Prism


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 飼育部の部長は二年、白鳥にいな。副部長は三年らしい。「学年」に部長副部長の役割が左右されないのはやはりこの学園が特殊だからなのだろう。
 部活棟の一番奥にある部室、そして窓から見える飼育小屋…それが見えたとき、咲良ちゃんは神妙な面持ちをして、止まった。

 「桜葉、この先にある光景を見ても、絶対に引かないでね」

 こくりと、僕は小さく頷いた。この間、せっちゃんと一緒に、白崎学園寮にある大地の部屋でホラー映画を視聴した。大地はがくがくと震えていたが、僕ら二人は全く怖いと思っていなかった。先日行った肝試し大会も、余裕で満喫することができた。つまりある程度の恐怖耐性はあるということだ。さっきの黒魔術部がとびぬけていたのだ。あれ以下なら全然問題は無い。
 そのとき一緒にいた咲良ちゃんもそれを知っている。しかし、そんな僕を知っている咲良ちゃんが僕に注意を呼びかけるのだ。よっぽど恐ろしい光景が待ち構えているのだろう。僕は少し深呼吸をする。それを見た咲良ちゃんは、静かに、扉を開けた。
 栗色モスグリーンだ。そんな存在しないはずの色が、ぬぅっと僕らの前に現れた。いや、ぬぅっとなんて次元ではない。
 ずぅうううん、だ。ずぅうううんと、大きい鳥の着ぐるみが、二人の前に立ちはだかっていた。大きい鳥の栗色モスグリーンの着ぐるみから、禍々しいオーラが感じ取れる。
 気づけば僕は後退していた。ちゃっちいはずの鳥の着ぐるみなのに、映画に出てくるゾンビより怖い。例えるなら、フランケンシュタインがチェーンソーを持っていて、そしてポルターガイストがまわりにあるありとあらゆる凶器を僕に向けていて、まわりにはたくさんのゾンビ…よりも禍々しいオーラだ。

 「あ…あの…ふっくん先輩?」

 なぜか名前ではなく愛称らしきものに名前をつけた咲良ちゃんが、栗色モスグリーンな鳥の着ぐるみに話しかける。身長の差があり得ないほどある気がするのだが、それは僕の気のせいだろうか?

 「あの…にいなさんはどこでしょうか?」

 少ししてから、着ぐるみが「飼育小屋だ」と答える。流石だ。声までもずっしりしている。あれ?でも意外と不機嫌そうな感じがない。普通に受け答えできたし…この人、実は良い人なのでは…?
 そのとき、唐突に視界に紫の目をした鳥の顔が入ってきて、僕は後退した。…いい人かもしれないとは思ったけれど、やっぱりオーラが別格過ぎて駄目だ。辛い。ていうかなんで眼が紫なんだ。なんなんだこの鳥は。

 「…瑞崎。こいつがあの転入生か?」
 「はい。彼女が例の…坂根桜葉です」
 「…はじめまして」

 緊張と恐怖で、少し声が上擦る。それでもなんとか、喉から声を振り絞り、頭を90度に曲げる。すると、彼もゆっくりゆっくりと礼をした。その格好で腰を曲げるのは辛いはず、それなのにわざわざ…間違いない。世にも奇妙な格好をしているけれど、この人はいい鳥だ!

 「飼育部副部長だ。よろしく頼む」

 なぜか彼は名前を教えてはくれなかった。



 彼は意外とシャイらしい。この妙な格好をしている理由を、淡々と語ってくれた。

 彼曰く、部長である白鳥にいな先輩とは、幼いころからの仲らしい。
 一時期はにいな先輩が遠くに行ってしまい、話すこともできなかったそうだが、この学園に入った時に二人は再会。彼女が動物好きで、飼育小屋に動物が一匹もいないことを残念がった結果、自ら部活を作ったのだとか。ふっくん先輩(僕もそう呼ぶことにした)はにいな先輩に協力するため、飼育部に参加したらしい。
 問題の着ぐるみだが…これは当時の漫画研究部員が、面白がって漫画化したらしい。原稿をそのまま貰ったようで、見せてもらった。先輩曰く、オールノンフィクションだとか。


 
 部活を設立したとき、部員はたった二人、にいなと○○(黒マジックで塗りつぶされている)だけだった。与えられた部活棟の一室と予算、彼女ははしゃいでいた。

 「ねぇ、○○君…そうだ!これからは副部長さんなんだから『ふっくん』にしよう!ねぇふっくんふっくん!どうやって部員を集めよっか。昨日ぼくずーっと考えてたんだ!」
 「…そうか。言ってみろ。可能な範囲で協力しよう」
 「わーいさっすがぼくのふっくん!!じゃあ遠慮なく言うよ!出来たばかりの部活のインパクトを高めるため!僕が考えたのはぁあーーーっこれだ!」

 バーンという効果音付きで、にいなが提示したのはスケッチブック。うまい、何気にうまい絵だったと、後の彼は語る。

 「…にいな、これは何の冗談だ?」
 「ふっふっふー…ぼくはぬかりなーくこの学園の校則を調べたよ。どうやらこの学園、服装に関しては項目が甘いみたいだね!事実、ぼくと同じ一組には眼帯に長髪ポニーテールで、黒い学ランを白に改造したちょーっと頭の中がお花畑な人がいるんだけど、まだ一回も注意されていないんだ!だからこの…っ学園内では常に動物の着ぐるみ計画は校則の範囲内なんだ!」

