・みんなで海水浴に行く話


海はキライだ。
照りつける強烈な日差しと人々の賑やかな声。じっとしていたいのにそうさせてくれない、『動』を常に強制される目まぐるしい環境。潮でべたつく髪も鬱陶しい。人工的で規則性が確保されている分、ツンとする匂いのプールがまだマシとすら思えるほど。
実家が海岸線まで車で十五分の好立地でも、物心ついてから海水浴に赴こうなどと考えたことはなかった。この『好立地』とは周囲の友人の言だ。

「あたし海すらまともに見たことないよ。今は帰省のフェリーでしょっちゅうだけど」

タンクトップとデニムショートパンツという普段着さながらの水着で佳奈子が応じる。眼鏡ではなくコンタクトという点を除いて彼女はいつも通りだ。目のやり場に困らず、安堵した遥は膝をそっと伸ばした。寄せては返す波に、浮き輪で特攻した翼が幾度も攫われていく。

「にしても小宮も守山もおっそいな、腹減ったじゃん」

「お昼時ですし、きっとお店も盛況なんですよ」

ちらちらと売店のある方角を振り返る佳奈子をかりんがなだめる。背後の岸壁で日陰になったレジャーシートに並んで座り、三人は昼食を心待ちにしていた。海の家はひどく混雑している様子で、隣の売店で焼きそば等をテイクアウトして浜辺で食べることにしたのだ。白浜は海風に飛ばされたり故意に捨てられたりしたゴミが散見され、帽子をかぶったスタッフたちが袋を持って巡回している。

「あ、先輩」

砂浜の向こうからのしのしと凌也が歩いてきた。片手には大きなビニール袋、もう片手にはソフトクリーム。じりじりと太陽に炙られた彼は砂漠を突き進む先遣隊のようにひどく険しい顔つきだった。首に巻いたタオルで汗を拭うより先に、表面が溶けて艶を帯びたアイスを恋人に差し出す。

「わあ、アイス! ありがとうございます!」

両手でコーンを受け取ったかりんは嬉しそうに口を開け、渦巻きの上半分をぱくりと持って行った。遥はきょろきょろと周囲を見渡す。

「小宮なら女にまとわりつかれているぞ」

レジャーシートに屋台のパックとペットボトルを並べながら、何でもないことのように凌也が言う。あんたさあ、と佳奈子は眉を寄せた。

「どーせナンパ女を小宮に押し付けてひとりですたこら戻ってきたんでしょ」

「何故わかった。…仕方ないだろう、もたもたしていたらアイスが溶ける」

「ったく、しょーがないから迎え行ってやろ。はい遥ちゃんも」

「えっ」

既に関心が目玉焼き入りの焼きそばに移りかけていた遥だが、佳奈子に召喚されては断れない。熱々の塩釜を砕いたような砂浜に足裏を焼かれぬよう、ビーチサンダルをつっかけて後をくっついていく。歩いて少しもしないうちに、ビキニの美女二人に通せんぼされた恋人を発見した。山あり谷ありの豊満な胸元に憎しみを覚える。

「おら小宮! こっちは待ちくたびれてんだけど!」

彼女らの二の腕をそれぞれ掴んで強引に隙間をこじ開け、佳奈子ががなり立てる。迷惑そうに顔をしかめた美女たちは『行こ行こ』と一瞬で姿をくらませた。はは、と湊はばつが悪そうに曖昧な笑みを浮かべる。

「この辺の情報を仕入れてただけだってほんと。話しかけてきたのはあっちだし」

「うるさい。早くしろ」

空腹で機嫌の悪い遥に急かされ、はあい、と苦笑いで湊はレジャーシートを目指す。三人が戻ると、翼の髪に付着した海藻をかりんが懸命に取り払っているところだった。胡座をかいた凌也は黙々とイカ飯を食している。

「うわあんべとべとするう!」

「どこでくっつけてきたんだか。さー小宮、期待してるからね」

「はいはい、たんまり買ってきましたよっと。遥にはこれな」

両手に提げていた袋からまず焼鳥を献上し、シートに残りを並べていく。焼きそば、カレーライス、タコライス、牛串、フランクフルトに焼きとうもろこし。やったー、と佳奈子と翼が快哉を叫んだ。いくつもの手が一斉に伸びる。ねぎま串にかぶりついた遥もご満悦だ。

