ここはどこだろうか。
ここは、なにを、ここは……。
「――うっ……」
上体を起こそうとしたが無理だった。腕にも腹にも力が入らない。わずかに上がった頭を戻すと、柔らかい綿の感触に包まれる。
顔を横に向けると、どう見ても室内。それに恐らくここは病室。
先ほどまで外に居たはずだったのに、なぜこんなところに居るのだろうか。
なぜ。なぜ……。
「リッ……!」
リン。
リンが。
リンが攫われて。
霧隠れに。
でも助けて。
それから。
「あ……あ……」
思い出したくないのに、左目の写輪眼のせいだろうか、鮮明に思い出す。
紙を裂くように貫いた体。
口から零れる鮮血。
見開いた目。
オレは確かに、リンを。
「あ、ああ、ああッ!」
湧き上がるものを堪えきれずに声を上げる。警告に似た鈍い耳障りな機械音が鳴り響く。足音と共に慌てる女の声がした。一人ではなく複数。そのうち男も加わった。オレを四方から取り囲む。おさえて、とうよ、はやく、いそいで。耳に入ってくる声は単語として拾える。でも脳に届く前に分解される。視界がぐるぐると歪む。どこを見ているか定かではなく、目を閉じればリンが居た。
「――あぁあッ!」
リンが、
リンは、
リンを、
リンを――殺した。
音が刺激になりオレの意識は浮かぶ。
命令を送るが瞼はなかなか動かない。
ようやく目を開くと人の顔があった。
「カカシ。分かるかい? オレだよ」
「……せん、せ……」
ミナト先生だ。黄色の髪に、青い目。オレの先生。
先生は、オレが先生を認識したことにホッと息を吐いた。
「ここは病院だよ。木ノ葉の病院だ」
「……びょ……いん……」
「ああ。オレが君を運んだ」
病院。そうだろう。この部屋の作りは病院のそれだ。
そこに運ばれ、寝かされているオレは、オレは……。
「――先生、リン、リンは、リンが……」
うまく説明できなくとも、先生は『リン』という名だけで、オレが言いたいことを察したらしく、端正な顔は眉を寄せ、深く目を閉じた。
「リンは……だめだった。助かったのはカカシ、君だけだ」
無情な答えに、また視界が歪む。意識が後ろに傾く感覚に釣られて瞼を伏せると、先生が名を呼ぶ鋭い声に、何とか応えるよう目を開いた。
「カカシ。つらいだろうが、何があったか教えてくれ」
ミナト先生の頼みは、先生が言うように、オレにとっては精神的にも肉体的にも酷なことではあった。しかし今回の件を上層部へ上げるべく委細を知るには、オレに話を聞かないわけにはいかない。他里が絡んでいるとあれば、迅速な状況確認と対応が必要だ。一分一秒が生死を分ける。
オレは自分が覚えていることを、できるだけ客観的に説明した。任務中にリンが攫われたこと、犯人が霧隠れであったこと、負傷した仲間が多かったため、忍犬を使ってオレが単独で追跡したこと。
無事に霧隠れに囚われていたリンを連れ逃げていた途中で、幾人もの追手を止めるために雷切を放ったら、リンが――
「カカシ、分かった。もういい」
ミナト先生がオレの肩に手を置いた。見える世界がどうにもぐにゃぐにゃしていて、先生がどんな表情をしているか分からなかったが、その声色には剣呑としたものはなかった。目に押し当てられた手拭いで、視界が悪いのは止まらない涙のせいだと悟った。
しばらく、オレがグズグズと鼻を鳴らす音が響いた。情けない。不甲斐ない。
「オレが二人を見つけたときは、霧隠れの忍も全員息絶えていた。あれは君がやったのかい?」
先生の問いに驚いた。
「……先生が、助けてくれたんじゃ……?」
「いや、違うんだ。オレが着いたときには、もう全て終わっていた。だからオレたちは、カカシが一人で殲滅したのかと」
てっきり、あの場から生き残れたのは、オレの意識がなくなったあとミナト先生が救出の援護に来てくれたからだと思っていたが、どうやらそうではないらしい。
改めてあのときのことを振り返ってみる。多数居た霧隠れの内、一人を狙って、それでリンが間に入ってきて……。
「リンを貫いたことしか、覚えていません……」
オレの記憶は、胸がぽっかり空き、血を流して倒れたリンで途切れている。
