Nutter's class


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 小さいころから、私の隣には死神が座っているような人生だった。
 
 それは生まれつきのものらしい。私は普通の人とは違う髪と眼の色を持っていて、どちら琥珀色のような、お日様に当たると少しピンク色に透けるきれいな色をしていた。私はそんな自分の髪も瞳の色も嫌いじゃなくて、でも、この色が私の体を呪っているらしかった。
 この街の神様の呪い。原因不明のまま点々と増えていく細胞の異常変異は、そのたった一言で片づけられた。
 きっと大人になる前には死ぬだろう。私の人生に未来はない。
 そう分かっていれば死ぬこと自体はもう怖くなかった。怖くなかった、というより、諦めていたんだと思う。私の人生に意味を、価値をもたらすこと。それさえなければ恐ろしいことなんて何もなかった。私は死んでしまう。どう頑張ったって、まわりの友だちよりも誰よりも、お父さんやお母さんよりきっと早く死ぬ。それを受け入れて生ききること。それだけが私に残された最後の救いであり、許された唯一の処世術だった。
 
 彼。麻生夕斗君と出会ったのはある夢を見ていた時期だった。
 当時、私はいつも似たような病院の夢を見ていた。死んでいく誰かを看取るような、病室にいる誰かを少しだけ距離を置いて見つめるようなそんな夢だ。きっといつか、近い将来にあり得る私の姿を見ていたんだろう。そんな夢を「死ぬ」と悟ったその日からずっと見ていた。
 そんな夢が、夢とはいえ残酷で気持ちが沈む日々が続く時期だったと思う。夏の、蝉が鳴き始めた六月のことだった。彼は珍しくも街の外から来た「テンコウセイ」で、狭くて顔見知りだらけの教室に現れた未知の男の子だった。
 先生が「お父さんの仕事の都合で」と彼の背中を撫でながら、俯く彼を紹介する。誰もかれも、私もみんなが知らない男の子をじいっと見ていた。きっと、夕斗君はその視線に耐えられなかったんだろう。彼はずっと長い前髪を垂らして教壇の木目を見つめているようで、誰にも視線を返さなかった。まだね、慣れないのよ。びっくりしちゃってるみたいで、ほら君たちはみんな四年間ずっと一緒だけど、彼は君たちとは初めてでしょ?だから。――なんて、一言もしゃべらない彼を、先生は苦く笑いながらそう評した。
 でもこの街にいる私たちはみんな気が付いている。彼は決して仕事の都合でも家庭の事情でも何でもない、その綺麗なブロンズの髪の毛と、伏したエメラルド色の瞳に呪われてこの街に来た。彼は来たくてこの場所にいるんじゃない。彼は居たくて私たちの前にいるのではない。そっとしておいたほうがいいかもしれない。クラス委員長をしていたお下げの子が、ぽそりと放課後に呟いた。
 私たちの知らない外の世界から来た男の子を、私たちはひっそりと恐れていた。なんだか言葉も習慣も、考えていることも何もかもが違っていそうな、「同じ」じゃなさそうな彼のことを、私たちは無言で怖がった。彼がずっと無表情で、クラスの座席も一番端っこを選んで、ずっと窓の外の灰色の建物や、真っ青な空をじろりと眺めていたから、余計にそうだったのだと思う。私たちは知らない男の子を知らないままに遠ざけた。
 そうして、彼はいつしか授業が終わるとふらりと教室を出ていくようになった。気が付いたらふいっと見えなくなるブロンズ色の長い髪の毛が見えない教室はまるで彼がいないときと変わりがなくて、でも、なんだかそれが後ろめたかった。



