限りなく独白に近い告白と神隠しについて


▼ 消えた一日

 穏やかな一日だった。
 外から聞こえる鳥の声も、廊下を歩く足音、人の声。何もかもがこの部屋に置いては他人事で、ただ窓から見える空だけがいやに真っ青で恐ろしかった。
 隣にいたお前はどう思っていたことだろう。女は手先の練習だと笑って編み物をしていた。今は夏で、赤い毛糸を編んだって使わないだろうに。それでも冬場におしゃれをするのだと言って不器用にもかぎ針をせっせと動かしていた。ただ、何を考えてそうしているのか、本当に手先の練習なのか、冬まで生きる気があってやっていることなのか、その真意までは読み取れなかった。
 オレはどう思っていたことだろう。ベッド横の丸椅子にただ腰掛けて、携帯も音楽プレーヤーも持たずにただただ女をぼんやりと眺めていた。さっき余命を告げられて、親にはまるで怒鳴られるように泣きつかれて。怒っていたのはそれこそ「出ていって」の一瞬だけだったような気がする。今は平常とひとつも変わらない、女はひどく静かだった。「いつも通り」に編み物をはじめた女は静かに、気味の悪いほどに笑顔を崩さずに笑っていた。

 だが、それももって十分程度だった。やがて笑顔をぐしゃりと女が崩して編みかけの布になろうとしていた糸の目がぐちゃぐちゃと解かれていく。毛糸の二玉がもうじき使い切られるといった頃合だったと思う。それなりに女は頑張っていた。初心者だとのたまって、一編み目を作る時なんて一時間はかかったはずだ。気になって少し借りただけのオレが先に編めた時の女の顔なんてそれはもうすごかったとしか言いようがない。よくわからないプライドと負けん気で遊び半分のつもりが今や堂に入った手つきで編めるようになっていたのだ。女は、頑張っていたと思う。それは編み物もそうだけど、そういうことじゃなくて。

 「もういやだ」

 ひどく乾いた声色に、自分が大人しく携帯でも見ていればよかったと後悔した。今までの頑張りがすべて無駄になったぐしゃぐしゃの糸の塊を前に女が涙ひとつなく呟く。ゆっくりと、もたげた頭と目が合った。
 女は努力していたと思う。
 曰く、物心ついた時から入退院を繰り返し学校にもまともに行けなかった。勉強もスポーツも音楽も家庭科も、何もかもが誰よりも劣っていると女はいつかに卑下していた。けれど、それ以上に女は努力をしていたと思う。女は今まで、諦めていなかった。人の参考書やら教科書を覗き込んで、オレよりも多分まともにノートを取って数学を計算していた。古本屋で買ってきた流行りの本に目を輝かせていた。一緒にベッド横のテレビを前に野球の解説をした時だって、絶対つまらなかったし面白くなかっただろうにそれでもなんでも楽しいと笑っていた。女は、人並みに生きようとしていたと思う。オレにはちっとも理解できない死と隣り合わせの壮絶な人生を、女は十分に、多分、頑張っていた。でもだからって、誰がそれに引導を渡せると言うのだろう。オレからすれば女はただの友人で、恋仲でも家族でもなんでもない。ただの第三者だった。女だってそうだろう。医者でも親でも、まして神でもない。ただの第三者が、どうして引導を渡せただろう。

 「シン君、お願いがあるの」

 ■■■■のことが好きだった。
 クラスの女子の誰よりも達観していて、どこかあきらめたような背筋の伸びた姿に同情した。それでも笑うと年相応の子供の顔で、持ち込んできた差し入れの菓子に目を丸くして表情筋全部で喜ぶ姿が好ましかった。自分とは全く違う細い手首がかよわくて、手を繋げば折れるような気がしていた。生きようと必死になっている女の、生きる糧になれたらそれでよかった。
 ただ、同時に、心のどっかでいつも思っていた。
 こんなにも頑張って報われないのなら、彼女の人生ってやつになんの意味があるんだろうって。多分、それは女だってオレが思うより考えていただろうに。
 だから、これは知っていた結末だったのだ。きっと。

 「私を殺して」

 いつか、枯れない花を千切る彼女を見たことがある。
 あの日は部活帰りで、最近調子が悪いとぼやいていたからテスト前を口実に中途半端な時間に顔を出したのだ。もう面会時間も終わるという寸でのところでやってきた大して仲良くもなかった男相手に女は嬉しそうに笑っていた。ただ、白いベッドの上に散らばる青い花びらだけが異質だった。貰ったらしいその枯れない花がなんていう花だったかはもう覚えていない。真っ青な花で無邪気に、女は「花占いをしてたの」と嘘を吐いた。嘘だと分かったのは、その花が生花ではないと聞かされた時だった。ーーだってほら、枯れない花なんておかしいでしょう。人も生き物も、いつかはひとしく死ぬものなのに。無闇に生き長らえる人生は、悲しいわ。
 過ぎった言葉にオレはぐっと唇を噛む。赤い糸を指に搦めて、女は幸せそうに笑った。それが本当に幸せで浮かべた笑みだったのかは、もう考えたくもなかった。

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