†それでも期待してしまうものは / 紅勾
 

 
「――騰蛇。いい加減降ろせと言っているだろう」
 道反の聖域に、十二神将勾陣の苛ついたような声が響いた。
 彼女は今、同じく十二神将で唯一自分を凌駕する人物――つまり騰蛇の肩の上に居た。もとい居させられていた。天狐凌儔との戦いの傷の療養のためわざわざこの聖域に来ていたというのに、新たな敵と戦ってぼろぼろになってしまった勾陣を彼は道反の癒しの湖に沈めようとしていたのだ。
 だが、勾陣からしてみては沈んでいる間に事が二転三転するなんてたまったものではない。だからさっきから拒否していたのだが、ついに強行手段に出られた。左腕一本で支えられているはずの身体はびくともせず、つまりこのままでは否応なしに沈められる。それが勾陣の苛つきに拍車をかけていた。
「騰蛇、聞いているのか」
「聞こえてはいる」
「なら降ろせ」
「断る」
 取り付く島もないとはこのことだろう。勾陣は不穏に神気を放ちながら舌打ちした。
 騰蛇も流石にため息をついた。その神気でさえ、いつもの覇気が欠けているからこうして無理矢理にでも沈めようとしているのに、どうやらそれは虚しくも伝わっていないならしい。
 彼はやおら立ち止まると、勾陣に自然と見上げる形で顔を向けながら言った。
「ならば勾。お前に選択肢を与えてやる」
「……選択肢だと?」
 相変わらずの不機嫌な声音に、怪訝そうなそれが交じる。……そっちが大人しく沈まないというのなら、こっちにだって考えがある。
「あぁ。大人しく湖に沈むか、――俺と口づけするかどちらか選べ」
「……は!?」
 思わず絶句する勾陣を見て、騰蛇は我が意を得たりとばかりに再び歩き出した。
「……っ、おい、騰蛇?」
「大人しく沈め」
 常に冷静沈着な勾陣の珍しくも動揺した声は完全にスルー。――彼は勾陣が後者の選択をするとは露ほども考えていないらしい。
「……騰蛇」
「なんだ、抗議なら受け付けんぞ」
 だかだかと歩く彼の歩調は緩まない。声音も強がった風に聞こえないのは、本当は残念なのを必死に隠しているのか、それともやはり大人しく沈んでくれる方を望んでいたからか。
「抗議などではないさ」
「じゃあ何だ」
「私が、後者の選択をすると言ったらどうするんだ?」
「…………は?」
 思いきり胡乱げな声をあげて立ち止まりこちらを向いた騰蛇の唇に、有無を言わさず勾陣のそれが重なった。
「……っ!?」
 驚きで騰蛇の腕の力が緩み、その隙を逃さず勾陣は騰蛇の肩の上からひらりと脱する。
「……な、おい、勾!?」
「約束だろう? 私はお前と口づけする方を選んだんだよ」
 クスリと笑いながらしれっと言ってのけて、勾陣は今来た道を戻り始める。
 呆然としている騰蛇に、背を向けたまま勾陣は言った。
「まぁ、――お前とならいつでもよかったからな」
「はぁ!?」
 それ以上勾陣は何も言わず、ただ手をひらひらと振って去っていった。
 取り残された騰蛇は、真っ赤になった顔を片手で覆って呟いた。

「あのなぁ……、――期待するだろ、この馬鹿が」




 しかった、でもしくなかった




―――――――
……っだから、何でお前はそっちを選ぶんだ……!


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