覚醒


 何が起きたかあまり覚えていない。いつもの通り、学校帰り繁華街でダチとつるんでいた。いつもの通り、よく絡んでくるうぜえやつがガンをつけてきたので、赤也はそれを買ってやった。そして、いつもの通り、何もかもが気に食わないやつと口喧嘩になって、胸ぐらを掴まれた。その瞬間頭が沸騰して……でも、そんなのいつものことだ。切原赤也はキレやすいことで有名なとんだマザーファッカーだった。
 しかし、その日は違った。
 胸ぐらを掴み上げられ、目の前の相手の口元が「ワカメ頭が」と動くのを見た瞬間、赤也は沸騰した。怒りのままに相手の頭を掴みあげて……そこからの記憶はない。
 気付けば、足元に顔面のぐちゃぐちゃになった男が倒れていて、自分を遠巻きに眺める人々の壁があった。赤也は勉強も出来ないし馬鹿だし、自分で思うほど頭が良くないが、周囲に思われるほど阿呆ではない。今の状況を見て、この惨状を自分が引き起こしたことは容易に理解出来た。
 足元の男が小さく呻き、赤也は目をやった。目は潰れ、鼻は曲がり、頬は腫れている。この男のことはずっと気に食わなかったが、ボコボコにしたいほど憎んでいるわけでもなかった。
 しかし、赤也の顔に浮かんだのは笑みだった。自分の所業に脳が興奮して、胸には熱さと爽快感が駆け巡っていた。
 見るも無残な肉の塊を前に、血走って充血な真っ赤な目で、凶悪な笑顔をたたえる切原赤也。彼はまさしく悪魔だった。彼は、この時覚醒したのだ。


 突如として理性を失い男を血祭りに上げた赤也は、当然のように警察を呼ばれることになった。
 この時の赤也はおかしかった。たしかに普段から頭に血が上りやすい一面があったし、小さな喧嘩やトラブルをちょくちょく起こしてはいたが、彼は決して理性を知らない人間ではなかったのだ。むしろ、にこにこといつも明るく、賑やかで親しみやすい男だったし、喧嘩の際も手加減をし一線を越えることはなかった。

 警察と救急車のサイレンがうるさいくらい鳴り響く中、赤也はどこか他人事のような気持ちで眺め、黙ってついて行った。頭がくらくらして、暴れてやろうかとも思ったがヘラヘラして警察に接してやれば、警察官も段々と角が取れて行った。
 赤也は笑ってさえいれば愛嬌があって、親しみやすく可愛いやつだった。この年齢の子どもならちょっとグレる時期もある。
 やがて親がやってきてへこへこ平謝りし、赤也の頭を無理やり下げさせ、「何やってんだよ!」「いいから!何考えてんの街中で喧嘩なんて!本当にすみません!ほらあんたも頭下げて!」「力つえーよくそばばあ!」などと警察官を微笑ましい気持ちにさせつつ、思っていたよりは簡単に釈放された。
 相手の怪我の具合やら医療費やらなにやら小難しい問題は残っていたが、それは親が解決してくれる。家でぶちのめされながら怒られ、赤也は正座して顔を俯かせながら考えていた。

 失敗したな。次は見つからねーようにしねーと。

 全くもって反省していない悪魔は、それから巷で恐れられる不良となるのだった。


 1ヶ月の謹慎処分を学校から下され、赤也は当然のように街へ繰り出した。初めの数日は親や姉が目を鋭くしていたが、謹慎をくらうのは1度や2度のことではない。すぐに赤也をかまうのをやめ、いつもの放任主義に戻った。
 昼間に堂々と青少年が出歩くと補導されるので赤也の活動時間はもっぱら夜になった。身長が低いし童顔なので多々警察に声をかけられることはあるが、ここらの少年課のやつらはだいたい赤也のことを知っていた。