 彼を「見つけた」きっかけは、いつも仲の良い友達が学校を休んだことだった。
 私には当時、高木梢ちゃんという萌黄色の髪がよく似合うおおきな丸い目をしたお友達がいた。花屋の娘だった彼女は道端に伸びている植物や街路樹に詳しくて、私の中では植物博士みたいな友達だった。梢ちゃんは私よりも明るくて、負けん気が強くて喧嘩だって強い子で、仲良くする子のタイプも私とは違う子だった。でも、梢ちゃんといると私は苦手な男の子や女の子たちとも遊べた。きっと彼女がうまい具合に話下手な私と、ほかの友達の間に入っていてくれたからだろう。
 だから彼女がいない日はなんだかひどく居心地が悪かった。虎の威を借りる狐、コバンザメ。虎もサメも見たことがなかったけどそんな言葉がちらほらと浮かんだ。私は梢ちゃんがいないとまともに友達の輪に入れないらしい。それじゃあそもそも友達じゃあなかったのかもしれない。お昼になって、透明になった私はそっと教室を抜け出ていった。よく聞いているクラスメイトの声が、全部知らない誰かの声に聞こえて肩身が狭かった。

 あの子も、こんな気持ちだったのかな。

 廊下を半分くらいまで歩いたところで私の足取りは重たくなっていった。行く先もなくて、気も沈んでいたからだった。とぼとぼと一階の通路を歩きながら私はどこかにいるんだろうテンコウセイのことを思った。思えば思うほど、私の歩く速度はどうしてかちょっとずつ速まっていく。あの子に会いに行こう。きっと一人はさみしいから。違う。私がさみしくてしょうがなかった。
 薄暗い廊下の奥。窓の向こうには中庭がある。中庭に咲く背の高い向日葵の群れに私は目を細めた。夏の空のまぶしさと、背丈のある緑の群れの中に男の子の茶色の髪の毛が揺れるのを見た。

 なんて、やさしい声で歌うのだろう。
 窓の向こう、一人で花壇の淵に座り込んで小さな声で歌う彼だけが、本当に違う世界にいるようだった。

 咲きかけの向日葵に囲まれた中庭で、彼は俯きながら木の棒で地面に絵を描いている。落書きをしながら歌っているのは外にある歌なんだろう。あっちにはテレビやラジオというものがあって、そこで色々な音楽が聴けるらしい。一年生の頃からずっと習っている向こうの世界についての授業で、そんな機械の話を何度も聞いたことがあった。私は知らない歌を歌う彼の柔らかく低い声に耳を澄ます。別の世界に遠くで独りぼっちで、その寂しさを振り切るように外に思いを馳せるように歌う彼は、私にとってあまりに孤高だった。近づけない、と私はぎゅっと自分の両手を握りしめる。友達がたった一日学校を休んで寂しいなんて、言えば彼に嫌われると思った。私は見えないように廊下の壁に背中を付けて、小さく聞こえる彼の歌声にじっと耳を傾ける。はじめて会ったその人に、私は結局何の言葉もかけられなかった。

 だけど私は性懲りもせず次の日の休み時間にはまたそこへ向かっていた。ちょっと行ってくるね、と梢ちゃんに伝えたとき、彼女は何度も何度も目を瞬きして驚いていた。私が知らない男の子に会いに行くことが意外だったらしい。いつもだったら「私も羽音ちゃんについてくよ」と隣に並んでくれたはずなのに、どうしてか梢ちゃんは私についていくとは言わなかった。梢ちゃんはきっとテンコウセイが怖いんだろうって、あの時の私は思っていたけど…きっと、梢ちゃんにはすでに私が彼に恋をしていたことを分かっていたんだろう。私が気が付く前から、ずっと。
 そんな梢ちゃんの意図も気づかずに私は彼の後を息を殺してついていく。途中で見つかってしまったらどうしよう。悪いことをしているみたい。一人で勝手にどきどきしながら、ひっそりと彼に迫って廊下の隅からあの声を聞く日々が続いた。はじめは、それだけで満たされていた。
 
 

