未知


「どこ行くわけ?」
 月に照らされても薄暗い路地にふたつの影が伸びる。黒髪でくるくるとした天パの少年は、生意気そうな目で前方をスタスタ歩く男へ問いかけた。
「つーか歩くのはえーんだけど!こっちは怪我してんだよ!ちょっとは気ぃ使えねえの!?」
 返事はない。さっきからずっとそうだ。銀髪の男は歩みを緩めることなく、赤也の全てを黙殺して淡々と進む。喚く声なんか聞こえないみたいで、時折返事が返ってきたと思えば「プリッ」やら「ピヨ」やら……まるで会話が成立しない。
 全身痛いしだるいし燃えてるみたいな熱さは消えないしぼーっとするし目の前の男はムカつくし、段々と頭に血が上ってくる。そう言えば名前すら知らねえし。

「あーだりい。マジであんた何なんだよ。さっきから黙りこくりやがって感じわりい」
「どうするかの」
 唐突に、銀髪がやっと意味のある言葉を喋った。赤也をじっと見つめる。
「やっと喋った、マジ人形かよ。でどーするって何が?」
「血だらけじゃろ。そんなんで往来なんて歩いてみろ、一発でお縄じゃき」
 銀髪はセリフとは裏腹にくくくっと楽しそうに唇を釣り上げた。イラッとはしたが、少し感動もしていた。初めて会話が成立した気がする。
「柳にでも押し付けるか……」
 ぶつぶつ呟いて銀髪はしゃがみ込んだ。親指を歯で傷付け微かに血を出すと、地面に映った自分の影の心臓にぐりぐり押し付ける。
「何してんだ…?」
 真っ黒な影、の心臓部分が。さらに闇深くなった気がした。銀髪は先程血を擦り付けた影の心臓に手をひょいと突っ込むと、空間をかき混ぜた。赤也は目を疑って、ぎょぎょっと目を見開く。見間違いなんかじゃない、確かに銀髪は地面に手を突っ込んでいる。
「あー、どこじゃっけ」銀髪は少しの間斜め上を見ながらぐるぐるしていたが、お、と言って立ち上がった。手を抜いた瞬間影の闇が元通りになる。
「参謀の四次元ポケットは便利じゃが手順がめんどけん、けったいじゃ」
 意味不明なことを呟いた彼の手には真っ黒な、それこそ影のようなカードのようなものが握られていた。
「んー、まあここでええか。後で補充してもらわないかんけど」
 銀髪は壁に影のカードをひょいと放る。すると壁に触れた瞬間、影がぶわりと広がって、暗闇の空間ができた。四角く、人を飲み込むような、真っ暗闇の…………ドア?取っ手もないしその闇が動くようには見えないが、なんとなく"入り口"だと赤也は感じた。
 銀髪は呆気に取られ口をぱかっと開けたまま動かない赤也の襟元を掴み、「じゃ行くぜよ」と言うと引き摺るようにして闇の中へ飲み込まれた。
「う、うわあああ!」

 暗闇。光。一瞬で闇は終わり瞼に眩しいほどの明るさが伝わってきて、赤也は恐る恐る目を開けた。
 ぼんやりとしたアンティーク調の照明。古臭いソファにてらてら光るテーブル。くすんだ金の調度品達。今自分が出てきた方を振り返れば、大きな大きな掛け時計があった。自分はどうやらこの古時計の中から出てきたらしい。全く意味がわからないが。
「は、え……?」
 古時計を開けて手を突っ込んでもそこにあるのはただの壁だ。裏路地なんかない。
「どうなってんだよ…!?」
 銀髪は唇を歪めてわざとらしく喉を鳴らした。
「くくっ…うわあああ、じゃと。思ったより可愛げあるのう」
「な、な、やめろよ!しかたねーだろあんな突然!誰だって叫ぶくらいするっつーの!」
「うわあああ!」
「やめろ!」
 思わず振り抜いた拳をひらりと交わし、口元を歪めてやつは飄々とわらった。大袈裟に赤也の真似をする銀髪は、弄り飽きたらさっさと喚く赤也に背を向ける。恐ろしくマイペースで、人のカンに触ることをするのが上手い男だ。