 謹慎を食らってからというもの、赤也は以前よりずっとディープに擦れたやつらとつるむようになった。
 絡まれる喧嘩を全て買い、叩き潰し、名の知れた奴には片っ端から絡み、のしてゆく。そうしているうちに自然と似たようなダチが増えていく。
 あの日と変わったのは生活サイクルだけではない。赤也の胸元には、いつの間にか見覚えのない"痣"が浮かんでいた。シミやただの痣ではない。幾何学的な、気味の悪い"痣"だ。疑問に首をひねったが、しかし赤也はいつしかそのことを忘れ去っていた。赤也はほかにもっと重要で、さらに面白いことに夢中になっていたからだ。
 今夜も、すっかり居場所となった廃ビルで、胡座をかいてだべっている。周りのやつらは煙草をふかし、安いビールを煽って、酒臭い息でイキっている。赤也は煙草も酒もノリで吸ったり飲んだりはするが、あまり興味はなかった。昔は憧れていたし、最初は楽しかったが、段々とそんなに良いものでは無いと悟っていた。
「たりい」
「暇」
「知ってるかよ?山吹を仕切ってる亜久津」
「あー、なんか聞いた事ある」
「誰?そいつつえーの?」
「鬼強だよ、地元最強だってウワサ」
「へー…おもしろそーじゃん」
「悪い噂にことかかねーやつだよ。まあでも、赤也ならいけんじゃん?」
「たりめーだろ。山吹の亜久津か……」
 くだらない中身のない会話をだらだら続けていると、ビルの外で微かに草を踏みしめる音がした。周りは何も気付かないのか、へらへらとくっちゃべっている。
「オイ、誰か来たぞ」
「はあ?こんなとこそうそう来るやつなんていねーよ」
「聞こえねーのかよ!誰かの足音がすんだろ」
「わかるのはおめーだけだっつーの」
 意識が飛んだあの時から、赤也は意識のある状態でも、以前より格段に身体能力が向上していた。今も、他の誰にも聞こえない足音を的確に捉えていた。
 赤也の悪魔じみた聴力を知っていたやつらはしぶしぶ重い腰を上げて、柱の影に隠れた。数分息を潜めていると、たしかに誰かがやってくる様子が感じられた。

 朽ちたビルに、黒いスーツを纏ったふたりの男が入って来た。暗い中でも微かに光沢がわかる高そうなスーツだった。遠目でも、普通の人間は持たない空気を男達が持っているのがわかった。
 散乱するビール缶や煙草の吸殻を見て、男が凄んだ。
「出て来い」
 赤也の隣でごくりと唾を飲み込む音が聞こえた。男が空き缶を蹴り上げ、目の前の柱でけたたましい音を響かせる。
「ヒッ」
 馬鹿が。赤也は舌打ちをした。
「やっぱりいたな、鼠が……」
 男がひとり赤也たちに近付き、もうひとりの男が外に出て行った。多分、仲間を呼んでいる。着く前に、こいつらをのすしかない。
 ヤクザに手を出すなんてさすがの悪魔でも躊躇うが、ここで殺らなきゃ殺られる。赤也は覚悟を決めると、へらへら笑いながら影から顔を出した。
「いや〜、ハハッ、すんません。ここでだべってたら怖いおにーさんたちが来たからビビっちまって……見逃してくれませんかね?」
 頭をかきながら、赤也はペコペコ頭を下げた。
「ガキか……フン。ここに俺らがいるってことをお前…お前らは見ちまったな。悪いがこっちも仕事なんでね」
 先程凄味を出した男とは思えぬほど淡々とそう言い、懐から黒光りする塊を取り出した。赤也は一瞬で体を強ばらせて、まずい、と物陰のダチに視線をやった。いくら擦れていると言っても所詮高校生、ガチの銃を前に怖気付いている。当の赤也もさすがに生身で飛び道具に適うとは思っていなかったし、そもそもこんなガキにチャカ持ち出してんじゃねえよ!と怒鳴りたかった。

 黒スーツがリボルバーを引きながら近付いてきた。男は真顔だった。口元がニヤついたり、小馬鹿にするような顔は全くなかった。ガキどもは淡々と殺されようとしていた。
「クソがっ!」
 圧に耐えられなくなった1人の少年が、床に転がっていたバールのようなものを持って飛びかかった。
「バカ!」
 振りかぶったバールを男は手に持った銃で受け止め、そのまま腹に重い一撃を入れた。耐えられず膝をついたところを蹴り上げ、頭を強引に掴んで床に叩きつけた。流れるような動きだった。恐らく、赤也以外の誰も反応出来ていなかった。何かが潰れる音がして、少年は動かなくなった。
 じわじわと広がる赤い液体を前に赤也は頭が真っ白になった。初めて見るそれ。先程までだべっていた少年はもう人ではない。動かない置物。肉の塊。人間だったもの。人の死を初めて赤也は目の当たりにした。
「ハアッ…ハアッ…」
 動悸が早まり、耳元で自分の荒い息が響いていた。恐怖か?畏怖か?怒り?絶望?ごちゃごちゃの感情に混じって、確かに赤也の中に生まれたのは───興奮。

「何笑ってんだ?このガキ…気でも狂ったのか?」
 男が怪訝そうに呟いて、まあそりゃビビるわな、と鼻で笑う。死体を見つめたまま動かない赤也に銃をわざとらしく掲げながら、男はラフに歩み寄った。カチャン。こめかみに押し付けられた銃口の音は想像より軽くて、簡単に頭の潰れた少年のことが頭に過ぎる。赤也はまだ少年だったものから視線を外さない。
「悪く思うな、まあすぐに送ってやるからよ、お前も」
 瞬間、拳を振り抜いた。
「っっっるあああ!」
「があっ、?!」

