Mourn’


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 「それで、どうしてえっと…あのお方が和泉先生に」
 「その、瑞崎の赤い糸診断を興味本位でやりに行ったんだよ。…で、天昇…あいつが診断したら、和泉先生が出てきて、あいつはそれを鵜呑みにしたってわけ」
 「へぇ…」

 運命の相手。本当に占ったらそういう風に言われるんだ。なるほど、確かにすごいと思う。運命論なんて普段はあまり信じてないけど、そういうのを占ってみるのは楽しそう。それにしてもよくあの取り巻きが彼の机を取り囲んでいる中、挑みにいけたなぁ。
 なんて遊楽先輩の行動力に感心していると、「羽音ちゃん」と先生の呼ぶ声がした。「はい」と顔を上げると、和泉先生は壁際に追い詰められてて…。
 あ、これはちょっとさすがに行動力が有り余ってる気がする。まずい。学校内でこれは不味い。私は慌てて和泉先生のそばに向かって、和泉先生と男の人の間に入った。

 「和泉先生!大丈夫ですか!?」
 「ああ大丈夫。俺がついているからね、先生に危害は何も及ばないよ」
 「いえ、危害…及んでると思います!」

 なんて会話を繰り広げている間に夕斗君と緑疾先輩がそれにあわせるように、遊楽先輩を二人がかりで取り押さえる。これで和泉先生包囲網は解除された。私の後ろで心を落ち着かせるように和泉先生は深呼吸を繰り返す。それから「遊楽君だっけ?」と、大人が子供を見るような優しい目で遊楽先輩を今度は和泉先生の方から見つめた。

 「気持ちはね、嬉しいんだけど…先生は先生だから、生徒の遊楽君とどうこうなることはできないしそれに先生には好きな人がいるから…」
 「大丈夫です、近いうちにきっと俺が先生の好きな人になります。そうです間違いありません。なので俺と付き合いましょう卒業後でも待てますから」
 「えーと…羽音ちゃん、これどうしたらいいと思う?」
 
 私に聞きますか、とぽつり。どうしたらもこうしたらも私はそんなに誰かに詰め寄られるなんて経験はしたことない。詰め寄る経験ならあるけどこっちが受け側になるなんてことは無い。だから、どうしたらいいかなんて全く分からない。ただ、詰め寄る側はなかなか、諦めるということを知らないということは確かだ。
 「遊楽…お前、こういうことになると意外と必死というか、饒舌になるんだな」と夕斗君が呟く。続けて緑疾先輩もうんうんと頷きながら、「なんつーか意外だよなぁ。普段真面目な顔のくせにさぁ」と微笑んでいる。あまり普段は詰め寄ったり強引なことをしない人なのだろうか。呆れられているような、感心されているような、感慨に思われているようなその人は「当たり前だよ。運命なんだから」と真顔できっぱり断言した。ちょっと、全然関係ない私がどきっとする。いいなぁ先生。好きな人がいるから迷惑なことなのかもしれないけど、そこまで思われるのはいいなぁ。こんなふうに運命の相手だって突然迫られるのは、確かにちょっと怖いけど…でもやっぱり、人に好かれるのは羨ましい。
 ところでそういえばそろそろ話を逸らす機会にもなるし、したかった話題を持ち出してもいいだろうか。ちょっと間が生まれたし、先生的には良いタイミングだ。

 「あの、先生?こんな状況で別の話なんですけど、この前新しく出来たっていうあの猫喫茶の猫、何匹か逃げちゃったらしいんですよ」
 「え?もしかして、今週の土曜日に梢ちゃんと行くって約束してた?」
 「そうなんですよ…逃げちゃった一匹のなかに梢ちゃんが目をつけてた白猫もいて、すっかり梢ちゃん行く気失くしちゃって…だから先生今度一緒に行きませんか?」