「やっぱりそうか……」
ミナト先生の呟きに、『やっぱり』とはどういうことかと、開けている右目を向けると、先生は少し考えたあと「いずれ知るだろうから」と話し始めた。
「霧隠れの死体を検分したんだが、首が折れていたり、頭が潰れていたりと、様々でね。中には貫かれたような傷の者も居た。だからオレたちは君が全てやったのだと思っていたんだが、どうにも不思議な点があった」
そっと腕を組む先生の顔は険しいものになる。
「君の雷切は、雷の性質を持っている。だから人体を貫く際、独特な傷口が残るだろう。いくつかの死体は、君の手にかかったことが確認できたが、そうではない死体もあった。もし霧隠れを殲滅したのがカカシでないとするなら、君たち以外の誰かがあの場に居たことになる。思い当たることはある?」
「……いいえ」
オレが持っている記憶には、リンと霧隠れ以外の人間は見当たらない。リンの救出には仲間もいたけれど、もし仲間が霧隠れの忍を殺したのなら報告があるだろうし、傷を負って死亡したのなら、あの場に亡骸が残っているはず。
オレが否定すると、先生も同じ考えだったのだろう、追及するようなことはなかった。
「先生。その、貫かれた傷というのは、どんなものだったんですか?」
傷の形状から武器などはある程度予想ができる。刃物による傷なら刃渡りや刃の形。鈍器による傷ならそれが槌なのか棍棒なのか。絞殺なら紐の種類や編まれ方。合致できなくともいくつか候補を挙げることは可能だ。
「恐らく槍のようなもの――それも、穂は金属ではなく、木製の可能性が高いらしい。ただ、その材質までは特定できていない」
「木製の……」
「傷の状態から察するに高速で一気に貫かれている。その衝撃に耐え得る相当硬質な素材とまで予想がついているんだが……何せ今は早急の件が多い。調査に必要な技術不足もあるけど、詳細に調べるための時間も手間もかけていられなくてね」
火の国のあちこちで忍同士の戦いが続き、次から次へと負傷者や死者が出る。その治療や遺体の検分も必要ではあるが、毒殺だったならば毒の種類を突き止め解毒薬を作り、敵の死傷率を上げるためにより威力の高い起爆札を作成し、解読しにくい新たな暗号を考え情報の正確な伝達と攪乱を狙ったりと、前線に出る忍たちのために割く時間の方が重要だった。
戦争により、多種多様かつ高性能な道具や技術を作り出すことを強いられる今、霧隠れを殺した者の武器が何なのか、その武器の使い手が何者なのか探ることも必要だが、全体的な優先順位としては低いのだろう。
あれだけの数の忍を殲滅できるほどの腕を持つ者は、一体誰なのか。霧隠れを殺し、どうしてオレだけを生かしたのか。その目的は何なのか。分からないことだらけだ。分かっているのは、オレがリンを殺したということ。
リンを、殺してしまった。
体を貫いた右手が、自分でも恐ろしい。切り落として、どこか遠くへ投げてしまいたい。
そんなことを考えながら右手を見ていると、「カカシ」と先生から名を呼ばれた。
「リンが、君と敵との間に入ってきたと言ったろう」
オレが先ほど先生に説明したことに偽りはなかった。分からないことは多いが、覚えていることはしっかりと覚えている。リンが最期に、かすれた声で発したのは、オレの名だった。
「きっとリンは、望んで雷切に貫かれにいったに違いない」
無意識に右手の拳に力が入る。
「どうしてですか?」
オレは問うた。問うてはいたけれど、答えはすでに頭の中にあった。
「リンの体を、検死したんだ。今はそれも終わって、安置所に移されている」
検死、安置所。それは、死者に行われ、死者が行くべき場所。リンは死者だと、否応がなしに現実を突き付けられた気分だ。
「検死を担当した者が、雷切で貫かれていない部分に、とある痕跡が残っていると言ってね。あくまでも推測でしかないけれど、リンは体内に細工をされていた」
オレが雷切で貫いたのはリンの胸だ。恐らく心臓辺りを突いた。心臓がなくなれば命は絶える。ただ刀を刺し込んだのとわけが違う。臓器自体が消失してしまえば、医療忍術でもどうすることもできない。
