しんしんと降り行く六花に抱かれて、眠ることなく育つ花があった。



◇物の怪の場合◇

 そうっと襖を開け、そうっと部屋を出て、そうっと襖を閉めた。部屋の中からは歓談の声が聞こえてくる。邪魔をしては悪いかという、一応気遣いの結果である。
 中の暖かさとは対照的に、外はとても冷たい。暗く降りしきる真白な六花に、物の怪は目を細めた。
 それから目を逸らすと、物の怪は静かに廊下を駆け出した。目指すのはいつもの場所。
 物の怪は体重を感じさせない動きで屋根の上に飛び乗った。目の前に広がるのは降り積もった天花の絨毯。
「――――?」
 物の怪は数回まばたきをした。常ならばそこに見られる鮮やかな黒の色彩が、今日は見られない。
 晴明に何か命でも受けたか、と心持ち――本当はそれ以上に――落胆した己を自覚しつつ、とりあえず屋根の真ん中辺りに腰掛けた。同時に微弱ながら緋色の闘気が炸裂する。自分の周り数メートルの雪が一瞬にして溶かされた。
 何とは無しに視線を向ける。いつもはあまり見ない方だ。その先には雪が積もってあたかも花が咲いたように見える、葉がすっかり落ちた紅葉や銀杏の木々があった。秋には綺麗な色を付けていた木々ももうすっかり寂しげだが、これはこれで別な意味で風情があると人は言うのだろう。
 一陣の風が吹き付けた。その強さに物の怪は思わず目を閉じる。まだ地面に積もったばかりの白雪が、それに流されて舞い上がった。
 風が通り過ぎてやおら目を開けると、木々の根本に先程は無かったものが見えた。
 白一色だった大地に現れた、あの枯れ木地帯にはこの季節あまり似つかわしくない色彩――
「……緑?」
 遠くて何かはよくわからないが、確かに緑色をした何かがある。大方雪に埋もれていたのが今の風で出て来たのだろう。
 突然現れた不思議な彩り。それが何か気になって、物の怪は好奇心に任せて再び走り出した。



 白銀が蹴られて踊る。冬枯れの樹木のたもとに着くと、目線のすぐ先にその緑はあった。
 それは植物の葉だった。丸く切れ込みはモコモコとしていて、全体的に粗く毛が生えている。蕾らしきものが見えるためおそらく花が咲くものだろう。流石に今は咲いていないが、枯れ木と対照にこの雪の中に存在する生き生きとした緑は、どこか異色だった。
 さらり、と残っていた雪を払ってやる。少し赤い筋が入っているようだ。
 六花に抱かれているにもかかわらず、白の中で緑は眠らずに生きている。まるでそれ自体が温度のような暖かさを覚えた。
 その姿に、何故か一瞬黒の色彩が重なった。この真白の中にきっと目を引いて引いて咲くだろう、黒耀の華に。
 どこか似ているんだろうな、と無意識に思った。具体的にどこ、とは言えない……が、
「――あぁ」
 はた、と気がついた。このしたたかさが似ているんだ。
 どんなものにも立ち向かうかのような雰囲気を帯びたこれと、彼女が。
 どんなところに居ても感じる暖かさもきっと。
 好奇心がいつの間にか心地良さに似たものに変わっていた理由も、おそらくそれなのだ。

 しばらくそれに惹かれてずっと見つめていた。雪が積もれば何度でも払って。

「……そろそろ戻るか」
 結局四半刻程は見ていた気がする。すっかり身体に雪が纏わり付いた。震わせて落としながら流石に屋根なり昌浩の部屋なりに戻ろうと、どこか名残惜しさを感じながら物の怪は踵を返した。
 駆け出す直前に一度だけ振り返る。名も花冠も知らない“花”のある場所をしっかり目に焼き付けて、今度こそ走り出した。
 雪が積もっている内にまた来よう。次は彼女を連れて。きっと気に入るだろうから。そして季節が変わってもまた来て――。

 春になったら咲くだろう花に期待と想いを秘めて、彼は和やかに目を細めた。


(やっぱり行くのは屋根にしよう。もう少しで彼女が来る気がする。根拠などなくそう考えて、物の怪は足を早めた)



⇒次に続く


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