限りなく独白に近い告白と神隠しについて


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 この世で一番嫌いな科目が芸術科目だとして、次点では体育かもしれない。出来ないわけじゃないしサッカーとか普通に好きだけど、ラジオ体操とかどんな顔してそんな真面目にやればいいか分からないし、あとダンスが普通に気恥ずかしくて嫌だ。あとやっぱそれなりに好きなだけあって運動した後にやたらと汗っぽくなるの、前までは気にしてなかったけど例えば今日この後好きな子の顔を拝みに行きますってときだと異様に気になるということに気が付いた。やっぱ俺体育嫌いかもしれない。いや、やれば楽しいんだけど。
 去年使ってた制汗シートがまだカバンの奥にいたからよかった。「亮介なんであんな野蛮な競技が好きなの?」と横で死んだ顔をしている男が少し満足げになってしまっているかもしれない俺を睨んでくる。ドッジボール嫌いな野郎がこの世にいるということのほうが俺からすればあり得ない。体育は頭使わないし着替えて体育館に行くまでは面倒くさいけど、やれば楽しいもんだ。ルールも簡単だし時間制限があればなおのこと終わるのも早い。あれほど頭を使わなくて済むものもないだろう。だというのに「それ以前に体育が死ぬほど嫌いだ」と豪語しているのが俺の前の席の男だ。運動音痴の極みだもんな、と軽めの暴言を吐きながら俺は襟元を仰ぐ。春先でまだ冷え込んでいるとはいえ、まして着替え終わってもうすぐホームルームだってのにまだ熱が抜けない。さっきまで安藤慶と接戦をかましあっていたせいだろう。最初から最後まで内野に戻ることができなかった目の前の男にはとうていこの暑さは分かるまい。

 「新学期だからって気を緩めず進路を見据えて…」

 担任の言葉にはいはいと頷き終えると放課後が訪れる。俺は背もたれにかけていたブレザーと鞄をまとめて抱えて、速足で教室を飛び出た。幸い掃除当番もなければ、委員会も部活も死んでも入る気がなかったおかげで何の用事もない。これなら連絡事項の多い1年生の下校に間に合うだろう。そしてその目測は実際合っていたようで、俺が4階にたどり着くころ、ちょうど生徒たちが帰り支度を纏めているのだった。この分なら会えそうだな、と内心胸をなでおろす。
 美沙ちゃんは確か2組だったか、と独り言ちて教室を2つ分通り過ぎて軽い足取りで向かうと、一番前のほうの座席にやはりその茶色の髪の毛が目についた。やっぱ天野は一番前の席になっちゃうよな、と予想した通りのポジションに思わず笑ってしまう。安藤が去年に「名前のせいで毎回一番前なんだ」と愚痴をこぼしていたのをなんとなく思い出した。
 さて、話しかけていいものか。教室の前から顔を出していいものか。俺は逡巡しながらも荷物を纏めている彼女の後姿を遠目で眺める。ちらちらと何人かの一年が異様なものを見るような目で俺を見てきたから、余計に話しかけていいかが分からない。まあ、入学早々先輩に絡まれる1年。あまり絵面的にはよろしくないことは確かだ。これはあれだろうか、存在を軽くアピっておいてここで話しかけはせずに玄関になんとなく着いていけばいいか。
 などと迷っているうちに、美沙ちゃんがクラスメイトの女の子二人に話しかけられていた。美沙ちゃんは慈しむように髪の毛を撫でている果物の桃に似たようなピンク髪の女から顔を背けている。随分派手な髪をしている二人組だ。何せそのピンク髪の女の後ろには、水色の髪をした女まで立ち尽くしている。なんか一方的にじゃれつかれているようだけど、別にいじめられているとかそういうわけではないらしい。おおかた美沙ちゃんと仲良くしたいクラスメイトだろう。ピンク髪の女子はわしゃわしゃと美沙ちゃんの頭を撫でまわして廊下に出て行った。…いいな、あれ、俺もやりたいんだけど。なんて羨んでいる間に、俺の前をその派手髪二人が横切っていく。まあ、そりゃあ教室から出てきたんだ、ここに来るのも当然だろう。なんとなく俺はその女子と、背後に引っ付くもう一人の影を視線で追って、そうしてはじめて俺は派手髪のうちの一人が誰かに気づいた。
 薄水色の瞳をしたその女、「ユカリ」が俺を視界に捉えて表情を凍らせる。見覚えのあるその女に、俺はどう返事をすることもなく視線をそらした。別に、なんでも関わりはございませんよ、とでもいう体で俺は教室の中をもう一度眺める。…居ると誰が思っただろう。普通に考えて、もうどこか違うところに行ってひっそりと暮らしているもんだと思っていた。ここにまだ居たのだとしたなら、理由はたったひとつしかない。だから、俺はてっきり相手が足を止めて何かを言ってくるかと思ったけれど、どうやらこの場では何かを言うつもりはないらしい。ユカリ、もとい「神崎紫」と俺は、一瞬合った目をなんてことのないように逸らしあった。 それでもどうしたもんかな、と横目で去っていった雪のような色をした髪を追いかける。今後のことについて考えたいところだったけど、でも、その小難しい思考は「あの」というささやき声みたいな小さな声にかき消された。

 「あ、美沙ちゃん。奇遇だね」

 どう考えても奇遇じゃない。それを向こうもよくわかっているらしい、緊張で固まりながらも頭を下げてくる。こんにちは、という小さなあいさつに俺は「こんにちは」と柔らかく返した。

 「また話したいなと思って。よかったら一緒に帰らない?何か用事とかはあったかな」

 美沙ちゃんがきょろきょろとまだ人のいる廊下を眺める。ああ、やっぱり2年がいきなり入学早々の1年に絡むって絵面的によろしくなかったな。あとで謝ろう。気まずそうにも無言でうなずいた彼女を前に反省する。とりあえず早く立ち去っておこうと、俺は立ち話も早々に「じゃあ帰ろうか」とできる限り明るく誘いかけた。

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