オトモダチから始まる恋

1


生徒会長受けアンソロ企画参加作品


俺の通う学園の用務員さんは、人間の体にライオンの頭と尻尾がついている、ちょっと変わった人?だ。

いや、人でいいのか? いやいや、用務員さん本人がそう言っていたのだから、きっとそうに違いない。うんうん、きっと俺の預かり知らない何かがあるに違いない。多分、おそらく……
そんな風にちょっと変わった人?だったので、初めて用務員さんを見た時は驚いて、思わず二度見した。そしてガン見した。

あれは確か、昼休みに購買へ行こうと、人混みを避けてお気に入りの裏庭を通っていた時のことだ。
俺が阿呆の子どものようにぽかんと口を開けている前で、紺色のツナギを着た用務員さんは一人もくもくと裏庭を箒で掃いていた。箒を掃くのと同時に、尻尾もゆらゆらと揺れている。

最初は俺の目の錯覚を疑った。何度も裏庭に来ているのに一度も見たことはなかったし。
俺がこの学園に高校から入学したとはいえ、もう二年生になる。一年以上もこんな“姿”の用務員さんを、例え噂でさえ知らなかったなんてそんなことあるだろうか?(この際俺に一人も友達がいないのはおいといて、だ)

涙が全て蒸発しそうな程目を見開いてしばらくガン見した後、数度瞬きを繰り返し、それでもまだ“頭と尻尾がライオンの”用務員さんは見えるから、今度はごしごしと手の甲で目をこする。

(あー…アレだ。友達もいない俺がいくら自分を改める為だとはいえ、春から生徒会長なんて柄にもないことをしているせいで、疲れているせいに違いない)

よし、仮に“用務員さん”の存在は本物としよう。だが首から上、丸々頭と尻尾がライオンだなんてことは非現実的だ。
やはり疲れて幻でも見ているに違いない……
そんなことを考えながらしつこく目をごしごしと擦っていると、ふいにその腕を、誰かの大きな手でガシッと掴まれた。

「そんなにこすると目を傷めるぞ」

低い、だがおだやかな声をかけられ、俺は声の主を見上げる。
最初に見えたのは俺の腕を掴んでいる大きく逞しい(人間の)手。
紺色のツナギの胸元。
首から下げたネームホルダー。身分証には免許証のようにちゃんと顔写真とフルネームが記されていた。

(写真でも頭はライオンのままだ……)

俺がぼんやりと写真を見ていると、再び声をかけられた。

「どうした?」

低い、おだやかな声。
教師達のように事務的でもなく、生徒達のように避けるでもなく、純粋に“俺”を心配してくれている優しい声。

用務員さんは俺より頭一つ分は大きくて、俺は自然と、用務員さんを見上げる形になる。
用務員さんは、本当にライオンの頭をしていた。ふさふさの鬣の下は他の人間と変わらなくて。精巧な着ぐるみかとも思ったが、近くで見ても全然分からなくて。何より時折ピクピクと動く耳が本物だと伝えていて…

いや、そんなことよりも。五月の新緑の中、用務員さんんの鬣が陽の光をキラキラとはじいて黄金色に輝いていて。俺はその綺麗な景色にただただ見とれていた。

そうして俺が呆然としていると用務員さんと視線が合い、俺は喜びに打ち震えた。
用務員さんの黒くて大きな目に俺が映っている。
友達もないくて誰もが避ける俺を、用務員さんは真っ直ぐ見て、心配してくれている。

例えそれが用務員さんの仕事だとしても嬉しかった。
家族以外の誰かが俺を心配してくれたのは初めてで、胸の奥底から何かがこみ上げてくる。油断するとそのまま泣いてしまいそうになったので、俺は唇を噛みしめてぐっとこらえた。

変な顔になった俺を見て、用務員さんは顔をしかめる。そして俺の腕を掴んだまま裏庭にあるベンチへと引っ張っていくと、そのまま俺を座らせた。
そして無言のままどこかへ歩いていく。……と、思ったら、数歩進んだ所で戻ってきた。

「……すまないが箒を持っててくれ」

「あ、あぁ……」

用務員さんは俺に箒を預けると、呆然としたままの俺をおいて、すたすたとどこかへ歩いて行った。


用務員さんの姿が見えなくなり、俺はほう、と深い息を吐いた。
自分で思ったよりも緊張していたようで、脱力した俺はベンチにズルズルと持たれた。

頭を背もたれに乗せて目をつむると、そこはいつも通りの静かな裏庭で、さっきまで用務員さんがいたことが嘘のようだ。
だが手の中の箒が先ほどの時間を嘘ではないと伝えていて……

