Nutter's class


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 話は結構最近のことらしい。百五十年くらいなんじゃないかな、というそれくらいしかない歴史の短さに私は失笑した。でも、たった百五十年程度の短い時間で起こった過去に、この街は呪われているんだそうだ。正直言って、現実感がなくって私はどうもうまく話を呑み込めなかった。

 この街は神に呪われているらしい。正確にはこの土地ではなく、この街の住民に。

 昔、この国でひとつの祟りが起きたそうだ。ある地方で何万人もの人が死ぬ大飢饉が起きた。冷害の度合いは凄まじく、酷い場所では人が人を食べて命を繋いだりもしたらしい。時代的にそういえば、日本史で習ったことがある話で、わからなくもないことだった。あまり具体的に聞きはしなかったけれど。ただ、この祟りとはその災害の渦中で起きた一事件だったらしい。言葉だけで聞く話はいたって簡単で、でも想像すれば多分、残酷な話だった。
 「彼女」は年端も行かぬ少女だったそうだ。父親はすでにいなく、母親も体が弱くまともに外で稼ぎに行けないような女だった。やがて母が死に、歳の近い姉と二人で暮らしていたらしい。それだけだった。それくらいしか、本来少女を差別するものはひとつもなかった。ただ、少女には昔の人が見れば忌みたくなるような、不吉な痣が体に刻み込まれていたらしい。加えて少女はいかにも美しかったそうだ。それが、神秘よりも先に畏怖を生んだ。
 そんな少女が、飢饉から逃れるための神の花嫁として生きたまま海に沈められたそうだ。這い上がってこられないように石を括り付けられ、放り込まれた少女は二度と陽の光を浴びることが出来ず、今も骨となって海の底をさまよっているらしい。
 オカルトすぎてぞっとする話だ。でも話はそこで終わらず、可哀想な少女は村を呪う祟り神として飢饉の終わりに村を焼き払ったそうだ。故郷をなくし散り散りになった村人は、それでもなんとか生き残り、やがては子孫を繋いだそうだ。そこで産まれてくる子供は、明らかにこの国で産まれてくる人種とはまるで違う形で生まれたんだそうだ。例えば髪色だとか、目の色。それから痣だとか、なにかしらの疾患を抱えて、遺伝子の異常を持って産まれてくる。それらを産むのは等しくその焼けた村の者に繋がりがある者だったそうだ。
 自分と違うものを恐れた人々は、自分と違う異種を恐れ差別した。話はやがて国全体の問題となり、時代が移った頃に先祖の一切はこの島に老若男女問わず収容されるようになった。それからもずっと、髪の色や目の色、わかるところで目立った人間はこの島に連れてこられるようになったらしい。

 「でもご先祖さまも馬鹿じゃなかったみたいでねぇ、戦ったんだって。そうしたらね、この島は本土と不干渉になったんだそうだよ。きっと見えないところで神様の罰でもあたったのかもしれないね」
 「…神様、都合良すぎませんか」
 「さあ。でもまあ、そんなものなんじゃないかな。だって神様は気紛れなんだから」
 「……」

 深い笑みを浮かべた美沙さんの唇の描き方は、私の知っている神様と少しだけ似て優雅だった。カウンター向こうのパイプ椅子に依然腰掛けたままの彼女は、「それで」と戸棚から透明なケースを取り出す。桃色の小さいグミが四掛ける三、計十二個プラスチックのケースの上に錠剤のように並んだそれは確か二十一円くらいで買える駄菓子だ。優雅にもちゃんと爪楊枝でグミを刺して小さく口を開けて食べる美沙さんは、話の空気にそぐわずひどく能天気で、それでも、私にとっては決して穏やかのままにはしてくれなかった。

 「ひろちゃん、きみはそんな神様を、世間はどう思っていると思う?」
 「…?どうって、」
 「正直に言ってね、私は好きじゃない。この街で【こんな仕事】をしないとひとりじゃ生きられないことも辛いし、やってらんない。叶うことなら逃げ出したい」
 「……」
 「そこのアザヤさんもそうだよ、彼なんて忌み子を理由に親に捨てられたそうだから」
 「…おい」
 「だから、ねぇ、ひろちゃん。私たちはあんな女を神様だなんて思ってないんだよ」
 「……」
 「むしろ身体があるなら滅多刺しにしたかったかもしれない」
 「……」
 「ねぇ、ひろちゃんは、どう思うの?」

