限りなく独白に近い告白と神隠しについて


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 「あいつ、誕生日が嫌いなんだ」

 電話越しの成一からの返答はやけに簡素だった。お兄ちゃんだれとでんわ?と舌足らずな子供の声が聞こえる。妹さんとオセロをしていたらしい。こんな夜の九時十時で小学校一年?二年?が起きてるもんなんだなと俺は少し感心した。親が普通は寝ろと言うだろうに。ただ、成一が真面目な声色で「僕も由香子も祝ってないんだよ」と俺との話を続けてくれるから、俺は妹さんのことには触れずに相槌を打った。

 「僕と由香子…まあ幼馴染みがさ、あいつと出会ったのはあいつが六歳の春なんだけど、その次の年かな、あいつの誕生日が来て、まあ、祝ったんだよ。子供だし折り紙くらいしかあげられなかったけど、おめでとうって言ったんだ。そうしたらさ、あいつみるみるうちに泣き出して、ずっと謝ってくるんだ。ごめん、ごめんなさいって。僕と由香子は当然、なんで謝られないといけないのかまるで意味がわからなかった」
 「…何それ」
 「さあ、僕も分からない。酷かったんだ。ぐちゃぐちゃに泣きながら完全にパニックになってて、自分の首を絞めるんだ。今でもわかんないし、正直怖かった。僕が泣きたいくらいだった。すごい豹変っぷりで、…由香子の母さんが美沙の後見人なんだけど、後で聞いたらなんか、すごい嫌なことがあったそうで、でも当人は覚えてないはずなんだけど…ああ、まあ、いいや。とにかく、なんだろう。誕生日はタブーなんだってさ、だから、僕達は美沙の誕生日は忘れることにしたんだよ。だから、その日はそっとしておいて、せめてなんでもないような日にしてやるんだ」
 「……」
 「…あいつは、多分それがいいんだよ」

 それでいいの、という言葉をなんとか飲み込めたのは奇跡と言って等しかった。分かっている。成一だってそれでいいと思っているわけがなかった。なんでそんなことに、と思いながら俺は遠くで耳にしていた「天野美沙」の情報を思い浮かべようとして、一旦は忘れることにした。思い出して、うっかり口にした暁にはただでさえ天野美沙の話に矛盾が起きているというのにそれに触れないようにしている成一を余計に混乱させることになる。けれどそれで「そっか」で話を終わらせられるわけにもいかない。少なくとも、俺はそれで納得ができない。

 「あのさ、やっぱり誕生日教えてくれないかな。聞いてから考えるから」
 「…お前、自分がどうこう出来ると思って聞いてる?」
 「いや、まったく。でも、」

 それがどんな意味を持つ日なのかまでは慮れないけど、そんな悲しい一日を繰り返し続けるのは見てて悲しいことだけは確かだ。まして好きな子のそんなところ。
 重たいため息を吐いた成一の後ろで、「お兄ちゃん」と呼ぶ声がまた響く。成一は「教えるだけしか僕はしないから」と釘を刺して、俺は見えていないのは理解していたけれど電話の相手に頷いた。



 「今週の木曜日さ、行きたいところがあって、よかったら付き合ってくれないかな」

 翌週の月曜日。あれから何事もなかったかのように仲良くなった子たちの話をしていた美沙ちゃんに、土日のうちに繰り返した言葉をさもなんでもないように告げると、彼女はきょとんと目を瞬かせた。

 「…木曜は、学校ですよ?」
 「うーん、いや、そうなんだけど。ほら、美沙ちゃんだって友達と帰ることだってあるだろうし、今のうちに抑えたいなって。放課後を」
 「えっと、…それって今日じゃダメなんでしょうか?」
 「まあ今日でも良いんだけど、でも木曜って大安らしいからさ、都合がいいかなって」
 「大安…」
 「そう、今日は赤口だから気持ち的にちょっと」

 苦しいこじつけにさすがに美沙ちゃんが訝しげさと苦笑いの入り交じったよく分からない顔になる。いつかと同じように困ったように眉を下げて「19日はちょっと」と首を振った。日付を口にした瞬間の曇った表情に、ああ、と頭のどこかで合点がいったというか、腑に落ちた。

 「知ってる。誕生日、なんでしょ?俺も一緒にいていいかな」
 「……」
 「特にきみの邪魔はしないし、何にも余計な口も挟まないから、空気だと思っていいから」
 「なんで…成一が、言ったんですか。どうして…」
 「俺はきみが誕生日に対して何を思っているなんて知らないけど、」

 ふらっと走り去ろうとした右腕を咄嗟に掴む。力を大して込めていないというのによろめいた美沙ちゃんの顔色からは血の気の一切が抜け落ちていた。唇が微かに震えていて、けれど泣き出しそうだとか、そういう感じではなかった。なんだろう、多分、絶望って感じの顔だった。そして「知らない」と口にしておきながら、俺はおそらくその絶望の理由に何となく、頭のどっかで気づいている。きみが、「アマノミサ」であるならば。