 そこには茶色の雀と、ピンクのうさぎの絵が描かれていたそうな。

 ちなみに彼曰く、うさぎは部長のみ。
 このような妙な色を自分がしているのは、サンプルにふっくん先輩のきぐるみを先に作る際、発注ミスで緑の布が来たらしい。それを茶色で塗りつぶした結果がこれなんだそうだ。
 そんな話を聞いて僕が真っ先に感じたことは、やっぱりあの一言。――この学園はおかしい。



 気を取り直して次は美術部に足を踏み入れた。
 必死に絵の具をキャンバスに塗ったくっているピンク色のセーラー服を着た女性…二年の先輩に、僕は部長はどこかを尋ねる。咲良ちゃんには及ばないが、こちらも美しい微笑みを浮かべ、隣の部屋にいる旨を伝えてくれた。

 「失礼します」

 一礼して、その微かに絵の具特有の匂いがする部屋に足を踏み入れる。どうやらここはアトリエらしい。沢山の絵が描かれたキャンバスと、棚に入った絵の具に囲まれた場所に、その人は居た。
 …とても整った顔をしていた。エメラルド色を少し明るくしたような色の短い髪で、真剣に真っ白い大きなスケッチブックと睨めっこをしている。黒い学ランにピンクのライン。彼には良く似合っている。
 まだ何も描いていない彼は、こちらの気配にも気づいていない。咲良ちゃんが、僕より一歩前に出て、その人の斜め後ろから声をかけた。

 「斎藤先輩?ちょっとお話よろしいですか?」

 この人はどうやら斎藤先輩というらしい。
 咲良ちゃんの呼びかけにまったく反応を示さないその人に、痺れを切らしたかのように咲良ちゃんが、先輩の肩をたたいたけれど、それでも彼は反応をしなかった。それからも彼女は根気よく、斎藤先輩に話しかけるけれど、返事はない。
 もしかして寝ているのだろうか?そんな一つのケースが浮かんだ。そろそろと、イーゼル越しに、僕は彼の前に立って顔を覗く。…目は、開いていた。ぼおっとうつろげな目をしていたけれど、そのあとすぐにぱっちりと目を見開かせて…針のように鋭い声を出した。

 「動かないで」
 「…え?」
 「ああ…でもちょっと、その髪がだらしないかな。確か…そこの君、君は1年1組の委員長だったかな。何か髪を纏めるものは持ってる?」

 僕は髪を縛れない。だから腰よりも下にある長い髪をだらりと垂れ流していたままで、視界も少し狭く、暗かった。
 咲良ちゃんが「持ってます」と小さく呟いてから、スカートについているポケットから、赤いリボンを取り出す。それから丁寧に、だけどすばやく、僕の髪の毛を二つの束に分け、それぞれ上にあげていく。ツインテールというやつだ。

 「よし…っと」

 きゅっと、ゴムで髪が縛りあげ終わったとき、咲良ちゃんが、満足そうに声を上げた。斎藤先輩も、「よし」と小さく笑う。それから、再度僕に「動かないで」と言った。僕はその言葉のとおりに、ピシッと立ち止まる。呼吸も少し抑えて、目線もずらさないように、ただただ黙る。
 やがて斎藤先輩が鉛筆を動かし始めた。かろうじて視界に入っているその姿、どうやら彼は左利きらしい。じっと此方を見つめてはスケッチブックを見つめての繰り返し。その緊張感と、神聖な空気に――息が、詰まりそうだった。
 ――それから、どれくらいの時間が過ぎただろう?しばらくして、ようやく斎藤先輩が、「いいよ」と言い、僕に絵を見せてくる。そこには、ツインテールの女性がいた。制服を身に纏った女性は、背中に白くて大きな翼を広げている。画面にはらはらと白い羽が散らされていた。

 「天使…」

 ぽつりと、咲良ちゃんはつぶやいた。
 それから、ポケットから鏡を取り出して、僕に見せる。髪型も、顔も、体型も、絵の中の女性とそっくりだった。

 「君、名前は?」

 唐突に、斎藤先輩がニコリと笑顔を見せながら話しかけてくる。この学校の人は、みんな笑顔がきれいだ。僕は…どうなのだろうか?悶々と考えつつ、僕は自分の名前を呟く。…なぜかその名前に、一瞬だけ違和感を感じた。

 「坂根桜葉さん、ね。僕は二年一組斎藤遥。美術部の部長をさせてもらっているんだ。そこで坂根さん、君にお願いなんだけど…美術部員になれとは言わない。けれど、たまに僕の絵のモデルをやってくれないかな?君、可愛いし、描きがいがあるよ」

 …この人、天然だ。なんとなく、けれどはっきりと僕はそんな確信を抱いた。遠くでかしゃんという音がした。何の音だろう、別の部屋から「月見先輩大丈夫ですか!?」という声が響く。…本当になんだったんだろう。いいや、気にしないことにしよう。
 しかし、どうしようか。先輩の言葉にはなるべく従うべきか?…うん、断って、立ち位置が悪くなったら面倒だ。ゆっくりと頷くと、先輩が小さく微笑んだ。

 とりあえず来週の月曜日にまた訪ねることを約束した僕は、咲良ちゃんと一緒に美術部室を出た。
 後ろで、「あの子は何かがあるな…」という声が聞こえた気がしたけれど、それはきっと気のせいだろう。


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