「食べよ食べよー。かりんちゃんどれがいい?」

「えっと、僕は先にこっちのお好み焼きを食べます! でもでもとうもろこしは食べたいです!」

お好み焼きは凌也が購入した分だ。シーフードが豪快に生地から飛び出している。

「タコライスうまいなあ、学食の沖縄フェアの時に20回ほど食べたかな」と翼。

「お前ご当地フェアだと好きなやつ何回も頼むよな。最後の方飽きてるし」

カレーをもりもりたいらげながら湊がぼやく。焼きそばをすする遥も身に覚えがあるのか、小さく頷いた。すると横から異様なほど体をくっつけてきた恋人が、焼きそばと遥へ交互に熱視線を送る。

「ちょっとちょうだい」

ここは公共の場所だ。無遠慮な嘆願を却下して、無言のまま未開封の焼きそばを指差す。食べたいならそちらを食べればいい。なおも食い下がる湊。

「遥が食べてるやつがいい」

「うるさい」

遠出をしたので朝はもちろん早かった。車内ではぐっすり眠っていて、午前中はスポーツドリンクしか飲んでいない。そこへ誰かさんが昼飯を遅らせたせいで、ただでさえ苛ついているのに。
当てつけのように、残り少ない焼きそばをずずっと無慈悲にすすり込む。あああ、と情けない声も無視してねぎま串をまた頬張る。彼が何かと甘えてくるのはいつものことだが、開放的な空気に当てられたのか、もしくはとある理由によるのか。それはこのメンバーでの海水浴に至った経緯も含めて後述するとしよう。

「どーれ片づけに行くかな」

食べ盛りの大学生六人で全ての惣菜をきれいに食べ尽くしたのち、割箸と空のパックをひとまとめにして、佳奈子は海の家を一瞥する。ゴミの始末を買って出てくれるようだ。僕も行きます、とすかさずかりんも連れ立っていく。小さな手のひらで小銭を握りしめていた。食べ足りなかったらしい。

「では私は翼号と再び旅に出るぞおー」

無駄に大きい浮き輪を肩に引っかけ、翼はざぶざぶと果敢に波を掻き分ける。先程の様子からしても遊泳というよりは入水に近いが、ロープの張られた沖まではさすがに浚われないだろう。
日差しから肌を保護するための薄いパーカーを羽織ったまま、遥は波打ち際で砂に足裏をくすぐられる。パーカーの正式な名前はラッシュガードだと恋人に教えられたものの、無論そんな雑学はとっくに忘れている。足の指の間を波と砂が通り抜けていく感覚がどうにも気持ち悪くて、幼い頃は海に近づこうともしなかった。水は思ったより冷たいが、この炎天下なら涼むのにはちょうどいい。

「ね、向こうまで行かない? ほらあの家族がいるあたりまで」

後ろからお伺いを立ててきた湊が指差す先で、小学生ほどの子供は時折波に呑まれて悲鳴を上げながらも楽しそうに父親にしがみついている。遥の身長なら確実に足が届く深さでも、あの位置まで進んだとしたらやはり子供のように何か掴めるものを探すだろう。そしてそれは隣の男の腕に他ならない。ぶんと首を横に振った。じりじりと熱線で頬が溶かされそうだ。
唇を尖らせて拗ねた湊は、波音に負けない程度に声のボリュームを落として囁いた。

「水中ならいちゃいちゃできるじゃん」

「そんなことしにきたわけじゃない」

「俺はそんなことをしにきたんだけど」

なに開き直ってんだこいつ。
横目でじとりと睨みつけ、諦めのため息と共にひとり闊歩していく。待ってよ、と迷いのない足取りで彼も波を踏みつけてきた。
進むにつれ、水面が膝まで上昇してくると少し怖くなって後ずさりする。背中がトンと彼の胸にぶつかり、大丈夫?と背後から尋ねられて頷いた。水や海に特段のトラウマがあるわけではなく、たまたま見えた大波に足が竦んだだけだ。

「一緒に行こ」

手首を優しく掴まれ、今度は彼が先導して波の狭間を探っていく。一歩一歩、体を包む水嵩が増すごとに緊張するのがわかった。楽しげな親子はまだずっと先にいる。
やがて腰の辺りまでたっぷりとつかったところで、掴まれた腕をぐいと引き戻す。追い討ちをかけるように波にざぷんと水着を濡らされ、ぐいぐいと尚も彼を呼べば、振り返った湊が苦笑しつつ頷いた。


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