 向日葵が満開になった頃、私の満足の花が先に枯れた。開花からずいぶん早く萎んでしまったものだと思う。言い訳をすると、彼の声を私に向けてほしいと思ってしまったのだ。あのとき確かにもうすでに、私は彼の「声」に恋をしていた。
 だから意を決して私は中庭に続く扉を開いた。何を言われるかわからない。すごく怖いと思った。なんだよお前ってきっと言われる。邪険にされてしまうかもしれない。でも扉の開く音に目を丸くした彼はぴたりと歌声を止めてみるみるうちに顔を真っ赤にして固まっていて、私を震えた瞳で見つめていた。怒っているというより、怯えているみたいで。ああ、彼も私たちが怖かったんだって、ありふれたことに気が付いた。だから、私は好かれたい一心で目いっぱいあなたに笑ったのだ。

 「ねぇ、そんなところで何してるの?」

 彼は震えた瞳を大きく瞬かせて、ややあってふいっとそっぽを向く。背中を丸めて震える彼は、そのまま私を見ずに縮こまっていた。多分恥ずかしくて泣いていたんだと思う。私は動かずにずっと彼を見つめながら、この後どうしようと考えた。だって男の子を泣かせてしまうとは思ってもみなかったし、かといって今さら立ち去れない。それに私は彼と話がしたくてしょうがなかった。だからじいっと震える彼を見下ろし続ける。五時間目のチャイムが鳴ったころになって、やっと彼は私を見ずに「帰れよ」と呟いた。私は、「やっと話してくれた」と喜ぶ。そうしたら怪訝そうに見上げてきたから、私は「こっちみてくれた」とさらに声を上擦らせた。

 「…お前、帰れよ。授業始まったぞ。帰れよ」
 「ううん、帰らない。いっしょに帰ろう。きっと先生待ってるよ」
 「俺はいいよ。どうせ、だれも心配なんてしてない」
 「心配するよ。夕斗君、こっそり聴いてたのは謝るから」
 「……」
 「ごめんなさい」
 「…だから、なんだよ」

 赤い目が見張ったと思ったらまたそっぽを向く。そうして、吐き捨てるように私を遠ざける言葉を呟いた。手負いの獣みたいな警戒心の強さに私はどうしてかおかしくて笑ってしまう。そんなことないよ、とくりかえした。

 「どうせお前も俺を馬鹿にしてんだろ?世間知らずだって」
 「そんなこと思ってないよ。ただ、きれいな声だなぁって思ったから」
 「…声?」
 「うん」

 そこまで思い付きで話して、私は少しだけ恥ずかしくなった。考えてみれば今までもずっと見ていました、って打ち明けているようなものだった。でもなにもかもいまさらで、ここまで来たらなるようになるしかなかったと思う。私は勇気を振り絞って、自分の両手をぎゅっと握りしめた。

 「私ね、きみの声が好きなの。何もしないから聞いていてもいいかな」

 半分告白みたいなものだった。夏場だからなんて関係ない。ほっぺたが異常に熱くてしょうがない。言わなきゃ良かったのに、ごまかすように「私も歌うことが好きなの」「将来ね、歌手になりたくて」「きみは知らない曲を歌うから」と高い声で理由を重ねる。そんな私の必死さに、夕斗君はとうとう吹き出すように笑った。ゆるんだ頬と緩んだ目元に、どうしてか私はもっともっと恥ずかしくなった。

 「そっか」

 遠くで先生が授業をしている声がする。舌足らずの子供の声、校庭を走る駆け足の音。蝉の声。穏やかに吹く風に木のせせらぎ。何もかもから遠い世界で、私は彼の隣に座っていた。一人で歌っていたときよりもどこか恥ずかしそうに小さな声になったあなたは、強請られるままに私にその声を聞かせてくれる。ひだまりのなかに連れてってくれるような声は、やがて「そういえば名前」と私を促した。堂々と授業を放棄してしまっていること、実はすでに担任の先生にみつかってしまっていて放課後に優しく諭されることになることも知らずに、夢ごこちのまま私は名前を答えた。それが、私の初恋だった。

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