 男は横頬を全力で殴られ吹っ飛んだ。遠心力で腕が後ろに飛び、拍子に銃撃が鳴る。床に転がる銃を赤也はゆっくりと拾った。
「な、やが、てめえ、、、!」
 何をしやがる、てめえ、と男は言おうとしたが、頭がぐらついて言葉にならない。痛みが数秒遅れてやって来て、左目に血が伝う。ガキの力じゃない。起き上がろうと渾身の力を全身に込めながら男は思った。大人1人を一撃で潰す1発だぁ?くそが!ガキの力じゃねえだろうが!

 何とか顔を上げ、ぼやけた視界に映るのは、腕をだらりとぶら下げ、ぬらぬらと瞳を血の色に染めた悪魔。
「ヒッ…」
 悲鳴を漏らしたのは男か、少年たちか。
「ケーセーギャクテンてやつ?なあ?ハハッ…」
 動かない体を引き摺りながら男は後ずさる。その時外の方ががやがやと騒がしくなり始めた。仲間だ。男はほっと息をついたが、赤也は楽しそうに笑うだけで気にも止めない。
「これどーやって使うんだ?たしかこーやって…」ガチャガチャ弄っていた銃から、ガチャン。と。不穏な音が響いた。「おっ」
「くそっ」
「逃げんなよ、オッサン」
 赤目の悪魔は足を思い切り踏みつけ、ぐりぐりとねじった。そのまま腰にダァン!と踏み下ろすと、背中の服を掴みあげ、こめかみに銃を当てる。赤也がされたように。
「テメエも赤く染めてやるよ」
 扉が開け放たれ男達が雪崩込んでくるのと同時に、銃声が響いた。


 気付けば赤也は暗闇の中にひとりきりで立っていた。全身が酷くだるく、燃えるように熱かった。今にも倒れそうで、ふらりと床に座り込む。床が冷たい。しかし体はいつまでも燃えている。これが痛みだと段々と分かった。自分の手のひらも、腕も、腹も、口元も血塗れだ。頭がぼーっとする。
 なんでオレはこんなことになってんだっけ?

「派手にやったもんじゃのう」
 すぐ側から声が聞こえ、ぎょっとして赤也は俯いていた顔を上に向けようとした。体が痛すぎて、跳ね上がったつもりなのに、動きが酷く緩慢だ。
 そこにいたのは胡散臭い男だった。闇に映える銀髪をちょこんと結び、細い目を細めて、手をポケットに突っ込んで、だるそうに赤也を見下ろしている。
「何だよ、あんた」
「これ、全部お前さんがやったんか?」
 赤也の言葉を無視して、銀髪は首をぐるっと回した。「これ?」赤也も釣られてぐるりと回す。
 赤。赤。赤。そして赤。目に入るもの全てが赤い。
「ウワッ、なんだよこれ!」
 思わず仰け反った拍子に右手に何かが当たると、それは人間だった。それだけじゃない。周りには折り重なるようにして人間が積まれていた。全員赤い。全員動かない。
「ハアッ…ハハッ……ハアッ……お、オレが…」
 段々と思い出してきた。そうだ。ヤクザに喧嘩を売られて、あいつが死んで、オレは。オレは。
 息を荒らげ、怪しく瞳を輝かせ始めた赤也を観察するようにしげしげと眺め、銀髪は「まだ覚醒したてちゅうとこかの…」と顎をさすりつつ呟く。そして、ゴツン!と容赦なく赤也の脳天に拳を落とした。
「イッテエ!何すんだよ!」
「いつまでラリっとるつもりじゃ。行くぜよ」
 ギャーギャーと喚く赤也の瞳はもう赤くはなかった。「行くって?」
 銀髪は猫背でだるそうに背を向けて歩き出した。
「なあ!」遠くなる背中にムカついて、だるい体に鞭打って赤也は何とか立ち上がった。
「くそっ、あいつらしこたま殴りやがって……」

 赤也は自分が殴り殺した男だったものを振り返った。人を殺したはずなのに、恐怖は湧かない。なんとも思わない。心が酷く鈍かった。異常だとわかっているのに、そんな自分にも特になんの感慨も浮かばない。何かが目覚めたと何となく自覚していた。赤也はイカれていたけど、まだまともではあったはずだから。

「なにボケっと突っ立っとるんじゃ。ま、ここにいたいなら好きにすりゃええけどな。サツジンハンさん」
「うるせーな!今行くっつーの!」
 どっちにしろ、もうここへは居られないのだ。次に捕まれば、確実に謹慎なんかじゃ済まない。赤也は後戻り出来ないのだ。
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