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そこは、ただの子供の一人部屋だった。
レースのカーテンの向こう側はいつか見た時と同じく真っ青だった。オレはその遠くの窓を向かいに立ち、見知らぬ女の部屋の前にいた。それもまたいつかと同じだ、と働かない頭で考える。ただ、あの日病棟を何度も見舞った時にオレを好意的に見たあの女とは違い、この部屋の主は依然オレに背を向け続けていた。確かに、まあ好意的にされる謂れもない。むしろオレは不審者かつ侵入者だった。本来だったなら通報されるべきだっただろう。ただ、それもないことにオレは心のどこかで納得してしまう。なにせ、オレはついさっきにどことも分からぬ建物から飛び降りて死んでいる。それを思い出した時、もう何処も怪我をしていないし痛みもない体から血が足元に滴ったような気がした。気がした、というのはオレのただの幻覚で、実際には若草色の絨毯には汚れも、自分の陰一つもなかったからだった。それにまた、どうしてか一人でオレは笑ってしまう。思い余って死んでしまった自分が、ただの一人に人生ごと狂ってしまった自分が、何もかもを通り越して今は面白かった。
「…何をしにここに来たの。ここは人生相談所でも懺悔室でもないよ」
一人で笑う幽霊を女が振り向きもせずに認知した。絵を描いているのかペンを縦横無尽に動かす女の声は、怒っているのか僅かばかりに低い。オレは肩を竦めた。自分だって此処に来たくて来たつもりはないはずだった。そもそも女のことを誰かも知らないしこの部屋のことだってなにがなんだかわからない。ただ、それでもここに辿り着いてしまったのは、いったいどうしてだっただろう。誰かがこの部屋の存在を伝えたからだったような、それとも自分でこんな場所があると気づいたからだったか。忘れた。死んでからのことなんて、すべてが曖昧すぎて覚えていない。もう葬式で泣いていた親の怒りの顔さえマトモにわからないくらいなのだから。
「アンタ見えるのか。オレのことが」
「さてね。君達、幽霊コミュニティの中で僕がどう広まってるのかは知らないけど。お陰で新興宗教の教祖にでもなった気分でいるよ」
「残念ながらオレに死後の友達はいなかったな。むしろ、オレを呼んだのはアンタだろ」
「……」
「思い出した。そうだ。呼んだのはアンタだ。物書きなんだろ?創作のネタにするためにオレの話を聞いてくれる。だからオレがここに居るんだろ」
「……」
煩わしそうに女は羽織っていたパーカーのフードを頭に被る。オレは引けなかった。新興宗教の教祖でもただの作家でもない、相手がそんなチャチなものではないことを本能で知っていたからだ。そうだ。これは本能だ。情けなくもそれに抗えずに、それでも口調だけは不遜であろうと「なあ」と馴れ馴れしく言葉をかける。ただ、語尾だけはどうしても震えてしまった。救われたかったのだ。救いたかった、というよりはずっと。裁かれたいと言ってもいい。
「女が、ここに来なかったか。病気の女だ。オレと同い歳くらいの。絞め殺したんだ。オレが。オレが殺した女だ。オレに絞め殺された女は来なかったか」
「…病気の女で君と同じ歳くらいなんてゴロゴロその辺に転がってるから知らないけど、少なくとも殺されて恨んでますと言うような女は来なかったよ。君は無作為に彼女を殺したの?」
「違う。そうじゃない。そうじゃなくて」
「落ち着きなよ。懺悔はもっと厳かにするべきものだ」
平素だったら絶対に関わり合わなかっただろう傲岸不遜に足を組んだ女がオレを見下ろす。それでもプライドを捨てて謙ったのは、立場を弁えていたからだった。バカだバカだとは言われてきたが、この手の時にはどうあるべきかくらいは本能でよく知っている。大人しく呼吸を整えて無言になった幽霊を、神は詰まらなさそうに金色の瞳を細めて見下ろしていた。どれくらい経っただろう。やっとまともに絞り出せた懺悔の言葉は、自分にしてはやけに冷静で賢く聞こえ、そして相応しくも厳かだった。
「…三年前に、軽い交通事故で入院したことがあった」
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