そうしてぼんやりと過ごしているうちに、誰かが近づいてくる足音で身を起こす。それは先ほどどこかへ去ったと思った用務員さんで、二本の缶ジュースを持っていた。

俺の前に来てズイ、と一本のカフェオレを差し出す。その無言の迫力にのまれ、俺も無言で受け取る。

「あ〜〜〜そのなんだ。どうやら君はおつかれらしい。だからこれでものんで、少し休憩を取るといい」

後ろ頭をガシガシとかきながら、用務員さんは続ける。あんまりガシガシとかくものだから、鬣が少しボサボサになってしまった。
せっかく綺麗に整っていたのにもったいないな、なんてことを考えながら見ていると、

「……なんてカッコつけてみたものの、どれが君の好みかわからないので自分の好きなものであるコーヒーでもと思ったが、そもそもカフェインは体にあまり良くないのではと途中で思ったので体に良さそうなミルク入りのカフェオレにしてみたんだがどうだろう? あっいやその、これは自分の意見であって、必ずしも君がこれを飲まなきゃいけないというわけではなくて。なんていうかその……」

なんて言い訳を始めたものだから、俺は思わず吹き出してしまった。

今日初めて会った見ず知らずの俺の為に何かしてくれようと思ったその気持ちが嬉しくて、くすぐったくて。
俺は久しぶりに声を上げて笑った。

俺がひとしきり笑って落ち着いた頃、用務員さんが黙ってこちらをじっと見ているのに気づいた。
笑いすぎて滲んだ涙を拭うと、用務員さんがふと微笑んだ。

「うむ。君はそうやって笑っている方がいい」

用務員さんの言葉と同時に一陣の風が吹く。黄金の鬣で風がはじけて、用務員さんの周りがキラキラと輝いて見えた。

「……」

あまりにも綺麗な景色に、俺は息を飲んだ。

だって用務員さんが周りが輝いて見えるのだ。……いや、今や用務員さん自体がキラキラと輝いて見えた。

いつの間にか息を止めていたせいか、心臓がドキドキと高鳴っている。
俺が用務員さんに見とれいていると、用務員さんがふと何かに気づいたように腕時計に視線を落とした。

「あぁ、もうこんな時間か。すまない、貴重な昼休みを邪魔してしまったな。では、自分は失礼するよ」

用務員さんはそう言うと、くるりと背を向けすたすたと歩き出した。……と、思ったら、数歩進んだ所で戻ってきた。

「……すまない。箒を預けっ放しだった」

「あ、あぁ……」

そうして俺から箒を受け取ると、用務員さんは今度こそ本当にどこかへと歩いて行った。



用務員さんの姿が見えなくなり、俺はほう、と深い息を吐いた。何だか頭の中がふわふわとしている。
先程の綺麗な景色が瞼に焼きついて離れない。思い返す度、何だか心臓が跳ねて息が乱れる。

結局、午後の授業のチャイムがなるまで、俺はベンチにまたズルズルともだれ、呼吸を整えていた。

そんな体たらくだったので、当然授業に身が入るわけがなく、いつ終わったのかもわからないまま、いつの間にか放課後になっていた。
そんな状態でも習慣と言うのは恐ろしいもので、俺は無意識に自分の荷物をまとめ、生徒会室へと向かっていたようで、俺がハッと我に返ったのは、「会長」の席に着き、書記の冬川がコーヒーを出してくれた時だった。

「どったの? カイチョー。カイチョーがぼんやりしてるなんて珍しいじゃん」

会計の夏海に言われて気づく、自分がぼんやりしていたことに。

「会長たる者、しっかりしていてもらわねば困ります。体調管理も仕事のうちですよ、会長」

「……あ、あぁすまない。以後気をつける」

俺が潔く謝罪の言葉を口にしたせいか、副会長の秋山は何か言いたそうにしながらも引き下がってくれた。

「あのね?」
「あのね?」

「大丈夫?」
「大丈夫?」

次に声を掛けてくれたのは双子で庶務をしている春野だ。わざわざ近くにより、机の縁に手とあごを乗せて俺の顔を覗きこむ様は小動物のようで愛らしい。
学年が下なせいか、もし俺に弟がいたらこんな感じだろうかと、ありもしない想像をして、ついそのように接してしまっている。