「リンは自分の中に何かが居ると……」
霧隠れの下から救出したあと、逃げているときからリンの様子は変だった。しきりに『何かがおかしい』と自身の異変を訴え、木ノ葉には戻れないと言い出した。戻れば自分は木ノ葉を襲ってしまうだろうと。
「『殺してほしい』と言われました。自分は霧隠れに利用されているだろうと……。でも、そんなことできるわけない……。とにかくリンを守って、追手をどうにかするのが先で、リンの中の何かなんて……」
あのときのオレにとって、まずはリンの身の安全が第一だった。オビトの形見と言っても過言ではないリンを死なせないことこそが、オレの使命だった。
『儀式を施されそうになった』という不穏な訴えに、オレもリンに何かが起きていることを分かってはいたが、リンを守りつつ途絶えない追手を制するのに精一杯だったし、里に戻って安全を確保してから対処しても間に合うだろうと考えていた。
「これもまだ推測で、事実確認中だけど、恐らくリンのその言葉は正しい。あのまま里に戻れば、リンの中の何かにスイッチが入り、里に甚大な被害が及んだはずだ。霧隠れの忍も、わざとリンを逃がして、君たちを里へと誘導していたんだろう。察するに、リンはあの状況下で、その“何か”を身から外す時間も
『私を殺して』と、リンは言った。必死に頼んだ。あのときのリンに、迷いなど欠片も見当たらなかった。自分の命を惜しむような素振りは一切なく、そうするべきだと躊躇いなく選んだ。
「オレたちはそう考えている。勇敢な、尊い死だったと」
先生の声は毅然としていた。上司として部下の死を誇らしいものだと受け止めていた。
勇敢だった?
尊い死だった?
だから、リンは死ぬしかなかった?
冗談じゃない。
そんなわけない。
リンが死ぬなんて、そんなことあっていいわけない!
噴き出す怒りのままミナト先生を睨んだ――が、それはすぐに力を失くした。
先生の表情は納得なんてしていなかった。口では何とでも言えても、リンの死に対するやるせなさを、その青い瞳は隠すことができず、憂いの淵に居た。
自分の馬鹿加減に、ほとほと嫌気が差す。ミナト先生がどんな思いでリンの死を受け止め、上忍として冷静を欠かぬようにと努めているかも気づけないなんて。
また、死なせた。
オビトを死なせて、リンも死なせた。
無力感と共に頭に過ぎるのは、慰霊碑の前に立つ、彼女の横顔だった。
体力回復のため数日は入院になると告げたあと、ミナト先生はオレの話を上へ報告をし、細かい手続きも済ませてくると、病室から出て行った。
一人になった部屋はがらんとしている。病人が体を休めるだけの部屋に、娯楽品など一切ない。目覚めてすぐに警告音を発していた機器も、今は静かに息を潜めている。
何もすることがなければ、考えるのはリンのこと。よりによってリンが攫われるなんて。隊長だったのに、どこで間違えた。何がいけなかった。考えれば考えるほど、あのときの判断が、あのときの指示がと浮かぶけれど、今更考えたところで、リンは生き返りなどしない。
――コンコン、と控えめなノック音が響いた。下ろしていた瞼を上げ、病室の戸に目を向けると、
「カカシ、今いいかい?」
とミナト先生の声がした。報告や手続きが終わって戻ってきたのだろう。
応じると、少しきしむような音を立てて戸は引かれ、口を一文字に引き締めたミナト先生が立っていた。
先生の姿を認めてすぐ、先生一人ではないと気づいた。隣にはミナト先生より一回り以上小柄な人影。髪の色、目の色、顔立ち、体つき、忍服。その全てが記憶の中のサホと同じで、間違いなくサホだと頭が理解すると、彼女から目を逸らしてしまった。
「カカシ……」
サホはオレの傍に寄って、怪我の具合を訊ねた。オレはほぼ相槌のような返事をして、横にしている体を上げようとしたがうまくいかず、サホの手を借りる形でなんとかベッドの上に座る状態にまで起こす。
我ながら、今のオレはぼろ切れみたいなものだ。手足は思うように動かないし、血や汚れのついた服だけは病衣に替えられているが、肌に付着したそれらは簡易的に拭われているだけ。消毒液と血が混ざった異様な匂いが鼻をつく。