 古ぼけた重い木の扉を引くと階段が表れた。石造りの冷たく、薄暗い階段だ。突然世界観が変わり、現実に引き戻された気分になる。使われていないビルの寂れた階段のようだった。ここは多分小さなビルだ。
 上り切り扉を開くと、小さな倉庫に出た。ごちゃごちゃと物がたくさんあるのに、不思議と秩序だっているように感じる。置いてあるのは…ワイン、ウォッカ、ジン……酒ばっかりだ。酒酒酒。いや、向こうの方にグラスが収納されている。暗くて雑多なのに埃っぽくない。
 小さな光が漏れ出ている場所があり、そこに黒く重たいカーテンが引かれていた。銀髪はそこをくぐり、向こうの部屋に入っていくので、赤也は慌てて背を追った。ドアを開けた拍子に喧騒が聞こえてきた。
「珍しいな、仁王」
 ドアの先には男が立っていた。グラスを布で拭きながら、表面をさらりと眺めている。男は背がとても高く、そんなに大きくない赤也は見上げなければならないくらいだ。黒のバーテン服に、伏し目がちの糸目、鼻は高く筋が通っていて唇は薄い。
「面白い玩具を見つけたき、連れてきた」
 糸目がこちらを向いた。「はあ?玩具ってまさかオレ?バカにしてんの?」
「ふむ…威勢がいいな。どこで拾ったんだ?」
「こいつ今日の現場にいててな、奴ら全員殺しちょった」
「今日はお前は確か"掃除"だったな」
「おん。20人くらいおったけど…」
 銀髪はにまと目元を細めた。「立ってたのはこいつだけじゃ」
「なるほどな。お前の気に入りそうなことだ」
「久しぶりに驚いたぜよ」

 値踏みするような視線が気に食わなくて赤也は糸目をぎっと睨み返した。
「まあまだ振り回されとるき、こいつの世話は参謀に任せた」
 ぽん。糸目の肩に銀髪はフランクに手を置き、片手を上げて去っていった。バーイ、なんて言いそうな背中が妙に様になっていてイラつく。
「おい!ここはどこでお前は誰なんだよ!名前くらい教えろよ」
「好きに呼びんしゃい。プリッ」
 銀髪はそのまま見えなくなった。最後まで得体が知れず飄々としていて謎めいていてムカつく奴だった。

「仕方ないやつだな、あいつは…」
 糸目が小さくため息をつく。
「あいつは仁王だ。掴みどころがない男だろう。誰に対してもあんな風だ、あまりまともに受け取るな」
 仁王。仁王。赤也はムカつくやつの名前は忘れない。糸目のことも鷹揚に顎を上げ睨んだ。
「あんたは誰なんだよ?」
「ふむ、柳とでも呼んでくれ。ここでバーを経営している」
「バー?」
 糸目に気を取られ、仁王に翻弄されていた赤也はやっと己のいる空間に気を回すことにしたようだ。キョロキョロと見回して、整頓された棚や、磨かれたグラス達、色とりどりの酒に、並べられたテーブル達に目を止めた。品が良くて、薄暗いのにそれが大人っぽくて、バイオリンか何か、静かな音楽が流れている。赤也には間違っても縁のなかった場所だ。
 柳という男も、落ち着いていて、大人で、この店の雰囲気にぴったり合っていた。赤也のコンプレックスであるもじゃもじゃの髪の毛と違い、切り揃えられた髪の毛がはらりと耳にかかっている。この店で、赤也だけがそぐわない。場違いさにほんの少し気後れする。こういういかにも知的そうで、静寂を美とするよるような場所にいると落ち着かないのだ。クラブでバカ騒ぎならしたことあるけど、バーなんて入ったことすらない。
 途端に縮こまった赤也を見て柳は少し笑ってしまった。生意気そうだと思ったが、なかなかどうして素直じゃないか。

「じゃ柳…」赤也は糸目を見た。自分より幾分も歳上に見える。それに銀髪よりまともだしムカつかない。「…サン」付け加えるようにボソッと言う。柳は銀髪と違い、何だか呼び捨てがはばかれるような雰囲気を持っている。
「なんだ?…ああ、名前を聞いていないな」
「オレは切原赤也。サイキョーの16歳ってやつ。ここらじゃ負け無しのウワサのエースってオレのこと…っス」
 へへ、と鼻をする赤也を柳は謎の穏やかさを持って眺めた。ほんの数分で彼が一周まわって可愛いほどのバカだと見抜いていた。
 切原赤也、か。調べておこう。内心で呟く。
「端的に言うとお前は超能力者だ。おめでとう」
「は?」

 赤也の口からぽかんとした音が漏れたが、仁王同様、柳も赤也の様子なんか欠片も気にしない。
「超能力者は日常に紛れながら生きている。特別な力のある人間はいつの時代も排斥されたり、利用されたり、特別視されたりと、中々面倒だろう。そんな闇にひっそりと隠れて生きている超能力者が憩うのがこのバーというわけだ。お前も仁王が連れてきたということは後天的な覚醒者なんだろう。先天的に能力を持って生まれて来る者が多いが、お前のパターンも稀によくあることだ。お前はこれから」
「いや待って待って待って待って!!!」
 赤也は力いっぱい叫んだ。何なら拳を振り上げそうだった。
「…なんだ?」
「なんだ?じゃねーっスよ!あんた何言ってんの?超能力?コーテンテキ?闇に紛れる?頭おかしいんじゃねえの!?」
 怒涛の説明を遮り、混乱によりキレる赤也を冷静に見つめながら分析する。思った以上にキレやすい。高校生だと言うのに、中学生みたいだ。なんて軽く罵倒しつつ、赤也の気持ちも分からないでもなかった。
 後天的に能力に目覚め、超能力に馴染みのない彼にあの説明は酷だっただろう。もちろんそれは分かっていた。しかし柳は親切に1から説明するつもりはサラサラなかった。超能力者や、自分たちの築く小さな社会について説明するには時間がかかるし、いかにも理解力の低そうな赤也に懇切丁寧に説明するのは面倒だったので。赤也のようなタイプには実践や、生活する上で空気を肌で感じてもらう方が効果的だろう。

