ハロウィンとはもともとカトリックの諸聖人の日の前晩、つまり今日10月31日に行われる伝統行事で、諸聖人の日の旧称の前夜祭であることからハロウィンと呼ばれるようになったらしい。ケルト人の収穫感謝祭がカトリックに取り入れられたものとされていて、由来と歴史的経緯からアングロ・サクソン系諸国で主に行われる行事であり地域性が強く、キリスト教の広まる地域であれば必ず祝われるという訳ではない。仮装をするのはこの夜死者の霊や精霊、魔女が出てくると信じられており、これらから身を守る為だとか、なんとか。
 ――という、本だかテレビだかで見て自分でも不思議な程覚えていた、長ったらしい今日のイベントのいわれを今ごちゃごちゃと頭の中で考えているのは、単にその、目の前の彼女というか彼女の格好というか、とにかくそのあたりから現実逃避したいがためだった。こういう時ひとの脳は無駄に活性するものなのかと思う。自分は正確には人間では無いがそこのところはどうなのか。

「どうした騰蛇。反応が無いが?」

 ……だがそれは、目の前の現実逃避したい事そのもの――つまり勾陣に見事に阻まれた。いやここまで考えられただけでいい方なのか。ぐるぐると巡る思考の中で、視覚はさもおかしげにくつりと笑う彼女をとらえた。想像通りと言わんばかりに彼女は笑う。あぁこのまま彼女を見なかったことに出来たらどんなに心臓によろしいだろうか。思考はこんなに働くのに、実際言葉は発せない。彼女の表情からして明らかに向こうの思い通りの反応をしている自覚はあるのだが、悲しいかな理性ではわかっていても身体がついていかない。これが惚れた弱みなのか。そんなのは知らない。いや今は知りたくない。とにかくこのさっきからうるさく鳴る心臓と、固まった思考以外の全てを元の状態に戻すべく尽力しなければならないのは最早自明の理だった。

 ……それまでに、どれだけ彼女にからかわれても。


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 時は数分前に遡る。
「あ、紅蓮! トリックオアトリート!」
「トリックオアトリート!」
 今日のイベントに合わせ、ドラキュラの仮装をした昌浩と魔法使いの仮装をした彰子、角をつけ包帯を所々に巻いた――多分フランケンシュタインあたりなんだろう――比古が紅蓮の姿を見つけるなり駆け寄った。毎年よくやるもんだと紅蓮は感心していたりする。安倍家は日本では珍しく、毎年このハロウィンの行事を行っている。発端は晴明だった気がしたが、あまり記憶に無い。まぁ、こうして昌浩だけでなく彰子や比古も遊びに来ているからなかなかに賑やかなイベントだ。本人たちは菓子もさることながら、仮装の方を楽しんでいるようにも見えるのだが、紅蓮は毎年あげていた飴じゃそろそろ可哀相かと、今年は珍しく挑戦してラッピングまでしておいたかぼちゃクッキーを三人に渡してやった。
「ほら」
「わ、なんか凄い! ありがとう!」
 昌浩に次いで二人もお礼を言い、手を振りながら去っていた。向こうからまた元気な声が聞こえてくるあたり、六合か誰か見つけたのだろう。晴明も今家に居るはずだ。
 かぼちゃクッキー、挑戦してよかったなと思う傍ら、紅蓮はふと気付いた。
 そういえばまだあれを見ていない。
 こういうイベントものには基本無頓着なあれが、何故かこれにだけはきちんと仮装までして参加している。例年黒のナイトドレスを見にまとう姿はさながら黒猫ないし魔女の如く。いや、よく考えればあれは存在自体黒猫のようだから魔女の方なのかもしれない。こちらの勝手な想像に過ぎないが。ちなみに毎年の被害者は言わずもがな。紅蓮は一瞬遠い目をした。
 会えば今年もなんらかの被害を受けるのはもう確定事項に等しいから、もしかしたら会わない方がいいのかもしれない。そうは行かないのが現実なのはわかっているのだが。何やらその証拠に今年も嫌な予感をひしひしと感じる。
 とりあえず役目も終わったし、自分の部屋にでも戻ってるかと、リビングから出ようとした。
 ……が。
「――なんだ、こっちに居たのか」
 ちょうどリビングに入って来ようとした勾陣と鉢合わせになった。
 それは、いいのだけれど。

「……っ!?」

 絶句、するしかなかった。
 ちょっと待てお前その格好。衝撃が大きすぎて心の叫びも声にならない。完全に思考停止――違うな、思考はそれはもう見事なまでに働いている。言うなれば身体停止。なんだか心肺停止みたいで嫌な響きじゃないか。