「あぁ、ありがとう」

今も思わず二人の頭を撫でてしまうと、さすがに高校生相手にそれは失礼だったのか、二人はふいっとそっぽを向いた。

俺の行いを咎めるように、秋山と夏海と冬川が一斉にギロッと俺を睨みつける。特に冬川の視線は、普段無口な分、迫力があって怖かった。
皆の無言の迫力に負け、俺はすごすごと手を引っ込める。

俺の手が双子の頭から離れたのを見て、皆の顔がいつものように穏やかになり、それぞれの席へと戻って行った。
生徒会選挙演説会の時に少し打ち解けられたと思ったのは俺だけで、皆はそうでもなかったらしい。

生徒会メンバーとも多少は話すが、それはあくまでも業務上のことであって、決して友達としてではない。
未だによそよそしい彼らに、それも仕方ないかと俺は自分を納得させる。
生徒会メンバーとはいわばビジネスパートナーみたいなものなのだ。同じ学生同士だからといって、必ずしも友達になる必要はないのだしな……

昼休みにあんなにもふわふわとしていた気持ちが何だかしゅんとしぼんでゆき、気持ちと共に視線まで下がっていく。膝の上の自分の手に視線が辿り着き、俺はふと疑問を思い出した。

皆はあの用務員さんのことを知っているのだろうか? そして皆にはあの用務員さんはどう見えているのだろうか?

思い出したらすごく気になってきて、俺は皆に聞いてみることにした。いくら「生徒会」だけの繋がりといえど、世間話くらいはつきあってくれるだろう。
さりげなく質問を切り出す為に、俺は咳払いをしてみる。
周囲の注意をひきつけることい成功したらしいと見て、俺は口を開いた。

「あ、あぁ…… そういえば今日裏庭で用務員の田中さんと少し話をしたんだが、彼は“少し変わった姿をしている”が親切な人だな」

あくまでもこれは世間話であると示す為、親切な人という所を強調してみる。本題は用務員さんの姿のことだが、単刀直入すぎるのは良くないだろう。あくまでも本当の世間話のようにさりげなく聞き出すことが、今回のポイントなのだ。そしてあわよくば生徒会メンバー達ともっと打ち解けることが出来れば……

そんな期待を込めて俺はそわそわと皆の答えを待つが、皆一瞥をくれたきり、何も答えてくれない。

「……」

沈黙が痛い。

「よ、用務員の田中さんという……」

俺が再度口を開いた時、冬川が無言でシャーペンを握りつぶした。静かな空間ではどんな小さな音もよく響いて、俺は思わずびくっと体を震わせた。

「あのさぁ、さっきから何なわけ? 用務員、用務員ってしつこいなぁ。会長職は学園の生徒の為にあるんでしょ。用務員とオトモダチごっこするヒマあるなら、判のひとつでも押してよね」

夏海に言われ、俺はまたしゅんとうつむく。

「……すまない」

冷水を浴びせられたようだった。
“オトモダチごっこ”という言葉が突き刺さる。

そうだ。俺がいくら情けない自分を改めたいと生徒会長に立候補したとはいえ、当選したからには職務を全うする義務がある。この学園に来て初めて、友達のような会話が出来たと浮かれている場合ではなかったのだ。

「……すまなかった。今のは忘れてくれ」

俺は心の底から謝罪すると、今度こそ書類に集中する。
まだピリピリとした空気が漂う中、思わずといったように春野がこぼす。

「…感じわるーい」
「…空気わるーい」

それは小声だったが、静かな生徒会室内では十分聞こえる音量で。俺はまた体をビクッと震わせてしまった。
反省・謝罪、そして気持の切り替えを行ったはずなのに、突き刺さったままの言葉がまたシクシクと痛みだす。

俺の手が止まってしまったのを見かねてか、秋山が口を挟んだ。

「静かになさい。もう過ぎたことです」

秋山の言葉に、夏海が机をバン!と叩き立ち上がる。
「ハッ。なんだよそれ。カイチョーが用務員、用務員ってうるさいのがいけないんだろ! 自分だけいい子ぶんなよ!」

「そうだ!」
「そうだ!」

「…ムッツリヤロー……」

「なんですって!?」

夏海だけでなく、なだめようとしていたはずの秋山までが立ち上がって言い合いを始め、普段無口な冬川までもがボソッと何かを訴えている。
ますます悪化していく空気に、俺はハラハラと成り行きを見守った。