人が増えたところで、病室の中は変わらず静かだ。妙な息苦しさは、呼吸する者が増え、室内の酸素が少なくなったからだろうかと、そんなわけがないのにそんなことを考えた。
「サホ……ごめん……」
目を合わせる勇気がなくて、糊で張りを作られたシーツに目を落としたまま、オレはサホに謝罪した。
「謝らないで。ミナト先生から聞いてる。カカシは、リンを守ろうと頑張ってくれたって」
そうか。もう聞いているのか。
けれどそれは、きっと掻い摘んだ話だろう。先生の配慮で、サホのショックを少しでも減らすべく、必要最低限の『リンが死ぬに至った経緯』に違いない。
全てを知っていれば、サホはこんな風にオレを労わったりしない。
「先生……サホと二人にしてもらえますか?」
頭を垂れたまま、ミナト先生に声をかける。
「カカシ――」
「お願いです。サホには、全部、オレから、話したいんです」
拒否の言葉を遮って先生に必死で訴えた。顔を上げた視線の先のミナト先生は、逡巡に似た素振りを見せたあと、オレの意を尊重してくれて黙って病室を出て行った。
部屋に残ったのは、戸惑っているサホとオレ。
「話……って?」
おずおずと、サホがオレに問う。オレと先生の様子から、『話』というのがあまり良いものではないことを察しているのか、自身の腹辺りで手を組んで、オレが口火を切るのを待っている。
なんて言う。どう伝えればいい。
『オレがリンを殺してしまった』と言ったら、サホはどんな顔をするだろう。
想像するだけで怖くて、だから何から話していいのか分からない。
「……サホは、ミナト先生から何て聞いてる?」
迷った末、逃げてしまった。サホがどんな情報を持っているのか、リンを死なせて一人だけ里に戻ってきたオレをどう思っているのか、知りたかった。
サホは、ミナト先生から教えられたことを話し始めた。リンが霧隠れに攫われ、オレが救出に向かい、ミナト先生も増援として駆けつけたけれど、すでに手遅れだったと。
「霧隠れが、リンを殺したなんて……」
表情を歪ませて、サホは苦しそうに言った。
きっと、霧隠れの忍が憎いのだろう。リンを殺した霧隠れが。
でも霧隠れじゃない。殺したのはオレだ。
オレが殺した。オレが、リンを。
「違うんだ……」
抑えたいのに、全身の震えが止まらない。手で体を黙らせようとしても、その手がガクガクと震えていて、力が入らない。
オレの言葉と様子に、サホは上擦った声を発した。どんな目でオレを見ているのか、恐ろしくて顔を上げられない。
「違うんだ。霧隠れが殺したんじゃない……違うんだ……違う……ちがう……ちがうッ……!」
言わなければ。霧隠れが殺したのではない。オレが殺したのだと。
なのに、もう、こわくて。こわくて。
言えばサホが、オレのことをどう思うか考えたら、自然と目から涙が零れる。オレの目と、オビトの目と、両方から止まらない。
心臓が痛い。肺が痛い。腹が、頭が、もう色んなところが。そこを流れる血が、沸騰するような感覚に堪えられない。
顔を上げると、不安げなサホが居た。
サホ。
サホ。
オレは、オレは――
「――オレが、リンを殺したんだ」
逃げ場を求めて、息と共に、オレは自身の罪を口にした。
サホは凍りついたように、全身の動きを一切止めた。瞬きすらすることなく、澄んだ目がオレを射貫く。
「……な、なに言ってるの……?」
雪山に取り残された者のように、サホは喉を震わせた。口元は不自然な笑みを描いていた。嘘だと言ってくれという、無意識からの期待の表れなのだろう。
「追ってくる、霧隠れを、狙ったんだ……だけど、オレの前に……リンが……」
リンを殺そうとしたわけじゃない。リンを狙ったんじゃない。オレは必死で言い訳をした。そんなつもりは塵一つなかったと。
でも殺したんだ。オレが。リンの体を、この手で貫いた。
なんで。どうして。雷切なんて使わなければよかったのか。どうしてオレはこんな術を作ってしまったんだ。
この右手が、この右手が。
「ねえ、もしかして」
サホは間を置いて、続ける。
「その目で、リンを殺したの?」
――目。目、で?
