「――ん…?」
 ぴくり、と反応し、異界に居た勾陣はやおら顔を上げた。
 これは……騰蛇の神気? しかし、ずいぶんと苛烈な。最近騰蛇がここまで神気を放たなければならない妖が出ているとは聞いていない。ということは、……何を苛ついているんだ、あれは。
 ふっ、と勾陣は下界に降り立った。その時彼はちょうど対峙していた妖異を焼き払ったところだった。
 未だ苛ついた雰囲気を纏い、灰燼の中佇む彼の背中に話し掛ける。
「騰蛇、どうした」
 気配と声でこちらに気付いた騰蛇が振り向き、僅かに驚きで目を見開く。
「――お前こそどうした」
「いつになく苛立ったような神気だったのが少し気になった」
 そう言えば、彼は舌打ちでもしそうな表情で吐き捨てた。
「昌浩に怪我をさせた。俺の失態だ」
 ……そういうことか。勾陣は彼の苛立ちの理由を諒解した。だが。
「大した怪我でもないだろう。あれは昌浩の油断が原因で、本人もそれを認めている」
「そういう問題じゃない」
 ――護ると決めたのに護りきれなかった。今回は確かに大した怪我にならずに済んだ。が、もしあれが重傷となっていたら。
 八つ当たりなのは本人にもわかっているのだろう。だがそれでも、自責の念から来る苛立ちは収まらなかったようだ。
「……勾、晴明の許に戻らなくていいのか」
 双方動かず話しもしない、少しの沈黙を破ったのがその言葉。
「別に」
 今はそこまで案ずる必要も無い。それに邸や異界には、他のたくさんの同胞もいる。
 それより、勾陣にはふと浮かんだ疑問があった。
 じ、と彼を見つめる。
「……?」
「前々から一度尋ねようと思っていたのだが……」
「……なんだ」
 口元に指をあて、彼女は問うた。
「何故私を“勾”と呼ぶんだ?」
「……っ!」
 僅かに息を呑んだ、気がした。思いもよらない疑問だったらしい。
「昔は皆と同じく勾陣と呼んでいただろう。それがいつからだったか……」
「――何となくだ、気にするな」
 ふい、と目を背けて答えられた。ごまかしている。一瞬でわかった。何か隠しているのか。
「ほう……?」
 勾陣はふむと考え込む。
 ならば――
「――紅蓮」
 静かな言霊が響いたとき、彼は先程よりも大きく目を見開いた。
「な……っ」
 絶句する彼に、私は
「何となくだ、気にするな」
 ――彼と同じ理由で、それを受け流す。
 その後、はぁ、という微かなため息が聞こえなかった気がしないでもないが、気にしないことにした。
 騰蛇は前髪を掻きあげると、瞬きひとつで物の怪姿になった。
「戻るぞ勾。昌浩が待ってる」
「あぁ」
 たっと駆け出した騰蛇に着いていきながら、勾陣は彼に聞こえないよう呟いた。

「……何も言わない、んだな」
 拒みすらしない。私が、その『名』を呼ぶことを。かといって彼の表情も、私の知る内のそれだった。
 それは、つまり――――。



 口角を、吊り上げて。
 人知れず、漆黒の女神は微笑んだ。






―――――――
いつか、その日が来るかもしれない。
私が、お前に『名』で呼ばれる、その日が。


 
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