こんなはずじゃなかったのに。俺はただ、皆と少しでも打ち解けたかっただけなのに……

「いい加減にしないか。先程の話は忘れてくれと言ったはずだ」

俺が訴えると、なぜか皆にギロッと睨まれた。

「「会長・カイチョーは黙ってて!」ください!」

「……す、すまない」

皆の迫力に飲まれ、思わず引き下がると、皆アハ生徒会室の隅に集まり、ヒソヒソと話し始めた。

「……いつの間に用務員と……」「……もう会わせないように……」「……いっそ裏庭を……」「……あんなオヤジ、シメたらいいだろ……」「……それより……」

殴り合いのケンカにはならなかったようでそこはほっと安心したが、時々こうやって俺抜きで顔を突き合わせて話し込むので、正直寂しい。
こうやってあからさまに避けられるのに慣れてはいるが、だからといって別に平気なわけではない。
俺はまた裏庭へ息抜きしに行きたくなったが、今は生徒会業務中なのでそうもいかない。

家にいると息苦しくて寮のあるこの学園を選んだのに、楽になるどころか、俺はここでも息苦しさを覚えてしまっている。結局どこにいっても息苦しさしか感じないのかな?なんて少し憂鬱になっていると、そういえば用務員さんといた時は息苦しさを感じなかったなと思いだした。

用務員さんの黄金色の鬣を思い出すと、何だか胸の中があたたかくなる。
明日もまた裏庭へ行こう。そして用務員さんがいたら、今度はもっとたくさん話をしてみようと決意して、俺は業務を再開した。



翌日の授業も、頭の中がふわふわとしていて上の空だった。
だが昨日のように気がついたら授業が終わっていた……というわけではない。むしろ授業が終わるのが遅く感じる。一秒が一分、一分が一時間のように感じ、まるで地獄のようだ。

俺は勉強以外に取り柄がなく、他にすることもないのでまるで勉強が趣味のようなものなのだが、クイズみたいでわりと好きなはずの勉強が、昨日今日と初めてどうでもいいことのように思えた。
授業が終わる10分前からノートや教科書を片付けて教室から離脱する準備をしていた俺は、終業のチャイムがなった瞬間、脱兎のごとく教室を飛び出した。

教師やクラスメイト達の唖然とした顔が見えたが今の俺には全てどうでもよかった。
一刻でも早く裏庭へ行き、用務員さんと話をしてみたい。

途中、自販機を見つけた俺は急ブレーキをかけて立ち止まり、カフェオレを買う。取り出し口の中に乱暴に手を突っ込み、奪うように掴むと、また裏庭へと走った。

もしかして今日はいないかもしれない。

もしかして今日もいるかもしれない。

昨日はたまたま話しかけてくれたけど、今日はどうだろう。掃除等に集中していて、俺に気づかないかもしれない。
そんな想像をしたら、胸をぎゅっと引き絞られるような痛みを感じた。今まで孤独を感じたことはあっても、痛みを感じたのは初めてだった。痛む胸を押さえながら、俺は走り続ける。

いなかったらどうしよう……?

気づかれなかったらどうしよう……?

そしたら、そうしたら、俺から会いに行って、俺から話しかけたらいい。

そう思ったら、また昨日感じたあのふわふわとした気持ちになってきた。体より先に気持ちが前へ前へと駆けてゆく。自分の体だと言うのに、自分の思い通りにならないこの体がもどかしくなる。いっそこの体を捨てて、魂だけになって裏庭へと駆けて行きたくなった。

休憩もせずに走り続けたから、裏庭につく頃には、俺は滝のような汗をかいていた。体育でだってこんなに必死になったことがない。
だけど俺は疲れなんか感じなかった。裏庭では昨日と同じように用務員さんが箒で掃いていたからだ。

俺は汗でへばりつく前髪をかき上げると、用務員さんに声を掛けた。

「……こんにちは! 用務員さん…」

「あぁ、君は昨日の……」

用務員さんは振り向いて俺を見ると、こちらへ歩いてきた。
用務員さんが覚えていてくれたのが嬉しくて、思わずにやけてしまう。
目の前に立った用務員さんへカフェオレを両手でズイ、と差し出しながら、俺はデパート店員顔向けのお辞儀をした。