 ――黒のミニスカートのワンピースに黒のとんがり帽子、黒のブーツ姿。勾陣は、いわゆる『魔女っ娘』の格好をしていた。


 しかも右手にちょっとしたステッキまで持っている。さらに胸元が若干はだけていたり、ミニスカートから覗くすらりとした脚がどうしても視界に入るから、彼女をまともに直視出来ない。……目のやり場に非常に困る。どんな風の吹き回しだと問い詰めたい衝動に駆られた。しかも何故それ。わざわざ買いに行ったのか、これが。このためだけに。まさか。……いや、有り得る。何にしろ、ろくな答えが返って来そうにないことは確かな気がした。
 よし。これは多分きっと夢だ。そう思うことにしよう。無理矢理思考をトリップさせた。ええと今日は何だっけ。ハロウィン? ハロウィンとは確か――。視線を逸らして立ち尽くす紅蓮の様子にくすりと笑って彼女は言う。
「どうした騰蛇、反応が無いが?」

 そして、時は現在に到る。


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 思考トリップのおかげで、なんとかさっきよりは身体が楽になったような感じがしないでもない。試しに指を動かしてみた。ぴくり。よし動く。なんだか重傷の身体から目覚めたばかりみたいじゃないか。まぁ精神的にはそれはもう衝撃を受けたが。
 くすり。何かを含んだ笑みが聞こえた。どうやら現実逃避をさせてくれる気はさらさら無いらしい。
「おい、騰蛇」
 何だ、なんとか復活してそう、諦めまじりの声音で返したその、瞬間。


 ――――不意に何か、温かいものが唇に触れた。


「――っ!?」
 刹那のその温もりに、驚いて目を見開く。
 つかの間の口づけを仕掛けた勾陣は、再びくすりと笑う。その仕種はどこか艶めかしさをはらんでいた。
「……trick or treat?」
 流暢な発音で放たれた低音で、ようやく紅蓮は茫然自失状態から回復した。
「…………ちょっ、と、待て。お前完全に順番おかしくないか!?」
 今日の日が日なだけに、先の言葉を言われてから悪戯をされるのならまだ道理が通る。なのに何も言わずに悪戯で、それから宣言なんて絶対どこか間違ってる。
「反応しないお前が悪い。それにどうせお前菓子なぞ持っていないだろう。さっき子どもたちにあげてたようだしな」
 結局悪戯することになるんだから、順番はどうでもいいだろう。
 しれっと言い放った彼女に、いやいや待て待て、と盛大に心の中で反論した。絶対違う。何かおかしい。というか反応は一応しただろう。だがそれを言ったとて、その主張は勾陣には無駄である。舌戦では絶対に勝てないのだ。
 心の中に五万語を押し止め、変わりにはぁ、と溜息をついた。
「……それよりお前、何故俺がもう昌浩達に会ったと知っている?」
「声が聞こえたのと、お前がもう準備しているはずの菓子を手に持っていないこと。そこから簡単に予想出来るだろう?」
 さも当たり前のように返された。……流石の観察眼というか、なんというか。
「ま、一番の理由はじかに会ったからだがな」
「会った?」
「あぁ。多分お前の次にな」
 そうかと返そうとして、はたと思い出した。自分の元から去って行ってから再び聞こえた子供たちの声。もしかしてあれは六合や晴明にではなく、彼女に対してのものだったのか。
 なら。……なんであいつらこれの格好に何も思わないんだ……?
 子供たちの驚いたような声は聞こえなかった。やっぱり惚れた弱みか、と内奥で聞こえた声を掻き消す。
「ということはお前、子供たちの分の菓子は持ってたのか」
「まぁな。一応、昌浩たちの分くらいは持っていたさ」
 くるり、とペン回しの要素で彼女はステッキを回す。こいつそんなこと出来たのか。どうでもいい考えがよぎる。
 ――と、同時に閃いた。
「勾、お前昌浩たちに会ったって言ったよな?」
「……そうだが?」
 胡乱げに返される。まぁ、もっともだ。
 紅蓮はにやりと笑った。
「つまりもうお前、菓子持ってないんだろ」
「あぁ。全部あげたから……な」
 途中で勾陣の顔が引き攣った。どうやらこちらの目論見に気付いたらしい。失敗した。明らかにそんな顔。無言で逃げようと身を翻した彼女の腕を、紅蓮は「逃がすかよ」と掴んだ。
 毎年毎年悪戯されてばかりだったんだ。今年くらいいいだろう? そんな格好してるお前も悪い。
 珍しくもどう見ても焦っている目の前の魔女っ娘に、紅蓮は狼を思わせる表情で言霊を放った。

「――trick or treat?」



 

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お菓子くれなきゃ悪戯しちゃうぞ?
さぁ、とびっきり甘いお菓子を食べようか




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