Twitterにあげてた話 | ナノ

名前を呼んで欲しい女の子と千冬



幼い頃から名前を呼ばれるのが好きだった。その声で呼ばれた瞬間、まるでただの名前が宝石のようにキラキラと光出して、宝物のような、そんな特別なものに思えるから。でもいつしか、おいとか、なぁ、なんて呼ばれるようになって、小さい時はずっと一緒に居たのに、いつの間にか疎遠になって。今じゃ、目も合わなくなってしまった。

『………げほっ、』

部屋の中に響いた咳は誰にも聞かれること無く消えていく。親は仕事に行ってるし、今この家に居るのは私だけ。もう中学生だというのに、少しだけ寂しさを覚える。

『…いいなあ、…文化祭』

私も一生懸命準備したのに、当日になって高熱を出すなんて、何ともツイてない。遠足前日の小学生か?まあ、自分の健康管理が原因なんだけど。そう分かっていながらも、熱に浮かされた頭では納得出来ず、鼻を啜るとずび、とみっともない音がした。

『寂しい…』

掠れてた声は毛布に包まり、シーツが擦れた音に掻き消されてしまう。子供じゃないのに、恥ずかしい。それこれも全部、熱のせいだ。割り切ったフリをして瞼を閉じると、ある背中を思い出してしまい、余計に心が寒がりだす。久しぶりに呼んだ名前は、酷く震えていた。




∵∵
小さな物音に目を覚ましたが、瞼が重たくて上げられない。目を開けていないというのに、視界が揺れている気もするし、胃の中が気持ち悪い。頭がボーッとして、体が熱いのに、寒い。このまま死んじゃうのかな、なんて不安に陥っていると、不意に頭へと温もりが触れ、優しく撫でるように動かされる。

『………千冬?』

力を振り絞って瞼を持ち上げると、視界の端に金色の髪が映り、さらりと揺れる。するとその手は離れて行ってしまう。名残惜しい感覚に手を伸ばそうとするけど、怠さで指一本動かせず、徐に瞬きを繰り返すことしか出来なかった。

「起きたか。なんか食えそう?」
『い、要らない…』
「ならせめて水だけでも飲め。汗凄ェ」
漬物石のような体を無理矢理起こそうとするが、ベッドについた手の力が抜け、倒れそうになる。けれど千冬の手が背中に回され、何とか上体を起こす事には成功した。
『なんで…、いま、文化祭でしょ…?』
「抜けて来た」

その言葉に胸が高鳴り、心臓の動きが早くなる。もしかして心配してくれたのかな。同じクラスだし、休むって連絡は聞いてるはず。そんは淡い期待は続け様に放たれた音によって壊される。

「おばさんが面倒見て来てくれって」
『あ、……そ、うなんだ』

近くに住む千冬は登校中に私の親と会って、そんな事を頼まれたんだろう。そんなこと、言わなくてよかったのに。私は一人で平気だし、何せ今日は文化祭なのだから、こんな所に来たいわけが無い。分かっていたことだ。

『……もう、大丈夫だから、松野くんは学校戻って』
「………は?」
『水は自分で飲めるし、薬だって、どうにか出来る。…もう子供じゃないんだから』

鼻が詰まってるはずなのに、その奥ではツンと痛みが走り、視界が歪む。熱が出てる時って、どうしてこうも涙脆いんだろう。やだな、この人の前では泣きたくないのに。目を丸くして呆けている彼を尻目にもう一度、布団の海へと沈む。

「……おい、」
『もう良いってば。来てくれてありがとう』
「松野くんってなんだよ」

そこかよ、と思いながらも、熱のせいで喋る事すら億劫になってきた。いつもより体重すら増えてる気がする。それくらい怠い。寝てしまおうと、目を閉じるが、人の気配は無くならず、寝るに寝れない。

『早く学校戻りなよ』
「なんでそんな呼び方するんだよ」
『………自分だって、私の名前呼ばないくせに』

思わず溢れた本音は鼻声で言葉になっていたかすら怪しいが、彼には届いてしまったのか、痛いくらいの静寂が走り、私の鼻を啜る音だけが響く。

「…それは、…その、」
『文化祭、終わっちゃうよ。場地くんと回るんでしょ』

場地くんと関わるようになって、彼はいい方向に変わった。ただ暴力を振るうだけの不良から、真っ直ぐな不良へと。不良なのは変わらないけど。それがちょっと、悔しい。

「なぁ、」
『うるさい。どっか行って』
「なんで怒ってんの」
『怒ってない』

ただの癇癪に過ぎない事は、自分がよく分かってる。ずっとこの人と一緒に居ることなんて出来ないし、いつかお互い恋人なんかが出来たりして、離れ離れになってしまう事も。私じゃない他の誰かの名前を呼んで、優しく微笑んだりする姿を思い浮かべて、涙が溢れる。