「あ、あのっ これは昨日のお礼と言うか、用務員さんこそ毎日お疲れ様です!というか、もっと用務員さんと話をしてみたいなというか、名前とか、どうしてライオンの頭なのかも聞いてみたいし! だっだから俺と友達に!……友達へ!……友達と!…… あ〜〜〜つまりそのっ」

自分でも支離滅裂なことを言っているのはよくわかる。わかるからこそ、用務員さんの反応が怖くて顔が見れない。

だけどこのままここで引き下がってしまっては、今までの自分と同じだ。俺は情けない自分を改める為に生徒会長に立候補したんだ。同情か憐みかはわからないが、とにかく生徒会長にはなれた。今度は避けられてばかりの自分ではなく、ちゃんと自分から友達を作るんだ。これはその第一歩なのだ!

俺は決意も新たに、カフェオレを更にズズイ、と差し出す。

「おっ俺とお友達からお願いしまっす!」

気合を入れすぎて、途中声が裏返ってしまった。俺は恥ずかしくなり、ますます顔を上げられなくなる。
だがそんな俺を待っていたのは、用務員さんの優しい声だった。

「ククッ わかった、わかったから顔を上げてくれ。このままでは話もできない」

用務員さんに促され、俺はおずおずと顔を上げる。

「真っ赤になってかわいいな……」

「か、かわいい!?」

そんなこと言われたのは生まれて初めてで俺は戸惑うが、用務員さんはにこにこと嬉しそうに俺を見ている。

だんだん視線に耐えきれなくなった俺はまた俯こうとしたが、用務員さんに顎を掴まれ、それも叶わない。
真正面から用務員さんの優しい視線を注がれ、段々体の熱が上がっていく。

「まずはお友達から、なんだろ?……」

「……あ、あぁ。うん?」

この場に漂う何だか気恥かしい雰囲気とか、用務員さんと俺の距離だとか、何だか色々俺の思惑と微妙にずれている。そう思った時には既に遅く。俺は用務員さんにぐい、と腰を抱き寄せられると、有無を言わさずキスされていた。

「んん!……んぁ……んっ……」

頭の芯がビリビリと痺れる。
男同士だと言うのに不思議と嫌悪感は無くて、俺は崩れ落ちそうになる体を、用務員さんにしがみついてたえた。俺の腰を抱く用務員さんの腕にも、ますます力が入る。

長いキスから解放された時、俺の顔は自分でも分かる程に真っ赤になり、息も絶え絶えになっていた。
半開きになった俺の唇を指でなぞりながら、用務員さんが優しく囁く。

「俺の名前は田中光司だ。光司と呼んでほしい」

「こうじ、さん?……」

「ん、いいこだ」

俺が言われるがままに名前を呼ぶと、用務員さん……いや光司さんは褒美だとでも言わんばかりにまたキスしてきた。

「ライオンのことはそのうち。それよりも君の名前を教えて?」

「ん……お、俺の名前は綾小路菖蒲(しょうぶ)……」

「……君が噂のあやめの君だったのか……」

「ん?……」

「いや、なんでもない」

光司さんは一人で何かに納得すると、またキスしてきた。頭の中がまたふわふわクラクラしていた俺は、光司さんにしがみつきながら、何度も何度もそれを受け止める。

結局、午後の授業のチャイムがなるまで、俺達は抱き合ったまま会話とキスを繰り返した。いや、キスの合間に何かを話していたというべきか。
走っている時にはいらないと思っていた体だが、捨てなくてよかった。こうして光司さんのぬくもりを感じることが出来るのだから。

当然、午後の授業も身が入らなかったのはいうまでもない。



どうやら俺は友達を飛び越えて恋人を手に入れてしまったらしい。

どこかで何かを間違えてしまった気がしないでもないが、初めて自分から何かを得ようと積極的に動いて得た結果なのだ。俺は喜んで受け入れようと思う。
それに光司さんの腕の中は優しくて、あたたかくて。施されるキスは蕩けそうになる程、気持ちがいいのだから。

高校生にもなってまだ友達はいないが、今の俺はとても幸せだ。


―終わり―

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