太陽も低い天頂を過ぎ、時刻は午後3時。世間一般的にはおやつの時間と言われる時分だ。
 家事もあらかた終わり、紅蓮はキッチンでコーヒーを飲んで一息ついていた。あと2時間ほどは休めるだろう。何をしようかとどこかぼんやり考えていたところだった。
「あぁ、やはりこっちだったか」
「勾?」
 マグカップから口を離し、唐突な訪問者の名前を呼ぶ。微笑みのみでそれに返した彼女は、部屋に行ったら居なかった、と言いつつ向かいの椅子に座った。
 勾陣がこの時間にわざわざ紅蓮の元に来るのは割と珍しい。考えられる可能性としては本屋あたりにバイクで乗せていけ、か。
「どこに行くんだ?」
 あらかじめ予想を立てての結果の発言だったが、返ってきたのは呆れたような視線だった。
「お前は私が来た理由をそれしか考えていなかったのか?」
「……いつもの行動見てたらそう思うだろ」
 投げ返されたのは盛大なため息。それで予測が間違っていたことを確信した。
 じゃあなんだと首を傾げていると、呆れ果てたという表情の勾陣が口を開いた。
「携帯で日付でも見ろたわけが」
 言葉どおりに携帯のディスプレイを表示させると、そこに現れた日付は、
「…………あ」
「気づくのが遅い」
 人がせっかく素直に渡してやろうと来たのに、と不満げな勾陣に紅蓮は慌てた。
「あ、いや、その、悪い」
 そもそも勾陣がくれるとは思っていなかった紅蓮である。はなから諦めていたから綺麗さっぱりこの日を忘れていたわけで。
 とりあえずあらん限りの言葉で謝る。せっかく気まぐれなこの女の気が向いたのに、それを自ら逸らしてしまうとは思わなかった。
 しどろもどろああだこうだ言う紅蓮の言葉を目を閉じて聞いていた勾陣は唐突に立ち上がった。優雅な動作で隣に歩み寄りテーブルに片手をつくと、鳩が豆鉄砲を食ったような顔をしている紅蓮に一言、放った。
「騰蛇」
「……はい?」
「ちょっと口開けろ」
「は?」
 図らずも返した言葉で口が開いた。その隙に中に何かを放り込まれる。
 驚いて反射的に口を閉じた。すると嫌でも神経はその味を脳に伝えるわけで、
「甘……っ!?」
 口腔に広がる蜜のような甘ったるさに思わず顔をしかめた。苦いコーヒーを飲んでいたからか相対的に余計甘く感じる気がする。そのせいなのかは知らないが、……これミルクチョコレートより甘いんじゃないか……?
 絶対、わざとだ。やけに素直に用意していると思ったらやっぱりこうだ。それはそうか。基本的にこれが素直な時何も仕掛けて来ないわけがないのだ。
 吐き出すわけにも行かないため、顔をしかめたまま億劫ながらもソレを咀嚼する。