 猫喫茶とはその名の通り猫がいる喫茶店のこと。白崎に出来た新しいそのお店は、やっていることもなかなか新しいと評判だった。なかでも黒猫のつんつんっぷりが可愛くて有名、だったんだけど…その黒猫も残念なことに逃げてしまったらしい。昨日、お店の前を通りかかったらお詫びの張り紙が張られていた。

 「うー…ごめんね!ちょっと今月は厳しいから喫茶店は辛いかなぁ」
 「あ、そういえばまだ引っ越して二ヶ月しか経ってないって言ってましたよね」
 「そうなのよーごめんね、羽音ちゃん」

 あー…どうしよう、これ以上私に知り合いはいない。
 どうせすぐにこの世を去る身。未練を残すような相手は、できる限り少ないほうがいい。だから私はクラスでもあまり仲の良い友達というものは作らないでいる。話をすることが出来る友達や、学校でそこそこ一緒に行動するような子はいるけれど、一緒に出かけるような仲の子なんていない。…あまり、そういう関係を増やすことは好きじゃなかった。
 悶々としている間に後ろから、「お前一緒に行ってやれよ」という緑疾先輩の声が小さく聞こえる。お前、というのはきっとあの人だろう。そうに違いない。私が普段引っ付いていたのは夕斗君なんだから。
 …そうだなぁ、夕斗君が一緒に来てくれるのは嬉しい。初めて行く場所に一人で行くのは苦手だから、着いて来てくれるのはうれしい。もちろんその相手が夕斗君となると、二倍三倍で嬉しい。でも正直ちょっと気まずいような…。なんだかやっぱりぎこちないというか…うん、大体私が悪いんだよね。知ってる。

 「…羽音、どうする?」

 後ろから、声がしたから振り向くと、なんとも言えない気まずそうな顔をした夕斗君が居た。ああ私のせいで面倒な目に遭ってるんだろうなと思うと、胸が痛くなる。こんなにお互い苦しいのなら、もう離れてしまったほうがいいのだろうか。でも、ここで終わると私は夕斗君に恨みつらみを吐いて、無駄な傷をつけて立ち去ったひどい女で終わってしまう。今も十分ひどいけど。

 「…夕斗君が、構わないのなら」

 行きたいです、と呟く前に、「じゃあ土曜、学校の正門前で。十時でいいか」とさらりと吐かれた答え。「大丈夫です」と呟いて、それからこれが「行ってもいい」という了承だと遅れて気づいた。
 夕斗君は「先生、俺が奢りますので猫喫茶行きましょう」と誘っている遊楽先輩を、「しつこい男は嫌われるぞ」と引っ張りながら立ち去っていく。意外と力あるんだなあ、なんて思ってしまったのは内緒。そうして人がいなくなってから、私は改めて先生のほうを見た。ちょっと疲れてしまったらしい、額には汗が滲んでいて、襟元もなんだかさっきのぱりっとした新品のような感じがなくなっていた。

 「…先生、大丈夫ですか?」
 「あはは…うん、大丈夫だよ。若い子ってすごいね」
 「そんなおばさんみたいな言い方したら駄目ですよ。私とあまり変わらないじゃないですか」
 「羽音ちゃんも言うようになったね。…ところで土曜日の服は大丈夫?」
 「あぁ…それはちょっと大丈夫じゃないです」

