Nutter's class


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 「そう、キミはハヤテ君というのかい」
 「…ええ、まあ」
 「ずいぶん若い子の名前だね。やっぱり今どきの子ってこんな感じなのかな?ねぇ紘…いや、失礼。紘子とキミは同い年だったか」
 「ははは…」

 饒舌にしゃべり倒す未来の父親から僕は視線を逸らす。義理とはいえ弟の名前をとっさに借りてしまったわけだが、あの子が知ったらどんな顔をしただろう。最近しゃべった話の内容さえも思い出せない紫色の眼を思い出しながら、僕は気まずさに頭を掻く。だってまさか実の両親に「安藤慶」とは言えそうもなかった。だってこれでタイムパラドックスが起きて、僕が生まれなくなったり百歩譲って名前がフレデリックだとかジョンだとか、そんなえらい名前になっても困る。要するに、僕が僕だとさえバレなければよかった。だから僕はぺらぺらと出自を流暢に偽る。出来るだけ嘘を嘘だと見抜かれないように、敢えて視線を逸らしながら僕は気まずさの理由をすり替える。頭を掻きながら、僕は「しかし」と言葉を続けた。

 「噂には聞いていたんですが、本当にこんな街が現代社会にあったとは思いませんでした。口裂け女と同じくらいの眉唾物だと思ってたものですから」
 「そうだね。私も正直なところ驚いているよ。確かに数年前から法整備が進んでいるとはいえ、まだ過激派が島外にいたとはね…」
 「…そうですね」

 いつか聞いた話を思い出しながら僕は相槌を重ねる。どれもこれも目の前の男から聞いた話だった。この街が、解放令とやらが出されるまでは隔離島として扱われていたこと。安藤家はこの島の土地開発に価値を見出して移住した家であること。解放令が出てもなお、政府の中には僕らのような異端者を忌み嫌い、必要がないにも拘らずこの島に放り込むような過激派もいること。…いつか、コンサートの帰り道に車の中で聞かされた雑談だった。
 僕と同い年のそれを知っている子供はほとんどその事実を大人たちからは聞かされない。言ってはいけないことになっているから、どこまでの大人がその規則を守っているかはさておいて、出来れば人には言ってはいけない。そんなことを言って聞かされて育って、話題にあげたのはそれこそ凪と話した時くらいだっただろうか。強かな祖母とやらに再三に聞かされていたらしい街の黒歴史を「お前くらいなら知ってるだろうと思って」と気まずそうに視線を逸らして話題に出してきたのはあの男くらいしかいない。それも腰を据えて喋ったのも高校一年の冬くらいの記憶だっただろう。大してリアリティを出して話せそうもない話題を、僕は言葉を選びながら口にする。若い頃の父と母が目の前にいるという例えようのない居心地の悪さと、そもそも人がタイムスリップしてしまう非現実的な現象のせいであまり僕は饒舌ではいられなかった。

 「しかし両親は島外ということは、キミは今身寄りがないのか…」
 「そうなります」
 「…いや、しかし今年からは申請と適性試験さえ受ければ島外に出ることも認められていてね。そもそも解放令が公布されて三年だ。流石に過激派もなりを潜めた世の中で今更島から出られないなんてことはない。住所は何処だったんだい?なんならすぐ我が家のヘリで」
 「…それがですね、実は僕は両親にあまり好かれていなかったもので。高校を卒業したらすぐに家を出ていくように言われてたものでしたから。だから正直今戻されても意味がなくて、だから」

 この狭い島にヘリの音を鳴らそうとした男の話を僕は遮る。へにゃ、と眉を下げた男の表情は自分の父親であるからかいやに既視感があった。これはあれだ。悲恋映画やヒューマンドラマを見た時と同じ顔をしている。特にこの男は新聞記事に児童の虐待という見出しがあっただけで三十分はその話題で嘆かわしいと言い続けるような、そういうタイプの男だった。男が次男坊であり、本家の人間からは疎まれていたことで共感しているんだろうけれど。

 「…キミ、若いのにそんなに大変な苦労を…」
 「……」

 ぷるぷると体を震わせオーバーに「私は悲しい」という顔をする父親の隣で、母親が僕の頭を撫でてくる。嫌な予感がする、と思った時にはもう遅かった。

 「うちにおいで」
 「……」
 「我が家は島外の本家筋よりは小さい家だけど、それでも不自由のない暮らしはできる。今は近々できる学園の計画で忙しいんだけどなあに創設した翌年には孤児院も建てようと思っていたんだ。現に今も何人か引き取っているしキミくらいの大きな子はいいお兄さんになるよ」
 「なるほど…」

 その子供が後の我が家のメイドと執事か。
 点と点が繋がったことに気が付きながら僕は言葉を飲み込む。やたらと父親に懐いている使用人たちだと思ったらそういうことだったらしい。確かに十人くらいいる中の一人になるくらいならその輪の中に入るのも悪くは無いのかもしれない。でもその共同生活の中でボロが出るのもごめんだった。僕は遠慮をする素振りをしながら黙り込む。僕は正直な話嘘は好きではないし、演劇の経験もない。学芸会では主役を勧められることも度重なる程にあったけれど、壇上で主役を気取るよりは背景の月になっていたほうが気持ち的には楽だった。そんな僕が四六時中も自分の両親を騙せるとはとてもじゃないが思えない。
 ここまで同情しているような顔をしているその男が、そもそも本当に僕の言葉を信じているわけがそもそもないのだ。ある程度狡猾でないと生きられない。そんなことを言っていたのはどこのどいつだ。
 「…お気持ちはありがたいのですが、一晩ここで考えさせていただけませんか。人のご迷惑になる前に、僕自身で出来ることを考えたいので」

 まっとうな成人を気取って僕は男の顔を見上げる。どうせ僕の出自と素性を疑っているのだろう、安藤奈津夫は訝しげな視線を細めて「そうかい」と笑った。


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