 柳は少し考え、言った。
「学校の終わりにここで働いてみるか?」
「は?」
 今日何度目のは?を言ったか分からない。赤也は酷く疲れた。どいつもこいつも会話をする気が無さすぎる。
「学校帰りは遊んでるし、そもそも禁止されてるし」
「それを守るようなタマには思えないが…。切原、お前の体にどこか"痣"のようなものがあるだろう」
「"痣"?そーいや…」
 いつからか胸のあたりに、妙に機械的で意味のありそうな"痣"が出来ていたのを思い出した。
「なんで知ってんスか」
「やはりな。それが超能力者の証だ」
「この"痣"が?超能力の証ぃ?」
 無意識に胸の上に手を置きながら、いい歳して厨二病でも患ってんのかよ?
「……と、お前は言う」
 内心をそのまま読み上げた柳にぎょっとして、「いや、別に言ってねえスけど」と赤也はしどろもどろになった。
「それがあんたの能力なわけ?」
「さあ、どうだろうな」
 涼しい顔でそう言う柳は答える気がないようだ。こいつがムカつかない?やっぱさっきのナシ。こいつもじゅーぶんムカつく…!
「自分がある日突然変わったような感覚はなかったか?」

 イライラしつつ、根がアホの素直な子なので赤也は言われたまま考えた。しばらくうんうん唸っていたが、ふと思い出した。キレて警察に補導されたあの日から赤也は多分新しくなった。
 心当たりを見つけた様子を見て、さらに言葉を重ねる。
「一体お前の何が新しくなったんだ?」
「そりゃー…前より耳も目も良くなったし、体も軽くて動かしやすいし、前よりちょー強くなったし…。あとは…前より喧嘩が楽しくなったッスね!勝てるからっつーのもあるけど、殴り合う?いや、殴るのがたのしーっつーか、つえーやつ倒すのが楽しいっつーか。ナンバーワンになりてーンスよね、オレ」
 にこやかに笑う彼からはなんの邪気も感じない。しかし匂い立つ闘争心が溢れ出るようだった。目付きが鋭くなり、捕食者の顔つきとなる。赤也はいつだって勝者側だった。
「…………」
 本当に良い拾い物をした。柳はらしくもなく少しだけゾクゾクと背筋に感情が走った。期待か、喜びか。切原赤也は思ったより使えそうだ。

「お前は20人もの指定暴力団を1人でのしたんだろう。昔のお前だったら出来たか?」
 指定暴力団?少し考えて、ヤクザ?と思い至った。堅苦しい言い方しねーで、普通に言やあいいのに。どうでもいい事を考えつつ、渋々答える。
「まあ、昔だったらムリだったけど」
「だがお前は倒した。しかも、全員を殺した。そうだな?」
「へへ、まーね」
 後悔する様子も、自分の行いに畏怖する様子も、かと言って興奮する様子もない。一見すると真人間だ。愛嬌があって、馬鹿で、生意気だが素直で。
 並大抵の精神力ではない。己の所業に無自覚的なわけでも、過剰に自慢する訳でもない。至って普通。この悪魔じみた精神力も、おそらくは能力の影響か、と柳は当たりをつけた。

「…推測するに、お前の能力は身体能力の飛躍的な増強、及びそれに伴う精神の発達…というところか」
「どーいうイミ?」
「とても体が強くなって、とても心も強くなるのがお前の能力というわけだ」
「なるほど!ええ、でもそれってなんかショボくね?」
「いいや、純粋な身体能力、戦闘能力の増加は応用が効く幅広い才能だ。どの程度まで強化されるのか、トリガー等も調べなければな」

 いい加減分かってきた。楽しそうにぶつぶつ言っている柳は多分赤也に理解させる気がないのだ。聞けば分かりやすく答えるが、分からなければ分からないでも特に問題だとは思っていない。ウッゼー……柳も、仁王も、つまりはなんだかんだで赤也に興味が無いのだ。上手く言えないが、赤也自身を見ていない。そういう気がした。

「まあそう拗ねるな。お前がお前自身の可能性、超能力、その体にある"痣"のこと。それらを知りたくなったならここへ来ればいい」
 穏やかに微笑んで柳は選択肢を提示した。未来がひとつ増えたのだ。

『utusemi』

 使うかどうかも分からない名刺を、捨てることも出来ずに、赤也は財布にしまい込んだ。
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