 ――コッ
「っ!?」

 紅蓮は目を見開いた。
 チョコじゃない。
 いや、味は確かにチョコそのものだ。少しどころじゃなく甘すぎるが一応きっとチョコなのだ。だがそれに紛れて独特の食感があるというかなんというか。チョコじゃない妙な固形の舌触り。つまりチョコなのにチョコじゃない食感。……なんだこれ?
 複雑な顔をしながら様々なものと格闘していると、全ての原因である目の前の女がついに噴き出した。下を向いて盛大に肩を震わせている。これは何だと問い詰めるために必死に口の中身をかみ砕き、コーヒーで無理矢理流し込んだ。
 喉を滑り落ちるそれまで甘くなったような気がする一方で、今度はそちらが異常に苦く感じて眉間のシワが深くなる。俺の味覚を可笑しくする気か、こいつは。
 半分以上あったコーヒーを全て飲み尽くし、口腔内の甘さを一掃したところでようやく喋ることが出来た。
「……勾、なんだ、今の」
 表情まで平静に戻せないのは無理もないと思いたい。真実苦虫をかみつぶしたような表情をしているだろう。甘さは一掃出来たが相対的な苦さがまだ口に残って大変なのだ。どれだけ放り込まれたものが甘かったかを痛感した。
「これだろう?」
 こっちにとっては笑い事ではないことを笑いながら彼女が取り出したのは、見た目はチョコレートにしか見えないホイップクリームのような形の『何か』。別の手にはいつの間にか約10cm四方の箱が乗っていた。蓋が開いているからそこから出したのだろう。
 問題は、そのホイップクリーム形のチョコもどきがなんなのかだ。
「だから、なんだそれ。有り得ないほど甘かったんだが」
「砂糖菓子だ。チョコレートでコーティングしたがな」
「…………あぁ……」
 ようやく腑に落ちた。どうりでチョコレートの味なのに妙な食感がするわけだ。何故わざわざそんなことをしたのかは彼女のことだから謎だし、周りに塗ってあるものには遠い目をせざるを得ないが。
 コーヒーを飲もうとマグカップを傾けて、それが空なのを思い出してそのままテーブルに戻した。
「……ん、お前キッチンなんて使ってたか?」
 ふと気付く。流石に紅蓮もずっとここに居るわけではないが、使っていたら匂いで何となくわかる。特にこの甘ったるいチョコなら。
「ここのは使ってないな。風音の家のを借りた」
 ちなみにチョコレートも風音の使ったやつの余りだ、とさらりと驚くようなことを言ってくれた。
「……風音はこんな甘いものを六合にあげてるのか」
「そんなわけあるか。余りに私が後から砂糖を加えたんだ」
 あと蜂蜜も少しな、と予測が一蹴されたあとの言葉に更に驚愕した。なんでそんなことしたんだと思う。いや答えは自ずとわかってしまうのだが。しかも加えた量は多分尋常なものじゃない。コーティング出来なくなる瀬戸際まで入れたろう。しかもおそらく本人は一切味見などしていない。適当にカンで入れたはずだ。
 紅蓮は頭を抱えたくなった。出かけたため息を寸前で押し止める。
「……まぁ、とりあえず」
 勾陣はくすりと笑って紅蓮に背を向けた。開いた箱にチョコレートコーティングの砂糖菓子を戻して蓋を閉めながら出口へ向かう。
「……勾?」
「あげるのを止めようかと思ったが、反応が面白かったからくれてやる。感謝しろよ」
 去る間際に一度振り向いて、ホワイトデーには3倍返しだからな? と妖艶に笑んで念押しすると、歩きながら箱を後ろ手に投げて寄越した。
「おい……っ」
 焦ったが妙に向こうのコントロールがよく、上手くキャッチ出来たのは流石と言うべきか。視線を出入り口に戻すと、取った頃には勾陣は姿を消していた。
 仕方なしにまじまじと受けとった箱を眺める。彼女らしく模様も飾り気もないシンプルなものだ。一応贈り物という自覚はあったのか右上に申し訳程度のシールにリボンが一緒に貼ってある。大方買ったときについていたものだろうが。
 ゆっくりと箱をあけた。先程見せられた砂糖菓子が6つ輪になって並んでいた。中心にひとつ空きがあるが、これは口に放り込まれた分だろう。
 それにしても、と紅蓮は悩ましげに腕を組んだ。……これをあと6つも食うのか?
 食べたらまず味覚麻痺は必至な気がする。一応安倍家炊事担当に含まれている者としてそれはまずい。
 かといって捨てるのも忍びない。せっかく彼女がくれたのに。――と思うのは流石に女々しいだろうか。
 そうだ、元は砂糖菓子らしいのだからコーヒーに入れてはどうだろうか。チョコレートはついているし、高い確率で市販のカフェオレ並に甘くなるだろうがそのまま食べるよりは多分、まし、だと。

 あれこれ思案している内に太陽は傾き続け、はっと紅蓮が気付いたときには最後に見た頃より時計の長針が1周半も回っていた。
 紅蓮は慌てて立ち上がり、夕飯の用意を始めなければとあたふたと動き始めた。

 結局、チョコレートつき砂糖菓子の使い道は思い付かなかった。





 自室に戻った勾陣は、ソファーにもたれ掛かりながら満足そうに口角を吊り上げた。

 さて――いつ気付くか。

 あの砂糖菓子の下。中心だけ欠けているだけではわからないが、実は紙一枚を挟んでちゃんとした生チョコが入っている。
 しかも大きなハート型だ。自分の気まぐれには時々自身も驚く。
 そこにさらにチョコペンで書いたメッセージ。見つけた時どう思うか……。

 楽しみで仕方ない。

 ホワイトデー3倍返しの約束も取り付けたし、これから1ヶ月は暇しないな。
 これから来るであろう2つの愉しみに心をときめかせ、勾陣はひとりほくそ笑んだ。




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Not only 『I want to』 but also I am your...don't you?

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