言葉にできない悪寒に、体が跳ねる。いつの間にか骨を砕き兼ねないほど右手をきつく握っている左手から、力を緩めることができない。
「その目で、見ながら、リンを、殺したの?」
ああ。ああ、そうなんだ。
リンの体を貫いたのはオレの右手だ。
だけどサホにとって、誰の手がリンを殺めたのかなんて、些細な違いなのだろう。
サホが何より反応したのは、殺した相手でも殺し方でもない。
知っていた。ずっと誰よりも、オレが知っている。
サホにとって一番大事なものは――ずっとオビトなんだ。
「そうだ」
まるで暗い穴のようなサホの双眸に向き合い、オレは事実を認めた。
薄く開いていたサホの唇は、一度だけぴたりと上と下をくっつけ、その細く白い喉が、こくんと一つ鳴った。
「ふざっ――なん――なんで! なんてこと、なに、なっ――ぁああ!!」
獣のような叫び声を上げ、サホはオレの胸倉を掴むと、力の限りオレの体を揺さぶった。脳が揺れ、強烈な吐き気が込み上げる。
揺れは唐突に収まった。締め上げられていた首元が解放され、なんとか両手をついて上体を支え、横になるのは耐えた。騒ぎに気づいたミナト先生が病室へ入り、オレからサホを引き剥がしてくれたが、サホの咆哮は止まない。
「その目はオビトの目よ! オビトの目なんだから! カカシの目じゃない! オビトの目よ! オビトがどれだけリンを好きだったか、カカシだって分かってたでしょ!? それなのに! それなのに!」
分かってるよ。知ってるよ。サホがオビトを好きだったように、オビトはリンを好きだった。
だからサホは、リンを守りたかった。大好きだったオビトの大好きだったリン。親友だから、仲間だから、それ以上に、オビトが守りたかった人だから。
「どうしてカカシが! どうして、どうしてカカシなの!? 霧隠れじゃなくて、カカシが、オビトの目で……!」
オビトの目で。オビトの目で。
サホが繰り返す。その度に左目が疼く。
「約束したのに……守るって……なのに……どうして……どうして……」
膝をついたサホは、ミナト先生の呼びかけを掻き消すように声を上げ泣いた。慟哭は見えない刃となってオレを刺していく。サホの落とす涙の数だけ、オレはサホを深く傷つけた。
どうしてだろう。どうしてなんだろうな。
守りたいのに、どうしてオレは守れないんだ。
シーツに染みが一つ。顔を俯けていれば、瞬きをするたび簡単に雫が落ちていく。
「サホ……お願いだ。さっき約束しただろう。カカシを恨まないでくれ」
ミナト先生がサホを諭す。オビトが死んだと告げたときのサホを知っている先生だ。こうなる可能性を考え、先回りしたつもりだったのだろうけれど、それは大した意味を持たない。オレには分かる。きっとどんな伝え方をしても、サホはこうやって泣いただろう。
膝をついたサホが、ふいにオレに目を向けた。頬は涙に濡れ、瞳は充血し、一切の感情を失ったかのような眼差しに、言いようのない恐怖を覚えた。
「――許さない」
響いたそれは、まるで罪人に判決を言い渡すかのような一種の厳かさすら感じられ、オレもミナト先生も言葉を発することができなかった。
「その目でリンを守れなかったあんたを、わたしは絶対に許さない」
いつもオレに向けられていたのは、澄んだ瞳だった。考えすぎて、よく泣いて、嫉妬してしまう、弱いサホは、自身の気持ちと言葉を偽ることはなかった。サホは良くも悪くも純粋だった。
だからサホはオレに憎しみを向ける。純粋に、ただオレを憎んだ。信じていたのにと。
情けない喉が、ごめん、ごめんと謝罪を繰り返す。
けれどサホはそんなものは欲しくない。
オビトが死んだときだってそうだ。謝罪なんていらないからオビトを返してくれと泣いた。
あのときと同じで、オレはリンを生き返らせることなどできない。
オレの謝罪など、サホにとっては何の価値もない。
サホはオレにとって、この世で最も信頼できる仲間だ。オビトを心から愛したサホのその一途さ。それは信頼に値するだけの十分な理由だった。
だからこそ、サホの苦しみの深さも、憎しみの強さも理解できた。オビトを想うからこそ許せない。
共に誓いを立て、彼女がオレに向ける全幅の信頼こそが、サホの澄んだ瞳を憎悪で塗り潰してしまった。