 異端審問をしてくるその人は、依然笑っていたけれど、笑っていなかった。なんだか読めない笑顔という無表情に私はいよいよ薄ら寒くなる。この人、嘘つきだ。この人が心の底で自分をどう思っているのかは、知らないけど。それでもこの場においては圧倒的に弱者だった私は、それ以上美沙さん本人に対して何かを突っ込むことは出来ずに黙り込む。彼女の言う「神様」というのが、私の思っているあの「神様」と本当に同じかは知らない。そもそも神なんて本来、人の目には見えないもので、私があの神様と出会ったのだって夢の中の話だった。弟のことも、あの真昼の世界も何もかも、神様いわく全部が集団で見た夢だ。もしかしたら今の私だって、…ううん、それ以上何もかもを疑うのはよそう。いくら今が非現実的とはいえ、私はやっぱりあの愛すべき双子を心中でも否定したくはなかった。
 だから、私は「凛は」とあくまでも私の出会った神様の名を呼ぶ。この人達にとって、あの美しい神様はそれほどよろしいものではなかったのかもしれない。私だってそうだ。全部が全部、神様のために救われたなんて思っていない。本当に救われていたなら、私は今、ここにいない。

 「あのひとを、良いとは言いきれないですけど」
 「うん」
 「…でも、悪い人とも言いたくないです。それが美沙さんの言う、『気まぐれ』ってやつなら、…私はそれでいいと思います。たぶん」
 「……」
 「…あまりこんなこと考えたことないんで、正直わかんないんですけど」
 「なるほど。じゃあ、きみはきみのことも全部神の気まぐれだって、つまりはそう言えるんだね」

 五つめくらいの桃色の駄菓子を摘んだ彼女の声色はやたら冷ややかだった。いつの間にか私は下を向いていたらしくて、はっと顔を上げた時にはまた同じ笑顔があった。その表情で言ったんだろうか、私は考えるのをやめてまた下を向く。「じつはね」と話を続ける彼女の声色は、もう冷たくはなかったけれど、でもどうしても残酷には変わりなかった。

 「きみを見つけたのって私じゃなくてアザヤさんなんだけどね、きみは神様にずっと見守られていたんだって」
 「……」
 「だから、私たちはきみがあの神様とただならぬ関係だと思ってるんだけど…」
 「……」
 「きみは、どうなのかな。ねぇ、きみは気まぐれであの日降ってきて、気まぐれに神様に撫でられていたの?」
 「…貴様が神の遣いだと言うなら、とんだ烏だな」
 「えーアザヤさん、そんな教養があったんですか?あの人は太陽ではないと思うんですけど」

 見守られていた、らしい。けらけらと笑う美沙さんに私は全くもって笑えなかった。何が原因でこの人たちがあの神様をそこまで嫌っているのかは知らない。でも、あの神様と私はどうやら仲がいいと思われていて、そして神様を嫌うこの人たちに私は多分、ひどく敵意を持たれているようだった。私は食べてしまったご飯のことを思い出しながら脇腹をそっと撫でる。行き場がない、のは確かだ。おおよそ二十年。私がいた世界と、この世界の時間のズレはたったそれだけ。たったそれだけだけど、それでも、二十年は私にとって十分な誤差だった。だってまともな土地勘を失うほどの街並みの退化と、聞かされていない「設定」のせいでこんなにも頭が痛い。

 (私の見ていた夢が、やっぱり優しすぎたのかな)

 脇腹を押さえるべきなのか頭を押さえるべきか、わからないまま私は結局片手ずつ両方を押さえてなんとか「あの」と世間話をはじめる二人に声をかける。私の背後に依然立つ男は、「なんだ」と私の背中に向かって返事をした。私はそろ、と男を見る。多分、立場が強いのは男のはずだった。じゃなきゃ美沙さんはこの人に敬語を使わないだろうし、それにこの男はおそらく尻に敷かれるようなタイプでもない。許しを乞うように私は「私はあなたがたに敵意は無いです」と視線を向ける。男は、怯える私に反してどこまでも無表情だった。それでも、言うしかなくって、私はなんとか声を喉から絞り出す。
 正直どうしても状況はわからない。誰からの説明も受けていない状況で異世界転生みたいなことをされても困る。でもここはアニメでも小説でもライトノベルの世界でもなく、私にとってはどうしようもなく現実の世界だった。理不尽な、現実の世界だったのだ。
 だから、私は生き延びるために、選択を違えないように震えたくなろうと男の真っ黒な視線と目を合わせる。

