焼けの後には漆黒の夜。
それは、まるで背中合わせの空のような

 
 
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