 「もちろん知らないからって簡単には聞かないよ。誰しも触れられたくないものがあるわけだし、知ったところで多分ほんの少ししか同情もできない。だから、別に話してほしいなんて思ってない。そこだけは、安心して」
 「……」
 「けどさ、詮索しない代わりにこれだけは言わせて。また説教かよって感じだけど」
 「……」
 「美沙ちゃん、頼むから少しくらいさ、自分を許してやってくれないかな。きみが思うよりもきみを思う人間がいることくらい、少し認めてやってくれないかな」
 「…貴方には、」
 「分からないよ。きみが【昔に何を言われたか】なんて俺は当然知らない。そうじゃないよ、違う。俺はきみがきみを嫌いで居続ける姿を見るのが、悲しい」

 なんで、と唇だけがかすかに動いた気がした。なんでも何もない。俺はきみを好きなのだ。何をどう頑張ったら好きな子が自分の誕生日さえ喜べずにとっぷりと暗く沈むところを遠くから見ていられると言うのか。むしろそっちのほうが疑問だ。だというのに美沙ちゃんは黙って俺をじっと見つめて、涙の枯れたような顔でぼんやりと立ち尽くしている。掴まれっぱなしの腕にはまったくといっていいほど力が入っていなかった。けれど、別に心が遠くに行っているとか、そういうわけでもなさそうだった。ただ、ただ、目の前の俺を初対面のような、いや、初めて見る何かのような、そんな怪訝さで見ていた。

 「…佐藤さんって、変な方ですね」

 やがて吐き出された言葉がそれだ。ここで出てくる感想としてはもっとなんか、酷い言葉があっただろうにそれで抑えられたからやっぱり優しい。「気持ち悪いでしょ」と言いながら手をさりげなく放すと、美沙ちゃんは「いえ」と無表情のままに首を振った。

 「だって、本当におかしいです。なんで、会って十日もないですし、いくらいっちゃんの元々の知り合いだとしても」
 「うん」
 「普通…、普通はこんな面倒な女、好きと思ったとしても、冷めたりするものじゃない、ですか。恋愛って、そういうものなんでしょう?」
 「うーん…、どういうものか知らないけど、でも、んー、そうだな、俺別に恋愛がしたくてきみを好きって言ったわけじゃなかったからなぁ。美沙ちゃんは俺に冷めて欲しいの?」
 「……。…わからない、です。そんなこと」
 「……」
 「…ただ、私はあなたといることが、こわい」

 それはいつか問いかけた質問の答えだった。どうやら、彼女は俺と関わることが怖いらしい。まあ、そりゃあ怖いだろうな、とストンと腑に落ちた言葉に俺はどうしてか冷静だった。分かりきっていたことだったからだ。普通に考えて、俺は尋常じゃない速度で彼女の心に踏み込もうとしているし、そもそもに初対面同然の男にここまで距離を詰められて、怖いわけがなかった。…あれ、なんか、心臓が痛くなってきた。どうやらそれなりに俺自身も傷ついていたらしい。参ったな、と俺はやり場のない両手を軽く握る。分かっていたはずだったのに、柄にもなく、傷ついていた。

 「…でも、その、…りょう、…佐藤さんが居なくなるのは、ちょっと落ち着かないかも、しれない、です」

 澱の底に沈みかけていた心が水面まで持ち上げられたような気がした。俺が傷ついた顔をしていたのがバレていたのかもしれない。いつの間にかこの会話をしていた場所から建物数個分、学校と駅の真ん中くらいまでは歩いていたことに気がついた。体調の悪い時みたいな歩く速度でゆっくりゆっくりと美沙ちゃんは歩きながら俺を見ずに斜め下を俯いている。と思いきや、その話をし始めた途端に彼女は耳を赤くして歩く速度を早めた。恥ずかしいことを言っているし、恥ずかしい事を言われているのだ。それに気づくと、痛かったはずの心臓が心拍数だけ早いままに身体中の血を騒がせた。なんて単純だろうか。

 「美沙ちゃん」
 「っ、もう言わないです。こんなこと言いたくないです」
 「木曜日、放課後。俺迎えに行くから。待っててくれるよね?」
 「…どうなるかわからないですよ、私。喜べないし、【また】変なご迷惑をかけるかも」

 早歩きだった足が中途半端な歩幅を保って立ち止まる。それは多分、彼女なりの警告だったんだろう。分かっている。誕生日が嫌いと言っている人間に祝いの言葉を押し付けることなんて迷惑に決まっている。もしかしたら本当に俺の良心はただのエゴで迷惑きわまりないものに終わるのかもしれない。でも、それでもよかった。それでも俺は、自分のエゴを押し付けたかった。まったくもって傍迷惑な恋心だった。

 「いいよ。だからちゃんと待っててね」

 ちら、と振り返った彼女のチョコレート色の髪が揺れた。左目だけとかすかに目が合ったかと思いきや、彼女はぷいとそっぽを向く。ぎゅうとカバンを握りしめる手の小ささが、あまりに頼りなく見えた。そうして、彼女は観念した。

 「…教室は、恥ずかしいので玄関にしてください」
 降伏宣言に俺はうん、と見えなかっただろうが頷く。もう一度歩き出して、歩幅的に追いつけないわけではなかったけれど、俺は半歩後ろを着いて歩いた。そのあとはどうにも何を話せばいいかわからずに、駅に着くまでの「またね」以外には何も言い出せそうになかった。

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