 「あのひとが、なにを考えているのかは知りません。ただ、あなたがたにご迷惑をかけるつもりもありません。私には、何かをもたらすつもりも、何かしたいと思うこともありません」
 「……」
 「ご迷惑をおかけしました。もうこれ以上は、ご迷惑をかけたくはないし、嫌われたくて嫌われたいとも思ってないです。ご飯のお礼も、見守ってくださったお礼もいつか必ずします。だから、」
 「空虚だな」
 「…え、―−ぐっ、」

 背中に強い衝撃が走った、と思った時には私は短い毛の絨毯の上に叩きつけられていた。木製の椅子が激しい音を立てて倒れる音と、さっきまでの鈍い気だるさに似た痛みとは全く違う響くような衝撃に思わず舌を噛みそうになる。あらら、と真上から聞こえた女の声は場にそぐわずひどい能天気だった。なんて、じたばたともがきながら男の力強い腕から逃れている間に思えてしまった私は、多分自分でも信じられないほどに冷静で、解離していた。ぐぐ、と顎を強く掴まれているせいで言葉がうまく発することも出来ず、口を思うように動かすことも出来ず私は視線だけをなんとか頭上の男に向ける。私を床に突き落とし、首を絞めるように圧をかけてくる男は、どうしてか私を憎悪しているような真っ黒な瞳孔でこっちを見下していた。

 「貴様の言動には中身がない。さっきから黙って聞いていれば、場をやり過ごすための上辺のみの言葉ばかり。現実感もなく、信憑性もない。貴様、本当は生きたいとも思っていないだろう」
 「…ち、が」
 「違う?ハッ、笑わせる。命乞いのひとつも知らない癖に。義務教育の敗北だな」
 「……」
 「…貴様は本当に詰まらないな」

 見下す男が私の頸動脈を圧迫する中、私はなんだか疲れてぼんやりと男の向こうの蛍光菅を見つける。天井でさえ生活感があるここは、やっぱり夜の店らしさがひとつもなかった。ぼやけた視界は涙で濡れていて、なんだかちかちかとする。けれど、やっぱりそこで目が覚めることも、意識が落ちることもなかった。いつの間にか呼吸ができる状態になったせいだ。

 生きたいとか、生存意欲とか、どうしたい、とか、そんなものわかるわけないじゃない。

 だって私は死ぬつもりだったんだ。私の人生のエンドロールは、あの真っ白な夢に終わった。愛する弟のために命を投げ出して満足感で人生を終えるつもりだったのだ。
 それが、どうだろう?私は普通に違う世界とはいえ生きたまま目を覚まし、自分の行いを省みてしまった。エンディング後のどうしようもなさと、やるせなさと虚しさと、行く宛てのなさに空っぽになっている。弟を、愛するあの子を泣かせてしまった罪深さがずっとぐるぐる渦巻いている。もう謝ることも出来ない、ごめんねと抱きしめあえない。だってここには広人がいない。私が生きていられたのは、そもそもあの子がいてくれたからだったのに。それでどうして今後のことだとか、生きることだとかをまともに考えられただろう!

 空っぽだなんて当然だ。だって、広人のいない私なんてなにもないも当然なんだから。

 「貴女は、良いお姉ちゃんね」

 いつか神様に言われた言葉がふと耳の奥を過ぎった。良いお姉ちゃん。そんなことはない。良いお姉ちゃんが、愛する弟をあんなに泣かせるわけがなかった。私は弟の最後の我儘を聞かなかった。そして今は、姉ですらもなんでもない。私はただ独りだった。
 ただ一人の私は、もはや誰でも何でもなく、なんの価値もなかった。


 行き場がない
 生きられない

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