 じゃあまだまだ若い先生が羽音ちゃんの服を見てあげましょうねと笑う。やっぱり大人なんだなぁと、綺麗に笑う姿を見て思った。



死ぬことには何も迷いも憂いも無いはずだった。
 そうあるべきだったのだと思う。それが私の自然な形だった。そうしなければいけなかった。未練なんてものに縛られて生きていくことは許されていないはずだった。だって、私は生まれてきてすぐに若くして何もなすことが出来ないまま死ぬ運命を明らかにされた人間だったのだから。
 おびえてはいけない。躊躇ってはいけない。そうしなければいけなかった。誰かを求めてはいけなかった。そうするためには「誰か」なんて存在は不要だった。誰も愛してはいけない。それが、私に課せられた全うに生きて死ぬための条件だった。
 どうして人を恨んだりなんてしてしまったんだろう。どうしてその恨んだ人にいつまでもいつまでもしがみついてしまったのだろう。どうして、その恨んだ人を愛してしまったんだろう。どうして、あなたは私なんかを好きになって、愛してくれたというのだろう。
 一人誰も求めてはいけない、その意味を私はきっと理解していなかった。そうしないといけないとは分かっていた。でも「どうして」なのかを考えてはいなかった。考えてはいたけれど、本当の意味で「そうするべき理由とは何か」については考えなかった。先に旅立つ私が、先の旅立つ私を幸せにする為にそうしないといけない。ただ、それだけのためにそうしなければいけないと思っていた。
 
 わからなかったの。あなたが、こんなに私のために叫んで、泣いて、「いかないで」なんて縋ってくるほどに私を求めてくれていたことなんて。

 いつも冷静でなかなかキスもしてくれなくて強請らないと抱きしめてもくれないくせに。初めてだって結局奪ってくれなかった。本当の意味でお嫁さんにして欲しかったのに、結局あなたは私に口付けしか与えてくれなかった。あなたはやっぱり私のことなんて同情で構ってくれているだけなのかもしれないなぁなんて、しまいにはそんなふうに思っていた。どんな気持ちでいつも私に触れてくれていたの?今更、「もっと一緒にいたかった」なんて、そんなことを言われてももうこの体は動かない。
 わからなかった。愛したら愛されるということも、傷つくのは私じゃないということも。誰かにおいていかれる人の悲しみなんて全く考えていなかった。ずっと、失いたくなくて、忘れられたくなくて、明日を迎えられないかもしれない現実に怯えて縋り続けていた。本当に誰かに助けを求めたいと願っていたのはあなたとも知らずに。

 「ゆうと、くん」

 さよなら。さよなら。行かないといけない。何処に行くのかなんて分からないけれど。あなたを置いていかないといけないことはとてもとても辛いけれど、でももうこれ以上ここにはもういられない。今はもう、いられない。
 ああ神様、来世とは本当にあるのでしょうか。生まれ変わりなんてものもあるのでしょうか。奇跡というものは本当にこの世の何処にもないのでしょうか。このまま私も本当は彼とお別れはしたくないのです。彼が私に「もっと」と未来を願うように、私も願いたい未来があったのです。せめてお願いです。彼が幸せにこれから先を生きていける未来をあげられる機会を、私に下さらないでしょうか。神様、どうか、私にこの間違った人生をやり直す機会を。

 「泣かないで、きっとまた会えるから」


 

 多分、嫌な夢だった。
 おぼろげにしか覚えていない。だけど確かにそうだと思った。心臓のあたりを抑えながら荒い呼吸を繰り返す。発作とかそういうものを起こすような病気じゃなくてよかった。自分が死ぬ夢なんて笑えるものじゃない。しかも、誰か大切な人を置いていく。

 「……」

 掛け布団の端を握りしめながら夢の内容を回想する。あの夢の中で、今よりもずっと大人びた夕斗君が絶叫していた。取り乱しながら私にしがみついて泣き叫んでいた。でも、私はそれに応えることができずに結局そのまま息絶える。…あれは本当にただの夢なのだろうか。あれは私と夕斗君の未来の姿なんじゃ?
 浮かんできた想像に震える。もしあの夢が本当にありうる未来だとするのなら、夕斗君はあのあといったいどうなってしまうのだろう。私が死んだ後じゃわからないんだ。夕斗君のその後の未来なんて。私にはわからない。私は、死ねばもうそこで終わりなんだから。

 残す者のためにも、残して逝く者は誰かを愛してはいけない。夢の中のそんな自分の言葉を思いだしてため息を吐いた。私はどうして死ぬと分かっていて誰かに執着して、人なんて好きになってしまったんだろう。私は誰かの枷にしかなれないんだ。



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