「な、なに泣いてんだよ…」

珍しく焦った様子に胸の奥がじくりと痛んで、余計に苦しくなる。私は彼にとってただの幼なじみ。でも、私にとって彼は大切で、大好きな人。その違いが、苦しい。

「泣くなって…、」
『泣いてない!』
「水、水飲めって、」

優しくしないで欲しいのに、優しくされて喜んでしまっている自分が馬鹿らしい。もう一層のこと、放って置いてくれればいいのに。そうすればこの想いだって、いつか消えてくれるのに。

『触らないで…』

額に触れる手は少し冷たくて、心地良い。でもそれを認めたくなくて、距離を取るようにモゾモゾと布団の中を移動する。

「熱上がってる。飲みモンだけでも腹に入れて薬飲むぞ」
『自分でやる。早く出て行って』

段々と頭が浮かされていくのが分かる。熱が上がっているのは本当なんだ。ギュッと強く瞼を閉じると、目尻を伝って涙が流れる。

『……もう、やだ、』
「え?」
『千冬を好きでいるのが辛い…、どんどん遠くに行っちゃう…、』
「え、…え?」
『もう、千冬を好きでいるの、やめる…』
「やめるなよ…ッ!」

勢いよく立ち上がり床を踏む音がして、ベッドに手をついたのかスプリングが僅かに軋む。なんでそんなこと言われないといけないんだ。嗚咽混じりの呼吸を繰り返すと、後ろで彼が息を飲み、静かに言葉を紡ぎ出す。

「……オレも、オマエが好きだ。だから、好きでいるのやめるとか、言うな」

思いもしなかった言葉が耳を刺し、曖昧な意識の中で反響する。だって、だって、そんなわけない。私のことを好きなんて、そんなこと有り得ない。

『嘘だあ…』
「嘘じゃねぇッ!」
『じゃあなんで、名前呼んでくれなくなったの…?』
「うっ…」
『話しかけても、素っ気なくなったし…』
「うう…」

ボロボロと涙を流しながら、千冬の方へ顔を向けると、両手で頭を抱え、何かを悩んでいる様子だった。やっぱり嘘なんだ。適当に吐いた嘘だったんだ。そんな思いが顔に出ていたのか、彼は視線を逸らし、耳を澄まさないと聞こえないほど小さな声で綴る。

「は、恥ずかしかったんだよ…」
『…………は?』
「オマエ、中学に上がってから急に女らしくなるし…、」
『……なに、それ、』
「だっ、だからァ!可愛くなっていくオマエと話すのが気恥しいっつーか、照れるっつーか…」

徐々に聞き取れないほど小さくなって、もごつく唇を呆然と眺めていると、顔を真っ赤にした千冬は拗ねたような視線を私に投げる。

「でも、オマエもオレの事好きなんだよな…?」
『千冬』
「な、なんだよ…。今更好きじゃねぇとかは無しだからなッ!?」

胡座を掻いて慌てたように顔を向けた千冬の頬はまだ微かに赤らんでいて、ちょっとだけ可愛く見えたり。でも、不公平じゃん。私ばっかりなんて。

『名前呼んで』
「………名前?」
『うん、私の名前、呼んで』

甘えたような音吐が出てしまったのは、鼻が詰まってるせいだ。喉をごくりと鳴らした千冬は立ち上がって私の顔の横に手をつき、上半身を覆い被せる。妙に真剣な顔をして甘やかに吐き出された自分の名前は、星空のようにキラキラと瞬き、宝物のように心へと落ちて行く。

『…好き、』
「オレも、」

心の声が溢れ、舌先で音を押し出すと、口角を緩めた千冬もそう言葉を零す。熱が無い千冬の瞳の奥は、私と同じように浮かされていて、いつもは鋭い目付きも、今は目尻が下げられていた。

「すげー、好き」

顔が寄せられ、宝石のような千冬の瞳が徐々に閉じられ見えなくなる。つられるように目を瞑ろうとするが、彼の髪が頬に触れ、我に返った私は慌てて手のひらで彼の唇を覆う。

「……なんで、止めるんだよ」
『ダ、ダメだよ、』
「だからなんで」
『風邪、移っちゃう…』

これから学校に戻るであろう千冬に風邪を移すわけにはいかない。首を左右に振ってそう言うと、不満そうな顔をしながらも、折れてくれたのか僅かに顔を上げる。

「……早く治せよ」
『…うん、』

汗で張り付いた前髪を避けられ、そのまま梳くように頭を撫でられる。やっぱり好きだなあ、と思いを馳せながら頬へ移動した大きな手のひらに擦り寄る。

「……ほんと、勘弁してくれ」

遠のく意識の中で、千冬のそんな声が聞こえた気がしたけど、優しい手が私に触れている事が嬉しくて、勝手に頬が緩む。早く治して、千冬と話したい。彼が呼んでくれる名前は、私だけの宝物だ。


[ back to top ]

×
「#エロ」のBL小説を読む
BL小説 BLove
- ナノ -